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函館・立待岬から見た津軽海峡 |
この岬へ向かう途中には、函館と縁が深い石川啄木一族の墓、与謝野寛・晶子歌碑があります。 |
世界三大夜景と謳われた函館山 |
函館山からの景色は夜景は有名だが昼間の景観もまた夕暮れ時も美しい。 何十年かぶりで訪れた函館と函館山です。しかしこの景観を楽しめたのは 戦後からの事です。敗戦まで此処は帝國陸軍が管轄した函館要塞であり民 間人は立ち入る事は勿論、市内から函館山を写真で撮影する事さえも許され ませんでした。 |
函館山頂上は展望台やテレビ局の送信所と展望台と駐車場になっています。 ここは敗戦までは御殿山第一砲台があった場所です。建物の土台などはその まま砲台跡が使われています。ここの展望台から少し降りたところに”つつじ山 駐車場”があります。その奥に御殿山第二砲台があります。 |
シーズンオフの平日は殆ど人が居ない事があります。 |
海から見た函館山 |
青函連絡船記念館 摩周丸 |
中学生の時の修学旅行に札幌から函館までを国鉄でそして函館からこの青函連絡船を 使い青森へ行きました。途中、イルカの群れが船と並走して泳ぐのを皆で見たのを覚え ています。その後も国鉄が民営化されてJRになった後も四輪と二輪で一度ずつ計三回 往復してお世話になりました。その青函連絡船も昭和63年に80年の歴史に幕を閉じまし た。…昭和の世代で青函連絡船にお世話になった私は…この船内に入ると懐かしくて 切なくなりました。 |
摩周丸は、八甲田丸・大雪丸・羊蹄丸・十和田丸・空知丸・檜山丸・石狩丸と共に 青函連絡船の最後になる航海を飾ったフェリーです。記念館として函館港で公開 されています。 |
五稜郭と五稜郭タワー |
五稜郭タワーより五稜郭を望む…実に美しい光景です。 下は中央に再建された函館奉行所です。 |
戊辰戦争終結の地としても有名な五稜郭は、”五稜郭公園”として整備されています。 五稜郭タワーの展望台は360度のガラス張りで眼下に星型の城郭を見ることができま す。函館山や函館の中心街なども一望する事ができます。 |
函館奉行所は、1864年(元治元年)に建築当時とまったく 同じ場所に復元建築されました 。 |
土方 歳三 終焉の地 |
右上の写真は五稜郭タワーの中にある土方歳三の像です。 |
松前城(福山城)と松前神社 |
松前城(福山城)は最後期の日本式城郭です。戊辰戦争の末期に蝦夷が島(北海道)の 独立を目指す土方歳三が率いる旧幕府の軍との戦いで落城。天守や本丸御門などが現 存したが、天守は大東亜戦争の敗戦後の昭和24年に失火により焼失。現在の天守は 松前城資料館として鉄筋コンクリート造で昭和34〜36年に再建されたものです。 |
江差 海陽丸(復元船) |
江差沖合で座礁し沈んだ幕府海軍の軍艦”海陽丸”を平成2年4月に江差町が復元したものです。 |
オランダ製の木造蒸気船で幕府所有の軍艦の中では最強の軍艦でした。 |
〜幕府海軍艦 海陽丸 主要諸元〜 排水量 2590t、長さ 72.8m、幅 13.04m、高さ 45m、補助蒸気機関 410(MAX 1200)馬力 シップ型3本マスト帆走(木造螺旋推進式)、備砲 計26門(後に36門) 16cmクルップ砲18門 16cmライク滑腔砲6門、9インチ・ダールグレン砲9門 etc、乗員 350〜500名 |
高台から江刺の町と港を一望します。この沖合で海陽丸がサルベージされました。 |
丁度、この下の写真の沖合の浅い海底で海陽丸が発見されました。 |
復元された海陽丸のすぐ脇にはかもめ島が目前にあります。 |
現代の日本では想像もつきませんが…この頃までは同じ日本人同士で内戦を戦っても 成し遂げたい国家観や国家像が互いにあり…熱い心情を持つ日本人達が列島を北に 南へ西へ東へ所狭しと駆け抜けた…そんな時代がありました。今では、その痕跡を見る 事しか出来ませんが…再び熱い想いを日本人が取り戻せる事ができれば…樺太も北方 領土も竹島をも取り戻す事ができるだろうし、尖閣に下衆な野心を示す支那に諦めの気 持ちを抱かせる事も簡単にできると思いますが…。 |
檜山護國神社(江差護國神社)
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江差の港と町を見下ろす高台に作られた神社です。函館戦争の松前・山口・津軽・ 弘前・大野・函館在住隊、福山・徳山・岡山・久留米・水戸の各藩92柱を祀ると共に 日清・日露戦争で戦没された地域の御霊10柱も祀る招魂社としてスタート。その後 先の大東亜戦争を含めて檜山周辺地域の英霊 1305柱を祀lっています。…途中で 江差護國神社と改められ、戦後に松之岱神社に変更されたが檜山護國神社と社名 を変更されて現在に至ります。 |
官軍に参加した諸藩の兵士92名が眠る境内の敷地は さながら忘れ去られた霊園か墓所のイメージです。 |
当時の事を考えれば蝦夷地ですから海外の様な感覚だったでしょう。 故郷を遠く遥か離れた蝦夷の地で戦死して長くこの殆ど人も訪れない 小高い丘の上で海を見下ろし眠る官軍の英霊達です。…志を持って内 戦に参加した人々です。悔いの無い人生と想われたのかを聞く術はあ りませんが…北国の遅い春の陽光にタンポポが咲き乱れる中に立派な 墓石が並んでいます。”勝てば官軍負ければ賊軍”と謂うように勝った 側の墓は錆びれていても立派なものです。 |
王政維新五十年記念碑 |
幕府軍艦開陽丸記念碑 |
江差の豪商で町の為に尽力した松澤伊八翁記念碑と同記念碑の遺芳 |
函館港の護衛艦 すずなみ(DD-114) |
函館港で護衛艦”すずなみ”を発見! |
函館で食した塩ラーメンです。 |
上は現在の近代的な函館駅です。五代目の駅舎だそうです。 下は私が若い頃に知っている時代の函館駅です。昭和がどん どんと遠い時代になりつつある気がして寂しい限りです。 |
函館は安政6年(1859年)横浜、長崎と共に日本最初の国際貿易港として栄え 外国人の往来も多く、故国に帰れぬまま死を迎え…この地に眠る人もおりまし た。ペリー艦隊の二人の米国人水兵を初め、ロシア人、中国人、プロテスタント 系の人々が葬られている静かな墓地です。 |
旧イギリス領事館(国際貿易港として江戸末期(安政6年)に開港した函館。 同じ年に英国領事館も函館に設置されました。現在は領事館として20年間 使用していた建物を復元し開港記念館として一般公開しています。 |
函館聖ヨハネ教会とチャチャ登りの坂 |
函館ハリストス正教会 |
ハリストスとはキリストの事をさし…江戸末期にロシア主教ニコライによって 日本で初めてロシア正教が伝導され、ロシアの領事館及び礼拝堂として建 てられた教会です。国の重要文化財に指定されロシア風ビザンチン様式の 優美な建物です。 |
有名な八幡坂です。台所洗剤のチャミーグリーンの宣伝で ハイカラなおじいちゃんとおばあちゃんが出てくるCMで使 われた坂と謂えば昭和をドストライクで生きた方なら判るか も知れません。 |
旧函館区公会堂 |
赤レンガ倉庫群 |
明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が設立した 日本初の女子修道院です。園内には、テレジア、ジャンヌダ ルク、天使ミカエルなどの聖像や資料館があり、道なりに牧歌 的な草原が広がっている。売店で手造りのロザリオや菓子を 販売しています菓子類や飴は…昔の北海道土産の定番だっ た商品で非常に懐かしくまた一口食べると童心に帰った気持 ちになれました。 |
昭和10年の創業の食堂…来々軒は、レトロな店内が元々はカフェだった 事を納得させます。シンプルな塩ラーメンが旨ったです。 |
函館空港の飛行機の中から撮影した函館山です。滑走路の目前には 民間の住宅街があり…その前は津軽海峡です。多くの国内の空港は 市内からかなり離れた郊外に飛行場がありますが…ここの函館空港は 市内中心部へ非常に近く便利です。この飛行場を初めて利用しました が便利で驚きました。 |
空路で羽田空港を利用する時は、大体が午前中に羽田を立ち夜遅く暗くなってから 羽田に戻るパターンが多いのですが…時々、明るい陽のある時間帯に戻ると海上 交通が渋滞して久しい東京湾・東京港の様子を眺める事が出来ます。写真は東京湾 アクアラインの”海ほたる”です。千葉県の木更津と神奈川県の川崎市を結びますが 右側の橋がある方の奥が木更津市側になります。そしてこの”海ほたる”を境に左側 の川崎側に向けて海底トンネルに降りて行きます。 |
海ほたる…実に壮大なものを作ったものです。平成9年12月8日の開業となります から…既に開通して約15年となります。何度か観光で地方から友人や親せきが来 ると使う程度ですが…川崎側から”海ほたる”至る海底トンネルは景色も見えなく 面白くありません。 |
一見すると広大な東京湾を気持ち良さげに航行する商船…しかしよく拡大すると かなりの数の船舶が所狭しと入り乱れています。車やバイクのように小回りの利 かない大型船がこれだけ集中していてよく事故が起きないものです。 |
船…船…船…しかも向かう向きが皆違うような気がします…。 |
そして無事に羽田空港に着陸です。 |
そして今年(平成24年)に鳴り物入りで開業した東京スカイツリーが 遥か向こうに滑走路からも見る事が出来ます。 |
メチャメチャキュートだったので買ってしまったQPシリーズです。 |
こちらもお土産によく買われる予科練像の模型です。 |