トラック諸島に沈む日本の艦船V |
資料提供 元ダイバー様(HN) |
潜水記録V |
21.りおで志ゃねいろ丸 |
りおで志ゃねいろ丸 9629トン 大阪商船所属の貨客船 戦前に海軍の徴用を受け特設潜水母艦となる。昭和19年 2月17日のトラック大空襲で撃沈される。第六艦隊 第五潜 水戦隊(司令官 醍醐忠重少将)にあった。 |
全長140mの潜水母艦。右舷を下にして横転状態。この船についての 記憶は、殆ど無い。ただ透明度が非常に良く、船体の損傷も少ない また船尾の船倉にビールが一杯あった事を記憶している。この船に潜 った時、『何てつまらないのだろう。…これなら小笠原の沈船に潜った 方が余程、いいや。』と思ったのを記憶している。水深不明。比較的に 浅かった覚えがある。 |
22.第二日の丸 |
第二日の丸 977トン 日本食塩回送所属 海軍に徴用されミッドウェイ作戦では、第二哨戒隊 に配属された。機雷敷設艦に改造された事もあるが 最終的には、輸送船として活躍した。昭和19年2月 17日のトラック大空襲で撃沈される。 |
全長60mの輸送船。正立状態。船首と船倉一つを残して他は、粉々になっている。 船首には、古臭い砲が一門ある。私が潜った時、この砲に傷が付いており、そこが ピカピカに光っていました。砲金とか青銅製のものらしい。恐らく日露戦争以前の 砲なのかも知れない。この砲の下が船室になっているが、周囲の鉄板は、穴だらけ で内部は、柱が残っているだけ。ここは、内も外も軟体サンゴや海綿などが一杯付 いています。この後は、比較的、大きな船倉がある。ここの底まで素潜りすると8ミリ でワンカットようやく撮れる。水深約12〜13m位だと思う。ここの船倉は、空である。 その後ろは、粉々になった鉄板が折り重なっている。二度目にトラックに来た時に 行った時、ホテルの隣部屋の方が富士川市の○○さんと言う陸軍の高射砲部隊の 生き残りの方がおられ、この方の話によると○○さんの部隊がサイパンに米軍が上 陸した時、逆上陸の為第二日の丸に高射砲と弾薬を積み込み、後一時間後に兵士 達が乗込む処で大空襲を受けたそうです。私が水中の様子を話すと『もう一寸空襲 が遅かったら死んでいたろうなぁ〜。』と話されておりました。尚、○○さんの部隊は 中国の牡丹江から”りおで志ゃねいろ丸”でトラックに上陸されたそうです。 |
キャビン |
砲口 |
23.山鬼山丸 |
山鬼山丸 4776トン 鏑木汽船所属の貨物船 昭和18年海軍の徴用を受けて輸送船となる。昭 和19年2月17日のトラック大空襲で撃沈される。 |
全長116mの輸送船。正立状態。ブリッジより前の部分だけが残っている。 ミミのおすすめの沈船の一つ。彼の言うベストは、1、神国丸、2、富士川丸 3、山鬼山丸 である。デッキには、シャーシだけになったトラックが4台位あ る。船倉は、二つあったように思う。前の船倉には、手榴弾がゴロゴロしてい る。ここで水深約30m。また保弾板に実弾が載っている重機関銃弾が大量 に有る。後ろの船倉にも機関銃弾が大量にあった。またこの船倉の奥の暗 い所に、かなり保存状態の良いトラックが一台ある。この船は、マストが一 本残っており、その先端は、海面より突き出ている。このマストには、夥しい サンゴが付着している。 |
トラックの残骸 |
右は手榴弾 |
甲板上のトラック |
24.夕映丸 |
画像なしです。どなたか当時の 夕映丸の画像をお持ちの方、お られましたら御連絡下さい。 |
夕映丸 3129トン 栗林商船所属の貨物船 開戦前に陸軍に徴用され輸送船となる。昭和 19年2月17日のトラック大空襲で撃沈される。 |
全長93mの輸送船。左舷を下にして横転した状態。水深は、海底で約30m ほど。キミオさんの息子 アッピンが発見したのでアッピン丸と名付けられ た。潜った時、非常に小さく感じた。船倉は、ブリッジを挟んで二つあるが 殆ど空である。ブリッジは、前の方が破壊されている。この部分から中を覗 くと小用の便所や、かなり大量の小さな絵皿がある。後に聞いた話だが、 これ等の皿は、殆ど壊されてしまったそうだ。またブリッジの近くには、朱色 の救命ボートが落ちていた。この船には、サンゴ等も余り付着せず、ただ一 つの見所だった食器類も壊れてしまったのでは、何も見るべきものが無い、 潜ってもしょうがない沈船になってしまった。ここで潜った時、小判鮫に付き まとわれた。 |
船腹 |
25.神国丸 |
神国丸 10020トン 神戸桟橋所属のタンカー 開戦前に海軍の徴用を受けて特設油槽艦となる。 ミッドウェィ作戦では、第一機動部隊の第一補給隊 として参加する。昭和19年2月18日のトラック大空 襲で撃沈される。乗員・乗船員合わせて86名が戦 死されている。 |
全長153mのタンカー。正立状態。デッキで水深約27m、晴れた日に潜ると 船全体に付いた軟体サンゴがとても美しい。私は、この船に6〜7回潜った。 船首には砲があるがサンゴが付着しすぎて何が何だかさっぱり判らない。そ の下に船室があるが空である。ブリッジは、三段になっている最上段には、 操縦装置、コンパス等があった。ここでもサンゴがびっしり付いており、オパー ルスイーパーも多く視界が良く取れない有様だった。次の段は、キミオさんの 話では、船長室だという事だけどタイル張りの風呂があった。その下がブリッ ジの中で一番面白く金属製の大きな箱に入った陶器類、壜、ガスマスク等が 有った。後部船室は、二段になっている。上段には、シルトが厚く堆積してい て、その中にガラスコップやコーヒーカップ等がある。下の段は、コの字形の通 路がある。その両側に船室が幾つかあった。右舷側の入り口に最も近い船室 には、一番最初に潜った時、完全な形の頭蓋骨が一つあった。次に潜った時 に頭頂部だけになったものが二つになり、その次に来た時には、目から下が 無くなったものが二つになっていた。通路には肋骨や指の骨が大量に散らばっ ていた。右舷の奥の方には、和式便所二つあり、タイル張りの風呂もあった。 通路の奥の方には、明り取りの窓があり、ここから真っ青な光が差し込んでい てとても美しかった。…骨は、今は無い。 |
上下とも1983年(昭和58年)の水中慰霊祭 |
水中慰霊祭の画像を除き他の画像は、1985年6月撮影のもの。 |
食器類 |
左は船室、右は医務室 |
左は大きな瓶 |
26.花川丸 |
花川丸 4739トン 川崎汽船所属の貨物船 建造と同時に海軍に徴用され輸送船となる。 昭和19年2月17日のトラック大空襲で撃沈さ れる。 |
全長115mの輸送船。正立状態。サンゴや海うちわが非常に多い。 船倉には、荷物が満載されているけれど4エチル鉛と思われる化学 物質が流出しており、内部に入るのは危険で出来ない。私は、首に 大きな傷が出来た。プロムナードデッキには、夥しい海うちわが付着 しており、それらには様々な色の物があり、反対側からライトを照らし てもらうととても美しかった。ブリッジには、大きな部屋があり、入り口 近くに頭頂部だけになった人骨があった。この骨は、後に引揚げられ た。この辺で水深約20mほどだった。 |
花川丸の船室入り口 |
船室 |
マスト |
27.駆逐艦 文月 |
睦月型七番艦 一等駆逐艦 文月(第29号駆逐艦) 排水量 1445トン、全長100m、最高速度 37.2ノット 武装 12cm50口径両用砲4門、7.7mm機銃2挺 61cm魚雷発射管三連装2基 6門、爆雷18発。竣工は 1926年7月3日、第四艦隊に所属し同艦隊の在泊艦艇 共にトラックに居るところ、昭和19年2月18日のトラック 大空襲で撃沈される。 |
殆ど完全な形で残っている貴重な艦。デッキで水深約30m。一番砲塔の 周囲に装薬筒がほぼ完全に残っている。魚雷発射管に穴が開いていた。 ブリッジの中は、ほぼ完全に残っている。前部煙突とマストは、破壊され ている。また機銃の銃身は、殆どが折れてしまっている。機関部からは、 大腿骨四本と頭蓋骨一つが見つかった。ミミ達の話では、頭蓋骨は、四 つあるとの事である。鮫がいた!…ガイドが逃げた事からグレートリーフ シャークだと思う。兵員室には、歌の本があった。 |
魚雷発射管の一部 |
左は魚雷発射管、右は甲板 |
左右ともブリッジの内部、濁りが強く良く判らない。 |
左はブリッジ内部、右は遺骨である |
28.駆逐艦 追風 |
神風型六番艦 一等駆逐艦 追風(第11号駆逐艦) 1925年10月30日竣工、排水量 1720トン、全長102.6m 最大速度 37.2ノット、武装 12cm45口径砲4門, 7.7mm 機銃2挺, 53cm魚雷発射管三連装2基6門, 機雷20発 追風も前述の文月と同様に第四艦隊隷下の駆逐艦として トラックに在泊中、昭和19年2月18日のトラック大空襲で撃 沈される。 |
水深約70m。第一・第二煙突の間で切断されている。前の部分は、完全に 転覆している。一番砲塔の辺りからかなりのワイヤーが垂れ下がっていた。 後部は、のっぺりしていて後部砲座の辺りだけ砲や機銃があった。ミミに言 わせると『文月NO.1、追風は落第!』だそうである。ミミは、ここを潜った事 が無い。沈潜としては、つまらない。某氏のビデオには、化け物みたいな鮫 が映っている。魚影は、かなり濃い。 |
追風の砲座 |
29.麗洋丸 |
麗洋丸 12123トン 東洋汽船所属の貨物船 海軍に徴用され輸送船となる。昭和19年2月 17日のトラック大空襲で撃沈される。 |
全長121mの輸送船。水深約60〜70m程だが透明度が抜群の為、酔わない。 船とは、思えないくらいグシャグシャになっている。煙突は、完全に残っている 。やけにヒョロ長い煙突である。それより前は、グシャグシャでレールが大量に 散らばっている。 |
おびただしいレールの山 |
船室上部 |
30.天城山丸 |
天城山丸 7620トン 三井船舶所属の貨物船 海軍の徴用を受けて輸送船となる。昭和19年2 月17日のトラック大空襲で撃沈される。 |
全長147mの輸送船。面白い事にガイドブックには、45度傾いていると あるが、実際に見ると完全な横倒しである。砲は、完全な形で残ってい て印象的であった。ガイドブックでは、船倉は、空との事であったが、実 際には、航空機の翼、ドラム缶、トラック、乗用車等があり面白い。この 乗用車は、かなり大型で最初は、バスかと思ったほどで、かなりの高官 の使用する車輌と思われた。ブリッジ内部は、ガランとしていて壜が転が っている程度。水深は、約40m程度。サンゴなどは余り無い。 |
左はドラム缶、右は船室 |
天城丸の搭載砲 |
左は男子便所、右は船室内部 |