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鎮魂の旧大日本帝國陸海軍・番外編 SP







旧軍の遺構や資料館など・・・北海道編



(北海道エリアに点在する旧軍の遺構や資料館を巡る)








先の大戦が敗戦という不幸な結果で終わってから
65年が経過しました。敗戦国という現実は誠に厳
しく良い事も悪い事も当然あっただろうが、反日マ
スゴミと反日日教組が支配するこの国では全ての
諸悪の根源とされ忌み嫌われるのが旧軍の残渣
や遺構、余波的また末裔的な存在の全てです。
各地に残る遺構の中には、その謂れや歴史すらが
意識的に隠蔽され消え去ってしまった物も多く…そ
の遺構を訪れて驚く事も多々あり…改めてこの国
の特殊な事情の虚しさややりきれなさを痛感します
が、戦後半世紀以上が経過し堅牢であった遺構も
崩壊が始まったり地域の事情や変化で取り壊しが
進み姿を消すものも多くなり改めて歩ける範囲で
再訪し記録を残すべきと感じました。時間の許せる
範囲で巡る事が出来た最近の遺構を紹介したいと
思います。
特別ページは、北方領土と樺太とを特集します。
北海道生まれであり樺太からの引揚者を親族に
多く持つ管理人としては特別に強い想いがありま
す。







慟哭の南樺太・北方領土…。



沖縄の報道…混迷する普天間問題を含め北海道人として
また樺太・北方領土の引揚者を親族に持つ者として感じる
のは…気持ちが判らないわけでは無いが、時に被害者感
情が余りに強すぎて傍目から見ていて閉口する想いが多
々感じる事がありました。10代の頃…初めて訪問した沖縄
えお思い起こします。樺太や北方領土のように国内で激し
い地上戦が繰り広げられた島です。一般市民に多くの犠牲
が出たことも共通します。そして最も多くの沖縄戦の戦死者
・犠牲者を出したのは勿論、筆頭は沖縄県民ですが…県外
者で最も多いのは我郷土・北海道・樺太の出身の兵士です
。北国の兵士が慣れない猛暑の密林で沖縄県民を守る為
に故郷を想いながら戦死されました。その数は約一万一千
余名に上り…沖縄防衛の全日本軍の20%に達します。

10代の頃…初めて訪れた沖縄県平和祈念資料館の外の公
園で都道府県別の墓碑銘に合掌し頭を垂れた時に改めて
北海道〜樺太出身者の犠牲者の多さに驚きました。また私
の亡くなった祖父母や高齢の親族達が…生前に沖縄の基地
問題に触れた時…漏らした感想が忘れられません。…『我々
の故郷である樺太や北方領土には最早、再び帰り住む事は
適わない。もしソ連軍でも米軍基地でも半分以上が基地であ
っても返してくれる…戻してくれる…と謂うのなら、是非、帰り
たい。七割を軍事基地にしても構わない…是非、生まれた島
で死にたい。…我々のように島が戦場となり住民の犠牲者も
多数だしながら命からがら北海道に引き揚げた者等にとって
沖縄県民のように生まれ故郷に住める事は羨ましい事であり
…やっと墓参しか許されない身の上の旧島民にすれば沖縄
の基地問題は、贅沢な話としか受け取れない…。』…毎度、
普天間の問題や沖縄の基地問題が語られる時、その話が頭
に浮かびます。宗谷岬から晴れた日に見える樺太…知床半
島から手を伸ばす距離に感じる国後・択捉島など北方領土
…これを目にすると想いは複雑に交差します。





日本最北端の碑が建つ宗谷岬です。条件の良い日には43q先の南樺太
(サハリン)を見る事ができます。横に間宮海峡を渡った間宮林蔵の銅像
が建っております。


あいにくこの日は樺太(サハリン)を見る事が出来ませんでしたが…美しい海が広がり
ます。下の写真はパノラマ撮影したものです。











稚内港と稚泊航路記念碑



稚泊航路記念碑(稚内〜樺太・大泊定期航路)
かつてはこの稚内港より南樺太の玄関口である大泊港へ定期航路で繋がれて
おり…樺太に帰る者も北海道、また本土に行く者は必ずここを通り、鉄道に乗り
換えて更に札幌や函館を目指しました。



稚内港の北防波堤ドーム



上は稚内港の稚泊航路の亜庭丸です。
亜庭丸の絵葉書です。昭和7年3月8日の消印が読めます。















この港の美しい海の遥か先に父祖の地である我が国領土であった樺太が
あり…今も尚、ロシアに不法占拠され続けている。適うものであれば取戻し
たいものである。






九人の乙女の像 と 氷雪の門
  教學之碑(樺太師範学校)と
   行幸啓記念碑
              (稚内公園)



高台にある稚内公園から見おろす稚内港の景色。










教學之碑(樺太師範学校)



樺太南部の中核都市・豊原市にあった樺太師範学校の記念碑。
昭和20年に敗戦のため閉校を余儀なくされましたが樺太への強
い強い望郷の思いがヒシヒシと伝わってきます。








氷雪の門



大気の良く澄んだ日は沖合遥か43qの樺太が見えます。残念ながら
この日は晴天なれど樺太を見る事が適いませんでした。
高い二本の柱…望郷の門の間から樺太が望めます。残念ながらこの日は
見れませんでしたが…。樺太に住んでいた40万名を超える日本人の怨嗟
の声と望郷の想い…故郷・樺太の地で戦火に巻き込まれ命を落とした日本
人の声なき声や悲しいき想いが聞こえるようです。







九人の乙女の像















行幸啓記念碑









               ↑
樺太関連の詳細は上のバーナーをクリック下さい。






知床峠と羅臼から見た
    北方領土(国後島・択捉島)








知床峠(知床横断道路)から見る国後島


北方領土は、北海道本島の北東の洋上に連なっており、歯舞群島は、根室半島の 延長線上3.7 q
の沖合から北東に点在する貝殻島、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島などの島からなっ
ています。 色丹島は歯舞群島の北東22qに位置しており、国後島は、根室半島と知床半島のほぼ
中間に位置し、野付半島の沖合16qの地点から北東に延びる全長122qの島です。また、択捉島は
国後島の北東22.5qに位置する全長204qの島です。また、四島を合わせた面積は、5,036平方キ
ロメートルで、この面積は千葉県の広さにほぼ匹敵します。








よく見ると国後島に重なるように左手に択捉島が見える。

デジカメの望遠機能の限界です。



呼び戻そう…故郷、北方領土・樺太
 私達は忘れない…日本の正当なこれ等の領土
   必ず取り返し奪い返そう…北方領土・樺太・・・
     例え何十年掛かっても戦争してでも奪い戻そう






   知床半島の反対側の羅臼町の海岸から見る国後島と択捉島…。


羅臼灯台

羅臼灯台から見た北方領土のパノラマ写真
目前の国後島は僅かにその距離25kmあまり…野付半島からは16q…伊豆大
島と伊豆半島よりも近くとても国境とは思えない。樺太もそうだが国後・択捉も目
の前にするとその余りの理不尽さに腹が立つ…政府と外務省の無策にも、文科
省の教育の在り方にも…旧ソ連・ロシアの非道ぶりにも…何もかも全てに腹が立
ちます。


対岸に見える国後島…余りの近さに旧島民はどれだけ無念の涙を飲んだ事
でしょうか…決して戦後は終わっていない。問題は沖縄ばかりでない。もっと
大事な問題が樺太に北方領土にある事を日本人は忘れている。呼び戻そう
北方領土・樺太…。








納沙布岬と北方領土




納沙布岬は根室半島の最先端にあり、離島を除けば日本本土最東端に
あります。歯舞群島の貝柄島は僅かに3.7qしか離れていません。






四島のかけ橋


望郷の塔(旧 笹川記念平和の塔)です。現在は更に名称を変えて
オーロラタワーとなっています。


左上の画像は根室半島の太平洋側を撮影したもの。右上は
根室海峡側を撮影したものです。


歯舞群島が目前に見る事ができます。
奪われた島々の目前の海を悔しい事にロシアの漁船や
警備艇が我が物顔に動き回っています。










おまけ稚内公園の
 南極観測樺太犬訓練記念碑
         と
 ノシャップ岬の
    南極探検隊の展示資料





















旧軍の宗谷要塞は消えて…代わりに空自のレーダーサイト基地がご覧の
ようにたくさん展開されています。




















オロロライン



天塩川歴史資料館














かすかにオロロラインより望む利尻富士




知床五湖





























羅臼温泉 熊の湯
















神の子池と摩周湖






















阿寒湖










大雪山 旭岳



















メチャメチャキュートだったので買ってしまったQPシリーズです。
こちらもお土産によく買われる予科練像の模型です。