嗚呼、鎮魂のぺリリュー島:慰霊の旅 U |
(天皇の島) |
Helmet-Wreck(海軍徴用貨物船 吉備丸?) |
マラカル港沖に沈む貨物船です。正立状態でほぼ原型を保って います。3つの船倉があり、うちの二つには、爆雷が積載されて います。船主側の船倉の一つには、海軍機のエンジンが4つ積 載されています。船尾の舵が残り、スクリューは、持ち去られてい ます(スクリューの材料の燐化青銅が高価な為、サルベージされ たのだと指摘されています。ラバウルにも沈船が沢山有るのですが、 スクリューは大分引き揚げられたそうです。またロタ島の沈船もスクリュ ー無いのもこのせいとの事です。)。当初、計画では、今回、ぺリリュー 島の慰霊が主体でレックダイビングの予定がありませんでした。この為 、撮影機材に水中ライト等を日本より持ってこなかったため、暗い画像 となっています。また水中ビデオ撮影が主体で、簡単なデジカメによる 撮影となっております。通称、ヘルメット・レックと言われるポイントです。 一部では、栃木汽船所属の吉備丸(2909t)との指摘もございますが 、まだ定かではありません。 |
左は船尾部の甲板に短8cm高角砲と 思われる備砲が突き出ているのがわ かります。右の画像は、舵です。 |
ここは、比較的浅く水深15m〜35m位の間で船は、存在 しています。私のダイコン(ダイブコンピューター)の記録で も最大深度は、30.2mで記録され、平均17.1mで約43分 (安全停止の約3分間を入れて)のダイビングとなっていま す。透明度は、悪く10m以下です。内部は、一部しか入れ ません。ブリッジは、完全に吹飛ばされています。その下の 船室などは、残っています。 |
左は、マストの一部。右と下は、第二・三 船倉に積載された爆雷です。 |
ガイドのダイバーです。彼と比較すると 爆雷の大きさが判ります。 |
後部甲板の高角砲です。下の画像、左は、 ガスマスクの吸収缶です。右は、弾頭部で す。この横に薬莢に当る部分が箱でありまし た。砲の装填部の周囲には、軽機関銃が2 丁朽ち果てて落ちていました。 |
船倉上のデッキからプロムナードデッキに上る階段。 |
右は、ヒューズボックスと思われる。 |
右は、第一船倉の栄エンジン若しくは、 金星エンジンと思われる。4つ搭載され ている。 |
上の4枚の画像は、N.O様が提供して下さいました。 |
Jake Seaplane (零式三座水上偵察機:愛知 E13A) |
アラカベサン島の沖合いの水路上に沈む零式水偵(初期型の11型 と思われる)。対岸のコロール島の海軍水上機基地より飛び立って すぐに撃墜されたようである。平均水深12mの浅瀬に正立状態で 沈んでいる。後部半分が吹飛ばされているが、両翼も大方が残っ ており、右のフロートは、外れているが、左は、主翼に付いて残って いる。また機首のエンジンは、脱落しかけて折れているがプロペラも 残っている。驚くべきは、操縦席、通信席、後部銃手の席のアクリル ガラスがまだ健在で残っている事です。また周囲には、無線機やコ イル、ヒューズボックス、ワイヤー、長波延長線輪などが散乱し、60 kg爆弾も一つありました。また主翼の下に60kg爆弾の投下吊具が 残っていました。フロートも良い状態です。 |
このダイブも予定外の為、水中ライトの無い 撮影で往生しました。透明度は、ここも悪く 10m以下。maxで14m、平均水深11.6mで 約50分のダイビングで撮影を行ないました。 |
これは、九六式空三号無線電信機用 長波延長線輪です。 |
九六式空三号無線電信機用長波延長線輪 |
無線機と思われます。 |
大きく外れて遠くに吹き飛んだ右翼下の フロートの先端部分 |
機首部分を正面から見て撮影しています。 |
右は、後方機銃手の座席です。 |
右の画像は、左翼になります。フラップは 朽ち果てています。 |
左は、無事なフロートの先端部。右は、脱落 しかけているエンジンとプロペラ。 |
左は、60kg爆弾の残骸! |
水中での状態! |
一一型(E13A1):零式一号水上偵察機一型(性能) 全長 11.30m 全高 4.70m 全幅 14.50m 翼面積 36.00m2 自重 2642kg 最大重量 3640kg 最高速度 376km/h(高度2200m) 上昇限度 8730m 航続距離 2000〜2600km プロペラ:可変ピッチ3翅 発動機 三菱"金星"四三型空冷複列星形14気筒 公称1080馬力×1基 乗員数 3名 総生産機数:1350機 武装 7.7mm機銃×1、60kg爆弾×4 or 250kg爆弾×1 |
以下の画像は、N.O様が提供して下さいました。 |
ゲメリス島(Gemelis Island)の防空壕 |
ゲメリムス(または、ガムリス島)は、リーフに ”ブルー・コーナー”や”ニュー・ドロップ・オフ” という有名なダイビング・ポイントがある事で 知られています。この島は、上の画像のように 引潮の時にラグーン側にある向かいの小島と 砂浜の道で繋がる事から『ビック・ビーチ』と呼 ばれています。 |
オモカン島(無人島)の戦闘跡 |
オモカン島は、ダイビング中のランチやシュノーケリングで使用される 数ある無人島の中の一つです。たまたまランチをこの小さな島で食べ ていたら、ガイドさんの話から島の内部のジャングルの中にはいると 数年前まで遺骨らしき物と共に旧日本軍の戦闘の跡があるらしいと 聞き、船の出港前の僅かな時間を使い、探索しました。道無き密林を 登り蔦を払い滑り転びながら辿り着いた場所は、島の中央近くで火山 岩の高台から丁度、円形に10〜15uの窪みでした。真中は、沼のよ うに薄く真水を湛えています。しかし、パラオの島は本島と一部の島し か土は無く、サンゴの堆積と火山岩で出来た島が殆どですので、この 水は地下水などの湧き水では無く、周囲の高台(サンゴや火山岩で出 来た)からスコールなどの雨水が染込み濾過されて溜まったものと思 われました。その円形のホールの中に蔦を伝いなが何とか降りると、 高さは丁度7〜10mの天然の隠れ家のようでした。ホールには、幾つ かの洞窟があり入り口の前には、射撃の遮蔽物となるように石などが 積み上げられていました。かなり長い年月が経過している事は、その 石などに苔が深く生している事から推測できました。洞窟は、深く懐中 電灯を持参しなかったので真っ暗で判りませんんが、この奥に遺骨が あるらしいとの事でしたが真っ暗で遺骨は、確認できませんでした。し かし、ホールの中には、日本軍の使用したと思われる朽ち果てたドラ ム缶が2個、各種の迫撃砲弾の残骸、擲弾筒の発射後の擲弾の残骸 、小銃弾、朽ち果てたゴムなどに一升瓶や小瓶などの生活の名残も散 乱していました。米軍の物と思われる薬莢や不発の迫撃砲弾などもあ りましたので、戦闘が当行なわれたのは、間違いが無いようです。当 時、この島が日本名で呼ばれていたかは、定かではありませんが、周 囲は、ビーチが一部しかないので一周できませんが船で回っても僅か な小ささの無人島で日本兵が隠れており、米軍と戦闘状態に入り、人知 れず戦死していった事を考えると胸が熱くなり涙が零れてきました。僅 か1cmにも満たない水溜りの水を啜り…故郷を遥か三千キロも離れた 南海の孤島で…。ここで戦い亡くなった名も無き将兵は、何を想い戦っ たのでしょうか?…厚生労働省は、パラオ…ぺリリューの遺骨収集は、 全て終了したと言いますが、まだ密林を掻き分けると多くの遺骨が出 ると現地の方は、みな口を揃えます。官僚仕事、お役所仕事とは、言い ますが…怒りが込みあがります。赤紙一枚で輸送船に乗せられて辿り 着いた名も無き島…途中で輸送船が撃沈され辿りついた将兵である可 能性もあります。この周囲には、多くの沈船がある事ともう一つは、軍が まとまって存在した島からは、泳いで来るのは不可能に近い事です。ぺ リリュー島からコロールの軍司令部まで沖縄出身の泳ぎが達者な兵が 辿り着いていますが武装はしていません。引き潮で浅瀬を歩き島伝いに 歩き、出来るだけリーフ内を泳いだものと思われます。それにしても、流 れの速い激流と言われる水路や海を泳ぎきらなければなりませんので 驚きます。この島の兵は、結構な重武装です。少なくも小銃のみの軽武 装で戦闘した感じでは、ありません。擲弾の発射痕や迫撃砲弾、手榴弾 などとドラム缶がそれを裏付けます。私には、これらの物資と共に流れて 付いた将兵のような気がします。 |
普段は、世界中から集うダイバーや観光客が 上陸する美しい無人島です。 |
これ等の島は、所謂、ロック・アイランドと言われる コロール島からぺリリュー島にかけて約30kmに及 ぶ広大なラグーン(環礁内)に点在する大小200余 りの島々です。これらは、前述したように火山活動 によって押し上げられて隆起したサンゴがベースで あり地質は、脆い石灰岩である。 |
左右ともに洞窟があります。右の洞窟の 入り口の前には、ドラム缶があります。 |
ホールの真中にある沼のような水場。 ホールの天井部より光が差し込む。 |
幾つもの洞窟が周囲にあり、結構な 人数が隠れる事が出来る。 |
各所に散らばる砲弾や銃弾など…。 |
擲弾の発射した残骸、2発。他にも 数発が散乱していました。 |