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(旧軍の遺構資料館など)




鎮魂の旧大日本帝國陸海軍・番外編X







旧軍の遺構や資料館など・・・中京・東海編 



(中京・東海エリアに点在する旧軍の遺構や資料館を巡る)




先の大戦が敗戦という不幸な結果で終わってから
65年が経過しました。敗戦国という現実は誠に厳
しく良い事も悪い事も当然あっただろうが、反日マ
スゴミと反日日教組が支配するこの国では全ての
諸悪の根源とされ忌み嫌われるのが旧軍の残渣
や遺構、余波的また末裔的な存在の全てです。
各地に残る遺構の中には、その謂れや歴史すらが
意識的に隠蔽され消え去ってしまった物も多く…そ
の遺構を訪れて驚く事も多々あり…改めてこの国
の特殊な事情の虚しさややりきれなさを痛感します
が、戦後半世紀以上が経過し堅牢であった遺構も
崩壊が始まったり地域の事情や変化で取り壊しが
進み姿を消すものも多くなり改めて歩ける範囲で
再訪し記録を残すべきと感じました。時間の許せる
範囲で巡る事が出来た最近の遺構を紹介したいと
思います。


この中京・東海編は主に鹿児島出身で現在は、
名古屋在住の戦艦榛名様のご協力を得て画像
撮影・取材・レポートによつて実現したページで
あります。その点では、まさに”戦艦榛名様スペ
シャル”または”presented by 戦艦榛名 ”と謂
う感じであります。篤い愛国心で旧軍遺構の探
索も二つ返事で引き受けて下さった戦艦榛名様
に改めて感謝を致します。

              皇紀2670年11月

                管理人 憂国烈士



更に暫く此方の方面は更新を怠っていましたが
少しずつ遺構探索を行い消えゆく旧軍の足跡を
記録すべく更新努力を再開しました。

              皇紀2673年 6月

                管理人 憂國烈士






現在は太刀洗いに移転した零戦32型です。以前、名古屋空港に
展示してありました時に戦艦榛名様が撮影したものです。












目 次 (table of contents)




・三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所
 小牧南工場・資料室(零式艦上戦闘機五二型甲
 (A6M5a)と高々度迎撃ロケット戦闘機”秋水”
 (J8M)と戦後の三菱製航空機・・・等々)

・旧陸軍各務原飛行場(現 空自 岐阜基地)の遺構
  かかみがはら航空宇宙科学博物館
 旧陸軍航空整備学校の西校門と立哨搭
         (第四航空教育團岐阜第二教育隊)




・旧陸軍飛行第七聯隊(陸軍飛行第七戦隊)
   浜松陸軍飛行学校(浜松教導飛行師団) 
       現 航空自衛隊 浜松基地 広報館
   〜零式艦上戦闘機五二型甲(A6M5a)〜

・豊川海軍工廠の遺構(桜ケ丘ミュージアム)
 陸自 豊川駐屯地(三河資料館)
 豊川稲荷の豊川海軍工廠戦没者供養塔
 日本車両 豊川製作所の正門
 諏訪墓地(各種慰霊碑・供養塔)
 豊川市運動公園 平和の像
 南門橋交差点の戦没者供養塔




・歩兵第十八聯隊の遺構
  と歩兵第百十八聯隊の記念碑 (現 豊橋公園)

・豊橋海軍航空隊の遺構
         (現 三河港 明海地区工業団地)

・第一・第二河和海軍航空隊の遺構





・愛知航空機(株) 永徳工場に残る水上機用スリップ
              (現 愛知機械工業株式会社)

・名古屋海軍航空隊と
        愛知時計電機の伊保原飛行場の遺構
             (現 愛知少年院及び市街地)

・愛知縣護國神社 及び 愛知平和祈記念館

・旧陸軍 小牧飛行場の遺構
   (陸軍飛行第五十五戦隊、小牧掩体壕群)
  (現 航空自衛隊 小牧基地・県営 名古屋飛行場)




・歩兵第三師団司令部跡地
 (歩兵第三十三聯隊、騎兵第三聯隊、
   野砲兵第三聯隊、各聯隊本部の跡地)
            (現 陸上自衛隊 守山駐屯地)

・海軍航空隊 明治基地の遺構
            (第二一〇海軍航空隊、他)

・陸軍明野飛行場・陸軍明野飛行学校
 (明野教導飛行師団教導飛行第一飛行隊
                    飛行第111戦隊)
(現 陸上自衛隊 明野駐屯地陸上自衛隊 航空学校)








以下は東海地方の美しい風景の紹介です。
こちらも訪れると…毎度のことですが日本と
日本人に生まれて良かったと本当に実感し
ます。

鰻で有名な浜名湖です。調度、空海が創建したと伝えられる古刹
舘山寺と周辺の舘山寺温泉方面を撮影しています。
浜名湖を通るこの道が日本の大動脈と謂われる東名高速道路です。今では遥かこの
写真の右手奥の更に奥に第二東名(新東名)が走っています。平成24年4月14日に
開通して現在で一年余りが経過したばかりですが…東名に比べ走りやすく快適に飛ば
せました。まだ浜松いなさJCTから御殿場JCTまでしか開通していませんが全線開通
は17年後の平成42年になるのだとか…。





遊覧船にロープーウェィと浜名湖は関東方面と中京地域の
観光客でにぎわう観光地です。名物の鰻が旨かったです。




渥美半島の最先端となる伊良湖岬と恋路ヶ浜
左手は遠州灘…正面に神島、後方に答志島と菅島が見えています。
その更に後方は紀伊半島の鳥羽市方面です。下は堀切海岸です。













伊良湖港をカーフェリーで出港し伊良湖水道を渡り知多半島の
最先端の師崎港に向かいます。下は伊良湖岬の伊良湖灯台。
渥美半島の本州側には三河湾があり、伊良湖水道を渡り知多半島に渡る
と左手に伊勢湾がひろがります。その奥に中部国際空港(セントレア)に
名古屋市があります。



知多半島の最南端 師崎の町の港にフェリーは到着。



接近した台風の余波の影響で雨雲の下に虹が見えました。





南知多の伊勢湾に沈む夕日です。沈む太陽の右側が名古屋市の方向で
夕陽の方向が四日市や鈴鹿方面です。その左手側は松坂や伊勢の辺り
と思われます。…美しいサンセットです。下は夕陽に照らされる南知多で
沖合の陸地は渥美半島や周辺の島々です。



面白い事にこの海域は伊勢湾の内海なので波が無く普段はサーファーも
居ないそうです。しかし台風が接近すると微妙に激しくも無い丁度良い位
の波が来るようで…普通なら生憎の天気の中でマリンスポーツをする人
は少ない中…サーファー達は元気満々で波乗りを楽しんでいました。
地味に黒ばかりのウェットスーツのサーファーばかりの為、
遠目からはオットセイやアシカの集団ように見えます。



この伊勢湾は名古屋を忠心に日本三大工業地帯の一つである
中京工業地帯を抱えている為でしょうが…沖合を行く船の数は
非常に多く、その上の空もまた中部国際空港を目指してと思わ
れる飛行機が常に飛来していきます。美しい海と空と両方のラッ
シュ具合が余りそぐわないようなな感じがしました。




昨年開通した第二東名を初めて利用してみました(上りだけ)。
新東名は従来の東名に比べ現時点の三ケ日JCT〜御殿場JCT
の間だけでも約10kmもショートカットされており、カーブのRも緩
く傾斜勾配も東名より最大3%も低いので確かに走りやすく快適
でした。早く全線が開通した第二東名を走ってみたいものです。
地元浜松の有名店がNEOPASA浜松に出店されているので
早速、浜松餃子を食して帰京しました。








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