トラック諸島に沈む日本の艦船U


(あるダイバーのダイビング記録)


資料提供 元ダイバー様(HN)







潜水記録U



J西江丸

西江丸 5385トン 大連汽船所属の貨物船
海軍に徴用され輸送船となる。昭和19年2月
17日のトラック大空襲で撃沈される。

全長120mの輸送船。正立状態。ブリッジ最上段には、ラット、テレグラフ等の
操舵装置がある。その下段は、浴場があり、ここは床もタイルもきれいな状態
でした。ブリッジ内部には、特に目に付く物が無く、せいぜい扇風機がある程
度でした。この沈船の回りは水がきれいで、ブリッジの水もきれいな為、無数
のオパールスイーパーが泳ぎ回り美しい光景でした。ブリッジの前には、空の
船倉があり、更に船首に向うと砲があった。この砲は、陸上で使用する為の
車輪が付いており、私が思うに山砲のようである。車輪は、金属の輪だけが
残りスポークは、無くなっていた。砲には、おびただしいサンゴが付着しており
後でキミオさんに説明を受けて写真を見直し初めて気が付きました。この船の
周囲は、大きな魚もおらず小さな魚ばかりが一杯いました。某氏によると後部
機関室入り口に二つの頭蓋骨があるそうで、これは、キミオさんも確認してい
ないとの事でした。



水中での元ダイバー様、減圧停止中であろうか。
右はサンゴに覆われた砲
共に船室
左は船員室、右は船室内






K伯耆丸

画像なしです。どなたか当時の
松丹丸の画像をお持ちの方、お
られましたら御連絡下さい。

伯耆丸 7112トン 昭和17年7月12日にニュージーランド
の貨客船ハウラキを拿捕し後に伯耆丸と改名し海軍の徴
用船として使用した。昭和19年2月17日のトラック大空襲
で撃沈される。

全長142mの輸送船。正立状態。この船は、後部の二つの船倉のみが
残っている。ブリッジ及びその前部は、グシャグシャニ破壊されている。
どちらかかは、忘れたが片方の船倉の中に捕獲物と思われるブルトー
ザーとトラックが一台あった。ここで水深が約40m。もう一つの船倉に
は、航空燃料のドラム缶があるそうで、これが漏れている為、近寄ると
ヤケドをするのだとの事。私が潜水した時、キミオさんがヤケドをした。
後に本で読んだところでは、当時の航空燃料は、ガゾリンに四エチル鉛
を添加していた。これがヤケドの原因らしい。時に中枢神経がやられ死
亡する可能性も大いにある。この船の積荷で見るべきものは、ブルトー
ザー位で後は、何も無い。しかし海洋生物の美しさは、神国丸に次いで
トラックのNO.2であると思う。透明度も良い。キミオさんは、『アメリカ人
は、魚やサンゴバカだから、伯耆丸を見せると喜ぶよ。』と言っていた。
サンゴ類は、特に美しく、黒サンゴが非常に多い。




左右共にブルトーザー
左はブルトーザー、右は船室






L富士川丸

富士川丸 6938トン 三井物産船舶部所属の
貨物船。海軍に徴用され航空機運搬船となる。
昭和19年2月17日のトラック大空襲で撃沈され
る。

全長140mの航空機運搬船。正立状態。この船は、日本にマストを水面上に
出しているので有名である。1984年頃に片方が折れてしまった。どちらかは
忘れました。キミオさんの話では、片方ももう少しで折れてしまうとの事。最も
船首側の船倉には、整然と並べられた砲弾と五発ずつクリップにまとめられた
小銃弾が大量にある。某氏が撮ったフィルムを見るとガスマスク等もあるよう
です。次の船倉には、バラバラになった零戦や九六式艦上戦闘機があります。
ここで水深は、約27m。しかしここは、いつも大勢のダイバーが入り込んでい
る為、水をかき回し濁っている事が多い。ブリッジをはさんで後部の船倉には、
入った事は、無いが食器類やヤカン、電球のカサ等が多量に有るそうです。船
首には、円形の砲座の上に軽巡にあるような15cm砲があり、その下の前部船
室には、ミミ達が入りにくく細工をしてあり、中に入ると皿やコップなどが少しあ
る。また板の上にシルトを乗せ、その下に本が隠してあった。この本の保存状
態は、非常に良く字がはっきりと読めました。また綴じもしっかりしていました。
ほんの中身は、『空の神兵』だった。某氏は、富士川丸で船員手帳を見つけた
事があるそうで、それを新聞に発表した事があるとの事。ブリッジ内部は、無線
機があったり、風呂場や厨房があったり見る所が多い。厨房には、ギャレース
トーブや中華鍋、擂鉢等がある。食堂には、皿やフォークやナイフがあった。こ
のナイフは、記念に私の家にある。厨房の入り口付近のデッキには、畳二畳ほ
どの大きさのステンドグラスが落ちていた。これは、殆ど壊れていなかっが砂が
かかり判りにくかった。



トイレと右は浴室である。
右は、九六式艦戦のコクピット部が見える。
左はエンジンルーム、右は本です
富士川丸の砲






M伊169潜水艦

海大6型a一等潜水艦である 伊169潜水艦は、基準排水量
1400t, 水上 1785t, 水中 2440t 全長 104.7m 全幅 8.2m
上記の画像のように元は、伊69であり、1942. 5.20 に改名
し伊169となった。速力 水上 23ノット,水中 8.2ノット。兵装
は、 53cm魚雷発射管 6門, 10cm/50口径砲 1門, 25mm
機銃 1門であった。通常時、乗員は、60 名から85名であ
った。第六艦隊 第三潜水戦隊 第十二潜水隊に所属した
伊169潜水艦は、主にオーストラリア方面で作戦に従事、そ
の後一時、キスカ・幌筵方面の作戦に従事しラバウル方面に
進出しブカ、ブイン輸送に従事。昭和19年4月4日にトラック環
礁の夏島沖に停泊中、米軍のB24爆撃隊の大空襲に遭い、
急速潜行するが荒天通風筒頭部弁の閉め忘れの為、たまた
ま上陸中の艦長以下21名を除く乗員103名が死亡した。潜
行事故として同年6月10日除籍されている。  

全長105mの潜水艦。正立状態。この潜水艦は、事故で沈没した為、後で
機密保持の目的で司令塔部を爆破している。そのために司令塔爆破部分
で完全に切断されている。前部の方は、完全にグシャグシャで2回潜水し
たが2回とも後部の方を見た。最初に潜る時、ミミに中に入るよう頼んだが
『ダメだ。連れて行くとクビになる。』と断られたが、次にクラークに頼むと『
ノー・プロブレム』でO・Kだった。水深は、40mしかないけれど6mで10分。
3mで20分の減圧をさせられた。Bottom time 20分。キミオさんに2回目
頼んだ時もすんありO・Kで後でミミに聞くと、潜水艦の内部でアメリカ人の
ダイバーが死亡した為に内部の立ち入りが禁止となったとの事であった。
この時のガイドは、どうもクラークらしい。それからクラーク達は、年に1〜2
回しか行かなくなったそうだ。その後、トラック政府が内部への立ち入りを
禁止した。キミオさんに後で頼んでも首を縦に振らなくなった。内部に入る
事に関して後でミミに頼んだところ、水中銃と交換でO・Kらしく、後で送っ
た。この潜水艦後部の切断部は、両側から爆圧で潰されて千切れた様に
なっていて、ここから内部へは、入れない。またここに金属製のラットがみ
られる。切断面付近では、艦の外観もかなり吹き飛んでしまっており、円
筒形の内殻が見える。後、見る所は、後部ハッチのみ、ここを開いて中を
見せてくれるが、上からでは余り良く見えない。このハッチは、タンクを付
けたままでも入れそうだった。死んだアメリカ人ダイバーは、BCが膨らん
でこのハッチから出られなくなったそうで、ミミに言わせると『フグみたい
だったぞ。』…ここの周囲は、水がすごく汚い。魚も少なく、サンゴの付着
もあまりない。






右は砂地に落ちた潜望鏡
切断部分
ハッチと船腹






N平安丸

平安丸 11622トン 日本郵船所属の貨客船
開戦前に海軍の徴用を受けて第六艦隊第六
潜水戦隊の特設潜水母艦となる。 昭和19年
2月17日のトラック大空襲で撃沈される。この
船は横浜にある『氷川丸』の同型船の3番船
となります。日本郵船が北米航路シアトル線を
強化すべく建造した、高速貨客船でした。

全長163mの特設潜水母艦。左舷を下にして横転した状態。大砲等が全く
見当たらない。キミオさんもクラークもプロムナードデッキだけを見せる。こ
のデッキには、潜望鏡が一本、その他バルブ類等があるだけで余り面白く
ない。また皿が2〜3枚とコーヒーカップが一つだけあるだけ、ここで水深
約15m。ブリッジの中には、テレグラフがあった。右舷には、ローマ字と漢
字で船名が記載されているが表面をナイフで削り、真鍮の下地が出てい
てガッカリする。某水中カメラマンがこれを撮りたいと言った時、このような
状態の話をすると撮影を中止にした。左舷側船首部には、一面に黄色の
花のような軟体サンゴが付着しており、暗くなってから潜ると、素晴らしく
美しい。平安丸の見所は、ここだけである。

左はテレグラフ、右はバルブ
左はプロムナードデッキ、右は横倒しの船腹






O哨戒艇 34号(旧二等駆逐艦 薄)

哨戒艇34号(二等駆逐艦 薄)最大排水量 1020トン
樅級の二等駆逐艦であったが昭和16年4月10日に哨戒
艇34号として改造。駆逐艦時代の武装は、12cm45口径
砲 3門, 7.7mm機関銃 2挺, 53cm魚雷発射管 連装2基
4門であったが、哨戒艇に改造後は、12cm45口径砲 
2門, 25mm対空機銃 6門, 爆雷60発を搭載した。最大速
度は、18ノット。駆逐艦時代の乗員数は、定員が110名
であるが哨戒艇になってからは、不明。画像の上が哨戒
艇に改装後の薄である。下の画像は、駆逐艦時代のもの
である。薄は、開戦当初は、比島、蘭印各地を転戦後、ミ
ッドウェイ作戦にも参加、17年8月よりガダルカナル島や
ソロモン方面の輸送や船団護衛に従事した。18年3月に
船団護衛中にカビエン南方で標的艦”矢風”と衝突し、薄
は、沈没し矢風も艦首を失うという事故に遭う。と記録によ
ると記載されておりますが、実際は、大破しトラックに曳航
さえたのが事実のようです。

cf.第29号駆潜艇:公式記録では、この沈船は第29号駆潜艇
            となっております。これは、何処かの日本の
            ダイビング関係の記者がトラックで潜って、
            この沈船を見た時に「駆潜艇29号」と思い
            込み、ミクロネシア特集号に記事とイラスト
            を書き、それを厚生省が鵜呑みにしたのも
            のだとの事です。また元ダイバー様も『砲座
            の形状は二等駆逐艦の物に紛れも有りませ
            ん。砲座と甲板の間には部屋が有ります、駆
            潜艇の砲座の下には部屋は有りません。船
            尾は横から見ると楔形になってますが、これ
            は哨戒艇の特徴です。駆潜艇29号は駆潜
            艇28号型ですが、それまでの駆潜艇の艦
            尾がやや前に傾いていて、それが船の保進
            性を悪くしたので、28号以降は船尾は喫水
            以上では垂直になっているのです。と云う事
            で「楔形の船尾」は少なくとも駆潜艇29号で
            ある事の否定材料になります。』と明快に仰っ
            ておられました。



第29号駆潜艇 最大排水量 425トン 28号型駆潜艇の
2番艇として昭和17年4月に竣工。第32駆潜隊の司令艇
(司令 中俣勇中佐)として17年12月ラバウルで対空哨
戒など従事していた。上の画像は、29号駆潜艇の艦橋部
のアップと下は、同型艇の28号駆潜艇である。29号駆潜
艇は、記録によると昭和19年2月18日のトラック大空襲で
撃沈されています。同年 3月30日 除籍。武装は、8cm
40口径対空砲 1門, 13.2mm対空連装機銃1門, 爆雷36
発で最大速度16ノット、定員80名となっています。

第28号であれば全長約50m、哨戒艇34号(薄)であれば全長約83.8m。正立状態。
この船は、現地ではススキ(薄)と呼ばれているが、日本では、駆潜艇29号だと言わ
れている。この為、遺骨収集にあたっても駆潜艇29号としてなされた。しかし私が艦
形を見る限りでは、二等駆逐艦 薄を改造した哨戒艇34号以外、何ものでもないと
思われる。キミオさんは、この船が沈められた当時の事を知っているそうでソロモン
方面でブリッジと前部煙突の間で切断されたこの船がタグボートで引っ張られて来た
のを見たそうだ。その後、修理され修理終了の3日目に空襲があり沈められたの事。
この船の上部構造は、殆ど破壊されている。円形の砲座は、二つ残っているが砲は
無くなっている。砲座の下には様式トイレが二つあった。この辺から館内への入り口
が有る筈だが、ここから中は、入れそうになかった。しかし船尾の方に小さなハッチ
があり、ここからどうにか中に潜り込めた。ここを抜けるのは、非常に窮屈で痩せた私
でもかろうじて入り込める程度で普通のダイバータンクを外さないと入れそうに無い。
内部には、バッテリーや一升瓶、雨合羽、ガスマスク等があった。雨ガッパは、テレビ
朝日のカメラマンの為に外に出してあげたので無くなってしまった。ガスマスクは、少
し触るとバラバラに脆く崩れた。船尾には爆雷が4発あった。この船尾は、横から見る
と楔形をしており、これは哨戒艇の特徴である。スクリューは、二つあり、輸送船のそ
れと違い如何にも高速を出しそうな船のものらしかった。ここで水深は、約15m。また
廷内に無理矢理入り込む、更に前方へ身体を無理矢理押し込むとエンジンルームを
見る事が出来る。ここでは、大型のゲージ類もあり、高速艦らしい雰囲気が感じられ
る。しかしガイドは、艦内には入らず客のダイバーは、全く一人で行動する事になるの
で非常にリスクが大きい。デブは、死ぬ事間違いなし!…人骨があったらミミが持って
きたものかもしれない。

左は、バッテリー。右は、テレグラフ。
左は、バラバラになったガスマスクの濾過器。右は、エンジン。

尚、哨戒艇34号に関しまして余談ですが、元ダイバー様のお話では、『戦前、日本海軍は
本来の目的を隠すために、別の艦種名を付けることが有りました。古い二等駆逐艦を改造
し、強行上陸の目的に使えるようにした物を「哨戒艇」と呼びました。哨戒艇34号は、二等
駆逐艦「薄」を、強行上陸に使えるように改造したものです。艦尾から大発を滑り降ろせる
ように艦尾までスロープをつけたのが特徴です。このスロープのために、横から見ると艦尾
の形状が楔形なのです。改造後も、以前の名称「ススキ」と呼ばれていたようです。』との
事です。
右は薄の後部、左は後部兵員室
砲座






P宝洋丸

宝洋丸 8691トン 日東汽船所属 開戦前に海軍に
徴用され特設給油船となり第4艦隊に配される。昭和
19年2月17日のトラック大空襲で撃沈される。

全長148mのタンカー。完全に転覆の状態。海底で30m。船は完全にひっくり
かえり、その全面に脳サンゴが付着しているので船のようには見えない。真
ん中で二つに切断されて前部と後部の落差は、50cm程ある。この船は、コバ
ルトスズメの大群に覆われている事が多うそうだ。この大群は、ビックリする
ほどの群れで美しかった。ツノダシも多い。船の前方の穴から中へ入るとガラ
ンドウでせいぜいワイヤーやモーターのようなものしかない。後部の穴から入
ると機関室を見る事が出来るが、特に配電盤が美しかった。エンジンも天井に
ぶら下がった状態だが下に落ちていない。


左は、エンジン。右は逆になり沈んでいる船底。
左は逆さの船底、右はキミオさん
ラッタル






Q清澄丸

清澄丸 8613トン 大阪商船所属 
開戦前に海軍に徴用され特設仮装巡洋艦となる。
昭和19年2月17日のトラック大空襲で撃沈される。
戦死者は、1名とも40数名とも言われているが定か
では無い。上の画像は、民間船の時代。下は、偽
装迷彩を施した仮装巡洋艦時代のものです。

全長140mの仮装巡洋艦。左舷を下にして横転状態。海底は、水深約30m、
ブリッジ後方の船倉に自転車が積んである。ここには、他に目立つものが無
い。ブリッジに入った人は殆ど居ないそうで内部の詳細は、不明。誰も横転し
た船の船室には、入りたがらないようだ。ブリッジには、25mm連装機銃があ
るが、その少し後方の窪みの中にミミ達が大腿骨5本位と頭蓋骨を一つ隠し
てあり私に出して見せてくれた。ブリッジの前方には、5箇所位砲座があった
が砲は、船首に一門あるだけ、しかも砲は、夥しいサンゴが付着しておりミミ
に指摘されないとまるで判らない状態だった。後で一緒に潜ったアメリカ人が
言うには、魚雷発射管も有ったそうだが、ミミも気が付かなかったそうだ。


左は自転車。右は、遺骨である。
25mm連装機銃
ドラム缶






R山霧丸

山霧丸 6439トン 山下汽船所属の貨物船 
開戦前に海軍に徴用され輸送船となる。昭和
19年2月17日のトラック大空襲で撃沈される。
戦死者10数名。

全長140mの輸送船。左舷を下にして横転状態。船倉の中には、45cm砲弾(?)
の弾頭が相当ある。これは、竜骨(キール)にも引っかかっている。下の方にも落
ちている。ここには、モーター類や機械類も転がっている。ブリッジの後方から機
関室に入る事が出来る。機関室では、エンジンのシリンダーだけを見てきた。海
底で水深約45m。船には、黒サンゴが付いていた。


朽ち果てかけているドラム缶
46cm主砲弾頭
右は、プロムナードデッキ
左は、モーター。右は積荷
プロムナードデッキ






S五星丸

五星丸 1931トン 太洋汽船所属の貨物船 
昭和18年9月に海軍に徴用され輸送船となる。
昭和19年2月17日のトラック大空襲で撃沈され
る。

全長90mの輸送船。左舷を下にして横転状態。大きな4枚羽のスクリューが
一つある。ここで水深約3m、この船は斜面にあるので船に沿ってそっと潜る
とすぐ水深20m位になってしまう。マストを超えた処辺りで水深約15m、これ
よりちょっと行くと船倉があり、ここには木材を直接運ぶ為の大きな作りになっ
ている。ここから入り左舷側から少し船尾の方へ行くと航海灯が八つ入った
箱がある。後部船室へ行くと機関室への入り口がある。機関室は非常に狭く
るしく、また出っ張りも多いので装備類が引っ掛かり易い。デブは、死ぬ!


右はエンジンルーム
左は船内を泳ぐコショウダイ。右は、プロムナードデッキ

横倒しの五星丸