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(旧軍の遺構資料館など)
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(中京・東海エリアに点在する旧軍の遺構や資料館を巡る) |
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現在は太刀洗いに移転した零戦32型です。以前、名古屋空港に 展示してありました時に戦艦榛名様が撮影したものです。 |
旧陸軍第七飛行聯隊・浜松陸軍飛行学校
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現 航空自衛隊 浜松基地 広報館
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かつて陸軍第七飛行聯隊(後の飛行第七戦隊)や浜松陸軍飛行学校 (後の浜松教導飛行師団)のあった地です。現在は航空自衛隊の浜松 基地が置かれています。 |
陸自のリックンランドや海自のセイルタワーがあるように空自にはエアーパークがあります。 先の暗黒の民主党政権下では悪名高き無駄の事業仕訳の為に有料化され来客数を大幅 に減らし、安倍自民党政権が復活すると再び無料化され多くの国民が自衛隊に親しむ事が 可能となりました。目玉の零戦から歴代の航空自衛隊の軍用機や搭載火器等がたくさん展 示されており…旅行会社やバス会社の大型バスがちゃっかり観光コースにいれているのも 何となく頷けます(苦笑)。 |
もう二度と売国と反日の在日・民主党の政権はゴメンですね! |
自衛隊にとっても国民にとっても最低最悪の政権でした。 |
エアーパークの外の展示航空機等です。 |
零式艦上戦闘機五二型甲(A6M5a)
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この天井から吊るされて展示されている零戦は、グアム島から回収された 生まれ故郷である三菱重工大江工場にてレストアされた日本国内での初 の復元機第1号となった零戦です。 |
三菱重工名古屋製作所の製造番号4685の零戦52型甲です。343空の所属機で 昭和19年6月にグアムで撃墜された機体です。昭和39年1月に当時の防衛庁が 返還を受けました。 |
どの角度から見ても流麗で美しい機体ですね。 |
離発着訓練中の救難ヘリコプター UH-60J |
拝観した日は平日で天気は生憎の雨模様でしたが何度も 繰り返し離発着を繰り返し訓練されていました。 |
浜松基地資料館(外観のみ)
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日程と時間の都合で中を拝観する時間なく帰りがけに外観のみ基地外 から撮影した数少ない陸軍航空隊時代の遺構です。浜松基地資料館 として残されています。 |
旧 豊川海軍工廠の遺構 |
・豊川市 桜ケ丘ミュージアム
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愛知県豊川市…かつてこの地には東洋一と謳われた兵器工場がありました。 大戦末期に大空襲を受けて焼け落ちて多くの犠牲者をだしました。その中には 動員学徒など多くの女学生や大学生、中・高生達が含まれておりました。 |
豊川市 桜ケ丘ミュージアム |
豊川市の桜ケ丘ミュージアムです。当時の豊川海軍工廠の敷地すぐ横に 位置する場所です。毎年夏になると豊川海軍工廠やこの街にあった戦争 について語り継ぐ為に”豊川海軍工廠展”を開いています。 |
↑ 上のバナーをクリックすると豊川市のサイトが開きます。 |
夏季の”豊川海軍工廠展”以外の時期の常設展示は意外とショボイものです。 |
豊川稲荷の豊川海軍工廠戦没者供養塔 |
昭和20年8月7日、米軍のB-29超空の要塞の大編隊による大空襲で 豊川海軍工廠は爆撃でその機能を失い多くの人が犠牲になりました。 その戦没者は2,477名にのぼりました。この犠牲者達の為に豊川海軍 工廠旧職員の生存者達により建立された供養塔です。 塔中には戦死 者名簿と豊川海軍工廠の土を納めてあります。また台座周囲には戦死 者名を刻んだ石版が組み込まれております。 |
私が参拝に訪れた日も・・・御遺族と思われる老夫婦が献花し線香を手向けておりました。 |
豊川海軍工廠の関係の碑ではありませんが、ご当地の明治三十七八年戦役 即ち日露戦争で徴用され戦没した牛馬の慰霊の記念碑です。かなり立派な 物で美しい馬の像が二体もありましたのでオマケで掲載します。 |
豊川市 諏訪墓地 (豊川海軍工廠諏訪慰霊碑) |
こちらには海軍工廠の会計部や総務部のように所属部署別の慰霊塔や 海軍工廠で戦没した動員学徒の出身校別の慰霊碑や家族が立てた個 別の慰霊碑や墓が建立されています。 |
愛知高等実修女子校慰霊碑の慰霊碑 |
豊川海軍工廠総務部戦没一同60柱 |
豊川海軍工廠工員養成所 友魂之碑 |
ありし日の第一養成所の写真です。 |
立命館大学の戦没学徒四名の慰霊碑 |
松操高等女学校 戦没動員女学生及び職員の慰霊碑 |
昭和19年の松操高等女学校2年生の動員時の写真です。 |
松操高等女学校殉職者之墓 |
早稲田大学戦没学生之碑 |
豊橋市立商業高等学校 豊商健児之碑 |
豊川工廠会計部戦没者之碑 |
豊川海軍工廠 総務部電気工場供養塔 | 元豊川海軍工廠会計物資部 戦没者五十三柱之霊 |
豊川海軍工廠 空爆犠牲者供養塔 |
日本車両 豊川製作所の正門 (旧 豊川海軍工廠正門) |
現在、日本車輛の豊川製作所の正門は旧豊川海軍工廠の正門となります。 |
上は空襲で大きな被害を受けた後の正門付近です。 |
陸上自衛隊 豊川駐屯地
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陸自の豊川駐屯地です。この敷地もかつては豊川海軍工廠の一部でありました。 今は当時の建物が二棟残るのみで遺構らしい遺構は無いそうです。 |
基地の目の前にはコニカミノルタ(コニカミノルタ株式会社 瑞穂サイト) が見えます。まさしく豊川海軍工廠の旧光学部調整工場でありました。 |
この下のバナーをクリックすると駐屯地の公式サイトが開きます。 ↓ |
三河資料館です。御当地の昔からの民俗資料から旧軍時代に 現在の自衛隊に至るまで幅広く展示しています。 |
自衛隊の展示コーナーです。 |
不思議な事に自衛隊コーナーは撮影可ですが、旧軍展示品は撮影不可とか 意味が不明で判りません。特にこれは凄いという展示品は多く無く…目玉と 謂えば、真珠湾攻撃の暗号文でしょうか。広島湾上に浮かぶ聯合艦隊旗艦 の戦艦”長門”から山本五十六GF長官より”新高山登レ一二0八”が打電され ました。その他は九二式重機関銃がキレイで四四式騎兵小銃も程度が良さそ うだった位で…展示品に撮影を隠すほどの凄い物はありませんでしたので頭 の中は????…でした(苦笑)。また展示品のキャプチャーは間違いが多い のがかなり気になりました。…ちゃんと修正されると良いのにと老婆心ながら 思いました。 |
この建物は豊川駐屯地でも殆どなくなった工廠時代の建物です。外壁はリニューアルされ 窓もアルミサッシに替えられていますが、間違いなく当時の建物だそうです。これも遠から ず予算が下りれば耐震の新しい建物に替えられるとの事でしょう。 |
旧豊橋陸軍教導学校の歩哨所 |
豊川市運動公園 平和の像 (旧 豊川海軍工廠神社跡地) |
豊川市運動公園の一角にある平和の像 |
かつてこの運動公園は豊川海軍工廠神社がありました。 |
南門橋交差点の戦没者供養塔 |
穂ノ原の南門橋交差点角にある二つ目の供養塔です。この 供養塔は市民の希望により建てられたものと謂われています。 |
しかしこの供養塔の由来を示す掲示板は鏡面仕上げで光りすぎて よく読めません・・・説明の銘板としては失格だと思います! |
メチャメチャキュートだったので買ってしまったQPシリーズです。 |
こちらもお土産によく買われる予科練像の模型です。 |