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Imperial Japanese Army
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陸軍関連 |
国産初の軍用小銃
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村田銃です。十三年式、十八年式、二十二年式が ありますが最初期の国産初の制式小銃となった村田 十三年年式小銃です。 |
明治維新後、僅か10年で大日本帝國は軍の基幹となる 制式小銃を国産化し多種多様な銃を使いバラバラだった 装備を統一し近代軍隊へ飛躍していきました。 |
螺子の一つに至るまでシリアルNo.が刻印されて おり全てが共通のオリジナルNo.です。こちらの 小銃は、4万6千台のナンバーです。十三年式の 方の生産数は、約六万挺と言われています。その 最終シリアルNo.は、58675となっております。この 十三年式小銃は、比較的後期の生産銃である事 が判ります。 |
槓桿の前の左側に大日本帝國村田銃・東京砲兵 工廠小銃製造所の刻印、槓桿の後ろの右側に 明治十三年の刻印、中央にき菊の御門の刻印が あります。 |
柵状も表尺も完全ですが惜しい事に槓桿から後部の 撃針部分が破壊されありません。この部分が外部に 露出し溶接後の錆が非常に強かったのでヤスリで錆 落とししてみましたが機関部は、溶接され槓桿自体が 全く動かず後部が無残な姿である事は、非常に残念 です。無可動にすると言ってももう少し見栄えする手 法があると思いますが、今となれば後の祭りです。 |
無残なものです! |
御存知のように村田銃は、開発した村田経芳 少佐 の名前を冠しております。生産された村田銃は、当時 列強の基幹小銃と遜色の無い性能を持ち皇軍の礎を 築いた小銃と言って過言では無いと思います。 |
銃口も塞いだ上から更に溶接を掛けて いますので余りキレイとは、言えません 勿体無いという言葉しか浮かびません。 |
右の画像は、村田十八年式小銃の装備一式を 写しているものです。左端は、この十三年式を立 てかけて撮影した画像です。真ん中のニ挺の左 は、十三年式で右が十八年式です。 |
村田十八年式小銃(無可動実銃) 二挺 |
こちらは、十八年式の村田銃です。槓桿と柵状が欠品です。 |
シリアルNo.150542です。十八年式は、No.72825 から151347まで約8万挺が生産されています。この 中でも最末期の生産中止に近いロットである事が判 ります。 |
槓桿なく内部の溶接が見えます。 |
御覧のように木部に焼印の跡があります。 工兵工廠の焼印のようです。一旦、工廠に 引き揚げたりされた小銃は、管理の為にこ のように焼印を押される事があります。 |
十八年式は、十三年式に比べ全長が1275mmと僅かに 短くなっています(15mm)。しかしその他は、銃身長及び 全てに於いて基本構造は、同じです。改良された点は、 槓桿のストッパーを省略した点。薬室部を丸から角にした 点。薬室上部にガス抜き穴を増設した点。等々です。 |
こちらも後日、同じ出所をより入手しました 十八年式小銃の無可動実銃です。 |
十八年式銃剣 三点 |
十八年式銃剣が二振です。剣差のある方は 中田製の複製の剣差を付けています。 |
共に菊の御紋が見れます。 |
銃刀法の絡みで四分の三程に大きくカットを入れています。 鞘に収める時、かなりぐらついて折れそうになるので注意が 必要です。将来、展示などでは、銀蝋で隙間を処理して見 栄えを出すか考えたいところです。 |
上の十八年式無可動実銃に合わせて二振を用意しました。 |
以下は上の二振りとは別の18年式銃剣です。 |
↑ 上のバナーをクリックすると下の精巧な村田銃 を紹介した収載ページが開きます。 |
精巧手作り真鍮製1/4スケールの村田一三年式と十八年式 兵小銃が銃剣付きで…リアルで見事です!! |
陸軍 二式弾帯(未使用品) |
珍しい完全な品の未使用品です。私も 持っておりますが、壊れた品や程度の 悪い品の生きている部分を繋いだりし た物は、良く出ますがデットストックの完 全な品は、中々出てきません。布のタイ プの二式弾帯ですが主に騎兵で使用さ れましたが南方では、皮が弱いので空 挺が使用しました。また船舶工兵の挺身 兵も二式弾帯を使用していました。 |
惜しい事に両方の手榴弾を収納する信管 部分に当たる底の部分だけが両方とも糸 が解け底が見えています。その他は、釦 に錆びも無く極美品です。 |
有名な義烈空挺隊もこの二式弾帯を使用していました。 |
上下とも空挺隊の画像です。下は義烈空挺隊の 画像です。両方とも二式弾帯をしているのがわか ります。 |
昭和14年製です。 |
陸軍 一式弾帯(ジャンク品) |
左右布の材質が違います。多分駄目な部分を切断 して良い部分を生かして接合したものだと思われます。 |
中田製(複製)一式弾帯 |
陸軍の一式弾帯です。陸軍の落下傘部隊で使用さ れた事から空挺一式弾帯といわれてもいます。こう してみると中田の複製が忠実に再現して良く出来て いるかが改めて判ります。通常の皮の覆カバーの付 かない布製の二式弾帯は、元来は騎兵用でしたが 空挺部隊だけでなく船舶工兵の挺身兵も使用してお りました。 |
最末期の陸軍航空隊 飛行服(未使用品) |
いよいよ最末期、昭和20年の飛行服です。 セパレート型の上のみの未使用品です。 |
非常に簡素な作りになっております。 |
昭和20年製、大支検定、サイズは、二号です。 |
陸軍 伊藤 賢三 軍医総監(軍医中将)の紙物資料 |
伊藤軍医総監は、補職で昭和6年8月1日から昭和9年3月5日 の間、関東軍の軍医部長をされておりました。その時の満州国 と大日本帝國との間に交わされた条約の参加者と日程などを 記載された文書が二部入っています(條約調印ニ關スル業務檐 任區分表、條約締結ニ関スル行事一覧表の二部です)。 |
封筒に極秘の記載がされ軍医部長殿とあります。 裏面は、関東軍司令部の封緘印に関東軍参謀部 第三課の差出の印が押されています。 |
昭和7年9月当時の条約締結に関して参加 する関東軍各部門の長の名前が記載され ています。 |
こちらは、時系列に合わせた工程表というか日程表で 上から奉天・長春・東京に分けて条約締結に関する各 作業がどう行われるかが記載されています。これが敵 の手に落ちればテロの絶好の標的となる事が考えられ ます。極秘の印が押されているのも頷けます。また今は なき満州帝国ですが…我国との関わりの中で想像する よりも他人行儀と言いましょうか、対国家として条約締 結に関する作業などきちんとした外交を行っているのが 良く判ります。 |
伊藤閣下が引いたのでしょうか各部長と御自身が参加しなければ ならない部分だけ赤線が引かれております。 |
皇后陛下御沙汰と古ぼけた大判封筒に記載が あり、中には宮内省の透かし入り便箋(原稿用 紙)に五行の短い慰労のお言葉が記載されてお ります。伊藤閣下が満州で関東軍 軍医部長を されていた昭和6年8月1日〜昭和9年3月5日の 間ですので昭和9年に任を解かれ帰国された以 降(予備役となります。)に皇后陛下の直筆か 代書なのかは、判りませんが畏れ多くも下され たものと思われます。 |
シャーカッセンで透かして見れば透かし文字が 浮かびます。宮内省と桜の印字です。 |
御存知のように軍医総監は、元々少将相当官でしたが 明治30年の勅令で中将相当官となりました。更に昭和 12年の勅令で軍医総監は、陸軍軍医中将に改められま す。この下の方に掲載した皇室からの招待状を見ると判 りますが昭和11年までの招待状には、陸軍軍医総監 伊藤賢三 殿と記載されていますが、昭和12年のものは、 陸軍軍医中将 伊藤賢三殿と記載されております。 |
昭和4年の招待状 |
昭和10年の招待状 |
昭和11年の招待状 |
この昭和12年の招待状から軍医総監から軍医 中将の階級名に変っています! |
右上の桜花の紙は、車での入場と駐車時にフロント の見える場所に掲示する為のものです。 |
☆ 伊藤 賢三 陸軍 軍医中将 (略歴) ☆ 神奈川県出身 大正12年8月6日 一等軍医正(大佐相当) 陸軍医務局衛生課長 昭和3年3月8日 陸軍軍医監 東京第一衛戊病院長 昭和3年3月18日 陸軍軍医総監 昭和6年8月1日 関東軍 軍医部長 昭和9年3月5日 待命 昭和9年3月16日 予備役 |
出所の同じ陸軍機の各種 航空計器類 |
同一の家から出た大量の航空計器類から何点かを 入手しました。様々なレベルの程度の計器があった ので陸軍航空関係の方のお宅との事でしたが、搭乗 員とかでなく技術畑の方だった気がします。明らかに 銃弾を浴びた計器から水没した模様の計器まで状況 が各々違うのが判る物が多種見受けられました。 |
この二点は、九八式遠方回転計と遠方回転計発電機 です。九八式同調計の方は、側面に銃弾で開いたと 思われる穴があります。 |
ともに三菱電機(株)の製品です。 |
こちらは、速力計四型と油圧計一型です。 |
油圧計一型の方は、明らかに水没したようです。 墜落機からの取り外し計器の様に思われます。 |
昭和7年に制定された小型の油圧計 一型です。 |
昭和7年に一号速力計四型として制定されました。 昭和14年に速度計四型となり、昭和16年に廃止 されました。九三式中練など主に練習機に使われ ました。海軍では、零式初歩水上練習機や九〇式 水上初歩練習機などに装備されていました。 |
燃料計ニ型、九〇式用とあります。 陸軍機でなく海軍機の中島90式艦 上戦闘機や90式水偵の燃料計と 思われます。 |
田中製作所、昭和8年7月製造の銘板です。 |
陸軍 九五式高度計 |
柳製作所の高度計です。海軍の単座機 に主に装備された中型の高度計三型と 同じもので陸軍バージョンだと思います。 |
九四式油量計です。 |
昭和14年3月製、品川製作所の銘板が付いています。 |
上記一連の品と違う計器一点。 |
陸軍 百式遠方回転計用発電機です。 |
三式戦”飛燕”や四式戦”疾風”の計器盤につけ られていた発電機です。横河電機製作所が製造 したもので、銘板に”R401395”の製造番号が刻 印されています。現在、GEと合併してGE横河メデ ィカルは、様々な医療用モニターや電子機器を製 造・販売していて有名です。 |
ある退役陸軍大佐の勲記など |
この星野 達 氏は、一度、軍をやめて予備役になり 上海事変で再召集されて予備陸軍大佐で軍務に就 き、召集解除でた退役となったと思われます。 |
超精巧…四分の一スケールの手作りの
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この精巧さ…匠の職人の技術もさる事ですが…作品のモデル に対する知識や造詣の深さがなければ作り上げられないのが 良く判ります。三五年式海軍銃にベルグマン短機関銃の海軍 陸戦隊仕様に二十六年式拳銃、南部十四年式拳銃後期型、 そして萱場式(九十式)二連信号銃。陸海軍の九十式鉄帽です。 |
ベルグマンは槓桿は作動し、三五年式はボルトがオープン可能です。 勿論、ともに銃剣付きで着剣出来ます。 |
兵器の殆どが海軍なのですが…何故か陸軍の方で掲載してしまいました。 |
九十式二連信号銃(萱場式)は、中折れでダーミー弾の 取り外し可能です。十四年式もボルトを引けます。 |
銃剣が如何にも日本軍で泣かせます。 |
この小さな弾倉にダミー弾が細部にこだわりが見てとてます。 |
手作り真鍮製 四分の一スケールの
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防盾を装着した画像です。 |
マズルサプレッサー(消炎器)を装着した画像です。 |
ここまで極めればまさに芸術品です。 |
九六式照準眼鏡と嚢です。ここまで凝ると脱帽です! |
九六式照準眼鏡を取り付けた画像です。 このデティールの精密さがたまりません。 |
朝香宮家の御紋入りの朱塗金蒔の杯です。 |
箱も杯も傷が無い綺麗な品です。旧憲法下 では、臣籍降下…現憲法下では、皇籍離脱 なされた今は、なき旧朝香宮家の出された 杯です。 |
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こちらも杯・共箱ともに傷も無く綺麗な品です。 |
ADVEN製のABS樹脂製の九六式軽機 |
九六式軽機で攻撃する皇軍兵士 |