トラック諸島に沈む日本の艦船W


(あるダイバーのダイビング記録)


資料提供 元ダイバー様(HN)







潜水記録W




31.一式陸上攻撃機

一式陸攻です。大東亜戦争で活躍した海軍の主力
中攻です。余りにも有名なので説明は、割愛します。

水深15〜18mほど正立した状態である。機体の前部だけが
破壊されている。機体中央のスポンソンより内部に入れる。
内部には、何も無い。













32.二式大型飛行艇

二式大艇、我国が世界に誇った世界最大の飛行艇
全戦線を通して活躍した。余りにも有名ですのでこち
らも説明は、割愛します。

水深約15mで転覆したした状態。翼の処で二つに折れている。
内部には、入れるが何も無い。


左は内部、右は後部
左はスポンソン、右はエンジン
左は機首部の内部、右は中央部内部









33.艦上爆撃機 彗星

艦爆 彗星…大戦の後半に彗星の如く出現した
高速機。しかし形成を逆転するには至らず特攻
機としても使用された。

水面下、正立した状態。エンジン部、操縦席、尾部の三つに
分かれている状態。操縦席の計器類は、無い。


操縦席
機首部









34.零式艦上戦闘機

零戦52型甲…帝國海軍航空隊の代名詞
と言える先の大戦の有名な戦闘機です。
こちらも説明は、割愛します。

水面下、転覆した状態。脚が出ている。翼は途中から折れて
いる。主翼から20mm機関砲の砲身が出ていることから、52
型甲と考える。カウリングは、無い。








トラック大空襲



トラックは、委任統治領として日本が第一次大戦後より実行支配して
おりました。大戦中も夏島に南洋庁トラック支庁が置かれ、トラックに
は、約3万名の日本人が暮らしておりました。昭和19年1月7日以来、
米軍の偵察機が頻繁に訪れるようになり、帝國海軍の一大前線基地
であるトラック来襲も近いと言われ要塞化が進められておりました。
海軍は、厳戒体制をとる一方でトラック諸島の連合艦隊主力を別の基
地へと移動させました。やっと警戒体制が解かれたのが2月16日であ
りました。多くの水上艦の乗組員や航空隊の搭乗員も含め酒を酌み交
わし安心した状態であったと言われています。2月17の未明、突然に
米機動部隊の艦載機の空襲が始まりました。17日と18日の2日間で
延べ1250機の米軍機が来襲し空爆を重ねました。この大空襲により
第四艦隊の在泊艦艇を中心に徴用した輸送船など32隻が撃沈され、
トラック基地の航空機3百機が失われました。備蓄された海軍の燃料
タンクは、燃え尽きるのに一週間を要したと言われています。…元ダ
イバー様が記録した沈船の殆どと航空機は、この時の大空襲により
沈められたものです。






番外編:元ダイバー様の記録より紹介エピソード。



若かりし頃の元ダイバー様の記録は、日記的な側面もあり、非常にユーモア
に溢れて、その人間味に惹かれます。ほんの一部ですが御紹介致します。ま
た20年前の事ですので現在では、有り得ないダイビング事情なども当時は、
ありました。今では、考えられないような減圧無しの浮上するダイバーやガイ
ドがゲストを見ないで勝手に潜らせるなど…当時は、何処でもありえた事です
が念の為、現代では、そうした事は、しっかり管理されており、アバウトな事は、
ありえませんので、お判りとは、思いますが念の為記載しておきます。

番外編のエピソードを御覧になりたい方は、クリックして下さい。






連合艦隊(HN)様よりの御言葉



トラック沈船のこのコーナーを開設した、2005年4月6日
に戴いたお言葉を御紹介致します。

「トラックに眠る沈船」を早速、拝見させて頂きました。
キミオ様、元ダイバー様の不思議な縁を感じます。
また写真撮影には、さぞ大変なご苦労があったことでしょう。

「海征かば 水漬く屍… …」
屍こそ撮影されていませんでしたが、数多くの遺骨が60年
以上もの長い歳月、虚しく波にいたぶられていたかと思うと
胸が熱くなり、心が痛み、言葉もありません。

日本民族の護るべき誇りの為に、莞爾として散りし英霊に
国家は何を以って報わんや?
理不尽と知りつつ、敢然として散りし幾多の英霊に如何に
応えん…。

あれ程の多くの貨物船、輸送船等が沈んだままで、それに
旧軍機の残骸、錆びた高射砲などが放置された状態とは、
初めて知りました。

すべての英霊とキミオ様のご冥福を祈っております。
60年前のきょう4月6日、「大和」は敵の潜水艦の目を
逃れながら沖縄に向かって出撃したのですね。
初公開の日が、「大和」以下の第二艦隊が出撃した日
であることも 何か不思議を感じます。
想うこと多し。すべての英霊に最敬礼!!






故キミオ氏が元ダイバー様達の招きで
来日された時の写真。横におられるの
は、ダイバー仲間の日本人の方でS氏
です。今回、ビデオ映像を御提供下さり
ました。



最近の元ダイバー様






最後に



これらの全4ページに渡った記録をお目にされた方は、もうお気づきでしょう
が、数少ない日本人が戦後、再びトラックの地を訪れダイバーとして潜り始
めた時には、この海をレジャー目的でレックダイビングを楽しむ米国人など
に荒らされ、遺骨は好奇の対象として踏みにじられてもおりました。更に心
を痛める事は、同じ日本人であるダイバーが行っている事です。テニアン等
の旧海軍司令部後などの遺跡には、心無い日本人のイタズラ書きが後を絶
たず…現地の方も諦め顔です。このような行為もまた日本の敗戦で教育を
放棄し奪われ日教組を中心とした教師達や各種左翼系団体の思う壺に嵌っ
た事が要因として大きいのですが、GHQが目的とした日本民族の改造は、
意思を持たぬ民族…自己決定がままならぬ国家の形成という意味では、大
成功を収めたと言えます。…しかし近年、我国にも国民にもナショナリズム
の台頭が巻き起こってきています。まだ大きなうねりを作るまでに至りませ
んが…このような不自然な状況が戦後60年も続けば当然と言えば当然の
事と言えると考えます。…歴史の揺り動きとも言いましょうか。声無き声を封
殺した歴史は、今、出所を模索しているのかもしれません。その中には、こう
した各地の戦場で未だ振り返られず眠り続ける英霊達(軍人だけでなく徴用
により船舶を動かした多くの民間の船員達…も。)の存在も大きい事と思い
ます。大日本帝國が復活する事も帝國陸海軍が復活する事も最早、無いで
しょう。しかし彼等が自存自衛の為、国家国民の為に持てる全ての力を注い
で不可能な戦いに挑み倒れた事を忘れては、なりません。戦争は、悲劇で
す。誰しもがこうした争いを起こさない事を願うのは、当たり前です。しかし、
それだけで旧敵国や周辺諸国(朝鮮、中国、ロシア)の自分達に都合の良
い嘘の歴史を押し付けて、完全否定をされては多くの戦没者も、戦後大きな
悲しみを背負いながら国家の復興に努力した多くの戦没家族達が浮かばれ
ません。…今回、貴重な資料や画像を提供して下さいました元ダイバー様に
感謝致します。…当時、職業としてダイビングをされていませんでしたが、紛
れも無く、イントラをお持ちのプロダイバーでもあった元ダイバー様です。まだ
日本人ダイバーも少ない時代です。こうした経験と技量があったればこその
貴重な資料です。残念な事にプライバシーその他で、御紹介できないエピソ
ードやダイバーとしても非常に興味深い事も多々ありますが諸般の事情に
鑑み割愛した部分もあります。しかし、この事で少しでも、先の戦いが何であ
ったのかを再考する余地を多くの閲覧者の方々に与えてくれるものと考えま
す。また故人となられましたが、日本を慕い、海底で眠る英霊達に慰霊の念
で尽力されたキミオ様と多くのトラックの方々にも心より感謝致します。暖か
い御言葉を下さいました連合艦隊様にも御礼申し上げます。

                          2005年4月6日

                                 憂国烈士