旧軍関連・戦前資料収載品
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その他…etc |
右の襟章のみですが、未使用の非常に美しい襟章です。 日本海軍と同じ黒絨のこれも同じ金線で一本に”五色梅 花”の徽章が一つ付いています。”五色梅花”の徽章は、 七宝焼きです。満州国海軍少尉となります。 |
満州国軍 軍官の防寒帽や略帽の前章 |
海兵生徒二種制服の肩章 |
上は、海軍兵学校の礼装用襟章 下は、通常の襟章。 |
上と下は、違う呉海兵団のペンネント |
帝國海軍最大の殊勲艦である戦艦”三笠”のペンネント |
支那で活躍した第十二航空隊のペンネント。 これも珍しい品の一つです。 |
こちらは復刻品の戦艦 大和のペンネントです。 |
明治海軍 三海兵団の礼服用ペンネント(帽前章) |
趣味家が額装して飾っていたペンネントです。礼装用の もので年代のわりには、表面はきれいですが…額装に 際して両端の錨のマークが入るリボン部分が切除されて ありません。勿体無い事をするものです。こうなるときれ いに額装して保存するしか道は無いようです。 |
100年以上前の明治の物ですからこれだけ綺麗に 残っていればたいしたものだと思います。 |
海軍砲術学校の礼服用ペンネント(帽前章) |
こちらもリボン部分が切られています。裏に貼付け跡 が残っていますので、上の三点と同様に額装の為に 切断されて短くしたようです。当時は、たくさん手に入 ったのかも知れませんが…今見ると贅沢というか、勿 体無いの言葉しか浮かびません。 |
巡洋艦 筑摩の礼装用ペンネント(帽前章) |
こちらは上と違いリボンも切られてなく飾られていたものです。 |
額装された海軍の各種学校四校の礼装用ペンネント |
額装された礼装用水兵帽章です。何故か四校のうち一番下 の海軍機関学校だけが機関科士官学校です。少しちぐはぐ な四校ですが、中々集めるのが大変な礼装用ペンネントな ので仕方ないものと思います。 |
珍しい夏の海軍衛生兵の臂章 |
非常に珍しい海軍兵学校生徒の略帽前章の 未使用品。使用例もあまり見受けられない 貴重な品です。 |
珍しい法務少尉の未使用肩章です。 |
元飛行七十戦隊の飛行兵の方の物という品です。 |
中々お目に掛かれない珍しい特別章です。 |
山砲兵連隊付将校以下と砲工兵技術准尉・下士官・工機兵 |
師団通信隊(電信隊付将校以下)と台湾山砲兵隊 |
鉄道隊と気球隊(徽章が逆に付いています) |
独立守備歩兵隊と教導隊・下士官候補者一組 |
複製品は多いですが実物はかなり希少です。 |
陸軍特殊船舶勤務者章です。 |
マルレ(○レ)と呼ばれた四式肉薄攻撃艇の隊員が縫い付けた胸章 です。海軍では震洋艇がこれに相当します。マルレは特攻艇として 昭和20年のルソン島や沖縄戦で実戦に投入されました。 |
珍しい三種軍医大尉です。右は、三種用主計少尉。 |
軍人傷痍徽章 |
軍人傷痍徽章 |
軍人傷痍徽章(公傷) |
旧型の甲種軍人傷痍徽章(下士以下) (大正12年勅令199、昭和6改正) |
旧型の甲種 軍人傷痍記章 准士官以上 |
珍しい旧型の傷痍軍人徽章です。同じ旧型の下士官 以下はたまに見掛けますが…准士官以上は余り見掛 けません。 |
オリジナルの元箱も完全です。徽章は、楯をかたどった 形になっています。甲・乙の2種があり甲種は戦闘また は、これに準じる公務に基因した傷病についての者に 乙種はその他の陸海軍将兵に授与されます。 |
暗色金属で准士官以上の徽章は桜花・文字・側面をが金色 です。対して下士官以下の徽章はこの部分が全て銀色で違 いが判ります。 |
陸軍磨工術臂章(陸軍衛生部の下士官・兵の中で磨工術を 修得している者に付与されるのが磨工術臂章です。この臂章 は、薬剤瓶を表してます。磨工は、衛生材料獣医材料の研磨、 修理に従事して近衛・各師団、軍医部、病院などに勤務します。 陸軍磨工(傭人)の制度は、明治21年〜42年に至るまでは傭人 たる磨工で、それ以降は看護卒で磨工術を修得した者で、明治 42年現在で183名と大変少ないとの事です。) |
満州国陸軍(複製品):二等兵・一等兵・上等兵の肩章 |
陸軍予科士官学校生徒の襟章(座布団式です。 片側がなぜが切れています。) |
細川部隊の記念メダルです。この部隊は、元々 朝鮮の京城龍山の野砲第二十六聯隊です(聯 隊長 細川忠康大佐)。 |
海軍下士官用ベルトのバックル |
号笛 |
海軍 普通科信号術練習生卒業記念徽章 |
海軍 軍楽兵肩章(下士官用) |
非常に珍しい軍楽隊用の下士官の肩章です。 |
軍服には紐で取り付けるようになっています。 残念な事に片方のベロが破損しています。 組紐は絹製です。 |
海軍軍楽隊の緋色の礼装用の軍服につける肩章です。 |
釦から下士官用である事が判ります。 |
海軍軍楽兵礼装軍衣 |
珍しいん海軍の軍楽兵礼装軍衣です。 |
横須賀軍需部の再用品ですが、ほぼ未使用状態のような美品です。 六号、昭和11年12月製。74年前に作られた礼装軍衣…よく保存さ れたものと感心します。 |
襟の金モール製の桜は、左右共、完全。これが、一つは兵。 二つは、下士官を意味します。この金モール製の桜は海軍兵 学校生徒のチェリーマーク(優等賞)とサイズと謂い同じ物で す。虫食い虫なめがややありますが補修等無く。肩章は欠で すが、取り付け用のループは完全です。 |
航空士官学校の御下賜記念のメダルです。 |
陸軍航空士官学校第57期生の 卒業記念メダルです。 |
満州獨立守備隊の襟章 |
陸軍士官学校候補生の肩章と特別徽 章と何故か、兵長の階級章の組合せ。 士官候補生60期とあるので、記念に 持ち主だった方が額装していたもの と思います。通常、曹長襟章を候補生 は、付けますが、兵長の襟章がありま すので甲幹の方かと思います。通常、 幼年学校卒業者は、軍曹となりますの で、尚、肩章の形式より、予科士官学 校と経理学校予科は、考えられません 。可能性としては、士官学校、航空士 官学校、経理学校の三校となりますが 幹候で予備士官学校かと思われます。 尚、このタイプの肩章は、陸士でも昭和 18年以降のものとなります。 |
昭和十八年制度、甲種幹部候補生・操縦候補生の特別徽章 |
航空隊員用の敵味方識別国 旗と上の弾丸三発は、南部 14年式拳銃の発火済み実弾 と三八式歩兵小銃の発射済 の弾頭です。 |
海軍大尉 飛行服臂章 |
海軍兵曹長 飛行服臂章 |
海軍特務少尉の飛行服臂章 |
陸軍の副官懸章 |
裏にAB型と血液型が刻印されています。 |
この認識票は、台湾守備旅団のものですが未記入の未使用 デッドストック品です。文字部分がよく判読出来るようチョーク の粉が入っています。 |
真鍮製で独速砲とある認識票です。多分、独立速射砲 大隊の事だと思われます。 |
近弾砲一・蕃一〇八の刻印。近衛師団 野戦重砲兵連隊・第一榴弾砲大隊と思 われます。 |
准尉さんの認識票 |
少尉さんの認識票 |
陸軍大尉さんの認識票 |
軍医少尉さんの認識票 |
第ニ兵站司令部衛生部の見習士官の認識票 |
珍しい認識票です。第六十四停車場 司令部歩兵中佐とあります。 |
陸軍少将 藤原 明夫 閣下所持の認識票 です。第六師団の経理部長時代の認識票 です。当時、主計大佐です。この後、昭和 13年7月15日に少将に昇進し退役されて います。 |
下の認識票は、近衛歩兵第一連隊のものです。 |
陸軍騎兵中佐の認識票です。下士官・兵の場合は、 部隊番号などの数字だけで刻印されますが、将校の 場合は、階級と本名を刻印しました。シベリア出兵の 時の騎兵第八聯隊を指揮した第六代聯隊長の本多 重平 陸軍騎兵中佐の認識票です。聯隊長クラスの 認識票は非常に珍しいものです。 |
騎兵第八聯隊は 明治32年に弘前 で編成され日露 戦争では永沼挺 進隊で勇名を轟 かせた部隊です。 遊佐幸平少将を はじめ多くの馬術 選手を輩出した名 門部隊です。昭和 16年に捜索第八 聯隊に改編され先 の大戦では比島で 米軍を相手に死闘 を尽くしほぼ全滅に 近い状態で終戦を 迎えました。 |
将校用の胴締 |
陸軍の将校用手袋です。 |
陸海軍の士官が礼装用に用いていた白手袋。 セロハン袋に入った未使用品。公定価格の紙 タグが付いています。 |
旧満州、北支方面や樺太、千島北海道などの寒冷地で使用されていた 防寒手袋です。小銃射撃が出来るように親指だけでなく人差し指も独立 しています。 |
近衛の略帽用帽章(複製品)です。 |
下も複製品の近衛略帽用の帽章 |
上下共に複製品の下士官・ 兵用の近衛略帽章です。 |
実物の近衛将校用略帽用帽章 |
実物の略帽からの取り外し品です。台座の生地 からすると戦争末期の品のようです。 |
この上の帽章は、概ね良好なのですが星章 部分が虫食いで丸くなってしまっています。 |
上は、別な実物の取り外し品帽章ですが こちらは状態が非常に良い品です。 |
珍しい実物の兵・下士官用の近衛戦闘帽の帽章 です。士官用も今では希少になりましたが官給品 の略帽章も希少です。 |
正帽の近衛帽章 |
こちらも珍しいもので戦前の皇宮警察官の略帽章です。 |
当時の警察官の略帽は海軍と同じような濃紺です。 消防や警防団などもそうですが…。海軍一種戦闘帽 に合わせてみました。思ったより大きく迫力がありま す。警防団や一般警察の略帽章に比べると格段に 豪華です。陸軍の制帽や略帽の星章と近衛兵のもの と比べた時の違いよりも立派に見えます。 |
昭和三年制式の皇宮警察官の略帽前章 |
因みに昭和三年制定以前の皇宮警察官の略帽前章 が以下となります。明治十九年制式のものです。下の ものは所持品でなくヤフオクで売られていた画像のも のです。こちらも希少な品なので掲載します。 |
珍しいもので貴族院の議員徽章です。 貴族院は敗戦後の昭和22年に廃止さ れて現在の参議院に代わりました。 |
この他にも違う色の議員バッチをヤフオクで発見しました。 以下の画像です。貴族院は皇族・華族・勅任議員から構成 されます。成年に達した皇族と30歳以上の公・侯爵は全員 (終身)。伯・子・男爵は各5分の1(互選,任期7年)。勅任 議員は多額納税者から互選された者(府県ごと各1名,任 期7年)と〈国家ニ勲労アリ又ハ学諳アル者〉から天皇が任 命した勅選議員(30歳以上,終身)からなり,有爵議員が 半数以上を占める定めで,解散はありませんでした。大正 14年の貴族院令改正(大正14年勅令第174号)により定数 は150名(伯爵18名、子爵66名、男爵66名)とされました。 以後、貴族院廃止まで定数変更はありませんでした。対して 勅任議員は定数が125名までとされていました。このように 貴族院の中でも身分の違いがある為、色によって勅任議員 と華族議員を分けていたのでは無いかと推察します。これま でに上の色の物を二つ収集しておりますが、下のものは所持 した事がありません。人数比で考えても上が有爵議員のもの で下が勅任議員ものと想像します。 |
貴族院の議員バッジが出たので珍しい貴族院の身分証明書(IDカード) を紹介します。上の二点の議員バッチとは関係のない野村 益三 子爵の 身分証明書となります。昭和22年に廃止された貴族院の貴重な名残りの ような品です。 |
この野村 益三 子爵は防長倶楽部理事長として 有名な方ですが、父上の野村 靖 子爵も長州藩 出身の官僚で政治家としても有名な方で神奈川 県令、駅逓総監、逓信次官を歴任。駐仏公使な どを経て、第二次伊藤内閣内相、第二次松方 内閣逓相等を歴任し…晩年は皇室の養育掛長 をつとめられた方としても有名です。 |
上の写真は閣僚を歴任した父上の 野村 靖 子爵です。 |
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逓信省 勤功章 |
逓信省 三級甲種勤功章 |
警防団の徽章 |
鉄道省 効績章 |
日本赤十字社 篤志看護婦人会 会員記章 |
中島飛行機工場 工員徽章 |
戦前の三菱重工の徽章 |
戦前の神戸製鋼の帽章 |
衛生総連 会員徽章 |
陸軍航空技術本部のバッチとカフスボタン |
陸軍航空本部のバッチ |
船員勤労章 |
船員(海)の金鵄勲章です。紀元二千六百年制定で、船員の亀鑑となる べき顕功のあったもの。または、有益な発明改良をしたもの。そして30年 以上船舶に乗組精励格勤成績優秀なもの。中々、簡単に貰える類の章 ではありません。 |
こちらは、箱無しの別の船員勤労章、色落ちがあります。 |
勤労顕功章 |
昭和17年9月18日に制定された産業戦士の金鵄勲章です。 軍需工場でも急ぐ生産で、特別の功績のあった者、殉職者等 にも報いようと制定されましたが余程の功績がないと、受章で きなかったようです。受賞者は各担当大臣から直接手渡され る権威のある勲章だったようです。 |
近衛騎兵砲兵連隊徽章 |
勲二等旭日重光章の副章(レプリカ) |
陸大卒徽章です。 |
判任官の箱に入っているのが海軍雇員の記章 で左の箱無しの方が海軍傭人の記章です。 |
右上の記章が雇員。左上は舞鶴海軍工廠の雇員 の方が所持していた徽章で海軍で製作したという のではなく舞鶴海軍工廠で独自で作り使用したも のかと考えます。 |
こちらも雇員の記章 |
判任文官(判任官待遇者、部内限り 判任官待遇嘱託者を含む)の記章で す。舞鶴海軍鎮守府または舞鶴海軍 工廠の所属であり…270の番号があ るので記録を調べると何方の所持品 だったのか判ると思います。 |
部内限り勅・奏人官待遇嘱託者の記章です。 |
この上と下の記章は、士官・特務士官・高等文官 ・同待遇者用です。こちらの記章は高等官二等の 勅任官である都丸 俊男 海軍薬剤少将の所持品 です。 |
この下は都丸 俊男 海軍薬剤少将の奥様が所持されていた 横須賀海軍高等官婦人会の徽章です。面白いものですね。 |
こちらが部内限りの勅人官待遇嘱託者用 の徽章です。勅任官は高等官一等と二等 になりますので中将と少将に相当します。 シリアルナンバー入りで珍しい物と思われ ます。豊川工廠印もあります。閣下クラス の徽章は、上の徽章と比べても重厚さが あります。 |
武官である准士官用の背広用記章です。この記章では 海軍の軍属等の文官の相当官(准士官)は使用不可と なります。 |
結構、あるようで無いのが准士官用の背広用記章です。 勅・奏任官官待遇嘱託者の記章は意外と多いのですが 不思議なものです。 |
海軍工廠 工員帽章 |
豊川海軍工廠 徴用工員微章 |
こちらも豊川工廠の工員徽章と一等工員の襟章です。 |
下は…二等工員の襟章 |
また下が豊川海軍工廠の徴用工員微章と 徴用学徒用の徽章になります。 |
徴用学徒用の徽章は、真鍮板(直径3,1cm)に上部に穴があいており 裏側に【45】の字があります。 |
陸軍造兵廠徽章です。陸軍造兵廠職員に貸与される 徽章で施設への出入章も兼ねる。左胸部に着用する。 |
陸軍々属・奏任官礼装用肩章(昭和17年までの改正前) |
陸軍々属・奏任官四等・五等肘章(昭和18年頃) |
高等官三等以下の海軍軍属の肩章 |
因みに判任官は、軍で言えば下士官から准士官相当の階級になります。 奏任官は、尉官・佐官相当で勅任官は、将官に相当します。 |
こちらの肩章も朝鮮総督府の判任官のものです。 |
税関や入管の肩章のようです。台湾総督府、朝鮮総督府・ 関東都督府・青島守備軍民政部・樺太庁のいずれの肩章と も全然違うのが良く判ります。ただベタ金なので奏任官より 勅任官かも??などと想像します。 |
その後、調べていきましたら税関吏の肩章で階級は、監視 である事が判りました(上から、監視官・事務官補・監視・監 吏となります。監視官と事務官補が桜3つ、監視が桜2個、 監吏が桜一つとなります。)。尚、肩章の桜花章は、多くが 金属製で稀に金モール製があるそうです。この肩章は、金 モールのものなので希少なのかもしれません。税関職員の 帽章を参考に下に出します。 |
この上下も長崎港の税関職員の肩章です。 監視と監吏です(二等・三等判任官)。 |
こちらは、同じ文官でも営林署などの役人の肩章です。 森林官とか営林官とか言った気がします。判任官三等 の肩章です。 |
こちらも上のとは違いますが判任官三等の肩章です。 |
港湾関係の文官の制服との事です。営林署などの関係と思って おりましたが、そうすると上の肩章も港湾関係の物となります。 |
肩章から奏任官二等でしょうか。赤尾のネームが刺繍されています。 袖線と袖章は、判任官のままです。肩章から出世する前の制服のよう な感じです。 |
関東都督府の奏任官の肩章です。 |
奏任官二等でしようか、関東都督府 のものは珍しいと思います。 |
珍しい青島守備軍民生部の判任官三等の肩章です。 |
戦前資料:港務獣医官肩章 |
港務獣医官と一見、聞き慣れない名称ですが、港務部といえば元々は 県に属していましたが、港湾行政統一の目的で農商務省の植物検査所 とともに税関へ併合せられました。日本及び日本の権益が及ぶ地域に 入る動物は検疫所に一度収容され税関獣医官の診察を受けます。この 統一前は、其々の都道府県の港務部として検疫行政を担当した現場の 獣医官が制服で付けた肩章になります。官級は、奏任官三等です。 |
明治38年3月29日に港務部設置官制を改正し、獣類検疫港の港務部に港務獣医官 および同官補を新設し、輸移入獣類の検疫・結核病検査を主管させる(従来は警察部 が実施)。の記載が当時の官報にあります。明治42年、明治41年の牛疫流行の結果 、韓国・清国・西シベリアからの畜牛輸入廃止論が高まる→ 検疫・輸入方法の改革 へ。明治42年、二重繋留検疫制度の開始 航海日数を2日として、輸出港・輸入港で それぞれ9日の繋留検疫を実施。韓国へは検疫官を派遣。…とあります。平成22年の 口蹄疫問題で我国は…揺れましたが、やはり今も昔も朝鮮半島からの輸入品は畜産 物もガンばかりですね!! |
判任官俸給令(明治43年勅令第135号)には、以下の記載が書かれています。 第七条 警視庁、北海道庁、府県及監獄判任官並税務監督局属、税務署属及専売局書記ニハ 別表最低額以下八円迄ノ月俸ヲ給スルコトヲ得但シ港吏、港務医官補、港務獣医官補、 港務調剤手及府県通訳ハ此ノ限ニ在ラス …医官補や獣医官補などは判任官待遇で、医官及び獣医官は奏任官待遇だったようです。恐ら く絶対数は少ないでしょうが薬剤官や歯科医官も同様だったと思われます。文武官の任命に付 ても、奏任官以上は勅裁を經ますけれども、判任官以下は行政官廳に於て其の任免を專行して います。 |
獣医官の数も当時から多いとは思えないので…中々、珍しい官吏の肩章だと思います。 |
オリジナルの箱に名前と何かの印がおされていますが 薄くて難読です。下の名前が豊である事は確かなよう で、これだけ判ります。 |
台湾総督府の勅任官正肩章です。 |
残念ながら片側の台湾総督府のマークが一つ 失われています。裏張りの痛みのほか肩章の 房にも痛みがあります。それでも勅任官と言え ば閣下です。将官相当の文官の正肩章は多く ありません。 |
程度が悪いですが朝鮮総督府の判任官の正肩章です。 |
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左の腰の飾りが欠落しています。胸に勲章掛が縫い付けされてます。テーラー タグは、三越呉服店です。 |
勅任官ですので将官相当になります。 |
所持者だった方は、従三位勲三等 福岡安治 元大審院検事です。 |
剣刺もきれいなのでベストから出して撮影しました。 |
非常に美しい状態です。 |
非役有位四位以上勅任官の正衣です。 |
一般の勅任官の正衣は、良く出ますが本品は、背面の肩部に桐紋が 2箇所ある型で珍しいものと思います。惜しい事に前開きの第5釦が 欠で、第6、8釦が五三桐の釦に換えられています。 |
宮内省高等官の大礼服です。襟と袖の赤は、式部職または、主殿寮 を表しています。式部職書記官または、奏任官と思われます。 |
宮内省式部職奏任官の正衣です。任官数も少ないので 非常に珍しい正衣だと思われます。全体的にややモール の脱落が見られますが、裏地に当時の使用によるとみら れる擦り切れ等の痛み(特に前裾部) も見受けられます。 虫食いは、両袖口の赤羅紗部に米粒大の虫食小穴が各 1箇所あります。過ぎ去った歳月を思うと状態としては、美 品だと思います。 |
満州国警察"警尉"肩章 |
肩章は、梅花章を昇進により加章しています。 |
経年の為、裏の金具に錆が出ていますが…ほぼ未使用状態の 美しい肩章です。階級の警尉補は国内の警察の警部補に相当 します。 |
ある警察官の所持品 |
警察功労賞 |
勲章等の持ち主だった警察官 |
明治四十一年制巡査(夏季用)衣袴 |
明治四十一年から昭和五年の間に使用された 巡査の夏用制服です。但し昭和五年以降も肩 章を取付けて使用されています。本品もそのよ うな品らしく、本来は付いていない肩章止めが 追加されています。当時の夏季の使用品のた め茶色染みが多く見られます。また、袖などに 擦り切れ補修が見られ、旭日章が付いていた 跡と思われる穴も見られます。釦は縫い付け式 になっています。袴は元々乗馬型だったのか、 裾に画像のように生地を当てて長袴型にした跡 が見られます。上下同じ方の揃い品です。 |
近衛騎兵砲兵連隊徽章 |
勲二等旭日重光章の副章(レプリカ) |
陸大卒徽章です。 |
海軍軍属(判任官)徽章と海軍雇員の徽章 (舞鶴海軍工廠で働いた方のもの) |
判人文官及び判人官待遇者、部内限り 判任官待遇嘱託者の徽章 |
判任官一等(准士官待遇)の背広用徽章 |
海軍軍属(奏任官)の箱に入っていますが 士官・特務士官・高等文官・同待遇者用の 徽章(武官平服の場合や文官同待遇者用) 所謂、一等から七等までの高等官が佩用し た背広用の徽章となります。 |
箱無しの高等官(奏人官等士官待遇用)の徽章です。 |
この上と下の高等官徽章は高等官二等の勅任官 である都丸 俊男 海軍薬剤少将の所持品です。 |
この下は都丸 俊男 海軍薬剤少将の奥様が所持されていた横須賀海軍高等官婦人会 の徽章です。面白いものですね。 |
こちらが部内限りの勅人官待遇嘱託者用 の徽章です。勅任官は高等官一等と二等 になりますので中将と少将に相当します。 シリアルナンバー入りで珍しい物と思われ ます。豊川工廠印もあります。閣下クラス の徽章は、上の徽章と比べても重厚さが あります。 |
海軍工廠 工員帽章 |
豊川海軍工廠 徴用工員微章 |
こちらも豊川工廠の工員徽章と一等工員の襟章です。 |
下は…二等工員の襟章 |
また下が豊川海軍工廠の徴用工員微章と 徴用学徒用の徽章になります。 |
徴用学徒用の徽章は、真鍮板(直径3,1cm)に上部に穴があいており 裏側に【45】の字があります。 |
陸軍造兵廠徽章です。陸軍造兵廠職員に貸与される 徽章で施設への出入章も兼ねる。左胸部に着用する。 |
初めての自作、陸軍大元帥三式襟章 |
生まれて初めて加工して作った陸軍大元帥の三式襟章です。 |
大元帥襟章のレプリカを作る動機となったのは上と下のレプリカ です。ヤフオクで何と下が6万2千円で上の陸軍大元帥の三式 襟階級章が9万1千円です。…上の襟章は手に触れて確認しな いと何とも言えませんが、実物将官襟階級章を土台にしてたとし ても、あくまで仮定なので異常な高さで驚きました。同じようなレ プリカは陸海軍の襟階級章で5000〜6000円、肩章でも8000〜 9000円前後で売られていますので…今まで考えた事もありませ んでしたが…自作するのを試みてみました。まあ余りうまく出来ま せんでしたが、少しは雰囲気が出ていると思います。 |
ベースに使用した中田商店製のレプリカ |
初めての自作にしては中々、雰囲気が出ていると思います。 |
関西の某ショップの大元帥階級章各種 |
陸軍大元帥の四五式肩章に九八式襟章、そして三式襟章の三点です。 肩章が8,500円位で襟章が7,000円弱の値段でした。 |
大元帥三式襟章です! |
陸軍大元帥九八式襟章です。 |
陸軍大元帥四五式肩章です。 |
初めての自作、海軍大元帥肩章 |
生まれて初めて加工して作った海軍大元帥の肩章です。 |
大元帥肩章のレプリカを作る動機となったのは上と下のレプリカ です。ヤフオクで何と上が6万2千円で下の陸軍大元帥の三式 襟階級章が9万1千円です。…下の襟章は手に触れて確認しな いと何とも言えませんが、実物将官襟階級章を土台にしてたとし ても、あくまで仮定なので異常な高さで驚きました。同じようなレ プリカは陸海軍の襟階級章で5000〜6000円、肩章でも8000〜 9000円前後で売られていますので…今まで考えた事もありませ んでしたが…自作するのを試みてみました。まあ余りうまく出来ま せんでしたが、少しは雰囲気が出ていると思います。 |
不器用な素人が初めて作った大元帥肩章です。 ベースは中田商店製のレプリカの海軍大将の 肩章です。将官肩章は一点が5500円です。 自作した方がリーズナブルである事がよく判り ます。まあヤフオクで馬鹿高値を付けたレプリカ は海軍も陸軍も確かに古色は出ているので雰 囲気はありますが…。 |
実際に昭和天皇が海軍二種軍装で大元帥肩章を 佩用されてる写真です。 |
中田商店のレプリカ将官肩章 |
自作の大元帥肩章は、この中田商店の将官肩章 をベースにして作ってみました。 |
上が自作の肩章。下は関西の某ショップの大元帥レプリカです。 |
この関西の某ショップの大元帥レプリカは8500円 とリーズナブル!古色が無く新品である以外には 問題ないレプリカです。まあ裏地は中田製のもの もそうですが…どうしてもリーズナブルな価格が反 映されてしまうのは仕方ない事です。 |
右上が私が加工した肩章で…左上が関西の某ショップの肩章です。 |
折角なので関西の某ショップの他の 襟章も見てみましょう。 |
一種用の襟階級章です。 |
関西の某ショップの海軍大元帥のセットです! |
軍靴・軍用長靴・半長靴 |
陸軍 昭五式軍靴(昭和16年:11文) |
兵・下士官用 編上靴 サイズは10.3文です。底の外寸で約28cm |
陸軍将校長靴 |
陸軍将校用長靴 |
将校用長靴の拍車(私物) |
上下は、拍車の装着例です。 |
陸軍将校用編上靴(偕行社製・未使用) |
靴底の全長は28.5cm。内地の軍医は、長靴よりも確かに …この靴のような編上げ靴と革ゲートルのイメージがあります。 今となれば将校用長靴は、幾らでもありますが大きなサイズの 偕行社未使用は、珍しいものとなっています。 |
下士官長靴。10.7文、検定印は、薄れて難読。 |
こちらは、上のものより状態の良い下士官長靴。昭和十三年製・大支検定・10.3文。 |
程度が落ちる10.7文の下士官長靴。検定印は、難読。 |
陸軍 昭五式軍靴(10.3文)年式は判読不明。自動車、戦車などの運転者用で 底鋲なし、豚革製。製 |
兵・下士官使用の編上靴でサイズは11文。昭和13年製 朝皮とあります。 |
陸軍 地下足袋 (指割れのタイプ) |
戦地では編上靴よりも静かに歩ける地下足袋の方が良く用いられていたと 言われています。これらの地下足袋は、仕様書が業者に示され、それに合 わせて製作された物を部隊事に購入していたようです。この品はほとんど 使用されなかったようで、底も画像のように綺麗に残っています。また、ゴム も硬化が見られません。日本ゴム(株)製、サイズ 10.7 文。 |
陸軍 営内靴(昭和十八年製) |
こちらの営内靴は、未使用品のデットストックのようです。 |
昭和18年、滋賀工製。皮製で三原のスタンプがあります。 |
こちらも陸軍の下士官、兵用の営内靴(未使用)です。 昭和十七年の日本ゴム製で10.0文(24.0cm相当)。 |
陸軍九六式防寒靴 |
昭和19年、日本ゴム製 |
ゴム部分が剥がれています。 |
上が防寒靴で下が防寒長靴です。 この他に防寒半長靴があります。 |
残念な事に両サイドの内側に破れがある九六式防寒長靴です。 |
昭和16年、本廠検定 |
海軍士官用短靴(オリジナル紐付) |
海軍士官の編上靴です。一緒に中尉の階級章があったそうです。 裏は取り外し用に安全ピン縫い付けなっています。当時少尉に桜 花を追加した物のようです。恐らく海軍陸戦隊で使用されたものと 思われます。 |
海軍士官用短靴 |
海軍兵・下士官用の短靴(官給品) |
こちらも兵・下士官用の官給品の短靴です。 上の物に比べてかなり汚れて程度が悪い ですが、漂白でかなり蘇りました。 |
海軍士官長靴 |
所持者だった金田という方は、航空予備中尉だった方です。 |
海軍士官の防寒長靴 |
この長靴の持ち主は、予備学生出身(3期対空?)の士官で海防艦乗組だったそうです。 |
海軍航空隊 半長靴 |
陸軍航空隊 半長靴 |
陸軍航空隊 長靴 |
陸軍航空長靴の未使用品。機体を傷つけないように底に貼ってあるゴムも完全。 このゴムにも、製造年の刻印があります。内側の白い毛は少し取れてはいますが まだしっかり残っています。サイズは中。右側 土踏まず部 大支検定昭和19年 前ゴム昭和19年刻印 後ろゴム昭和15年刻印 左側 土踏まず部 大支検定 昭和19年 前ゴム昭和16年 後ろゴム昭和15年 底の長さ28.5cm、高さ 37cm。これだけの未使用完全品は、中々見かけません。冬用です。 |
こちらも陸軍航空長靴です。未使用品の夏用です。こちらも とても美品です。 |
陸軍航空隊半長靴(本廠検定・昭和十?年…難読) |
手前の信管は、八九式尖鋭高射信管です。 |
この尖鋭高射信管は、陸軍の主だった高射砲の弾丸に 装着された物です。八九式は、10cm高射砲弾に。九〇 式は、八八式7cm高射砲や十一年式7.5cm高射砲に。 九一式は、十四年式10cm高射砲に使用されました。因 みに、これ等の尖鋭高射信管は、時間設定が30秒まで 可能でありました。 |
七十五粍砲弾です。 |
三八式野砲や四一式騎砲、改造三八式野砲、 九五式野砲等、旧軍で一番多用された弾薬筒 です。装薬形式と薬量が違いますが、九四式 山砲も同型の弾薬です。 |
弾種は三八式榴散弾で、”大正 四 12 高”の 刻印と大阪造兵廠マーク、その他の刻印があり ます。複働信管は三年式で”六 12 弘”その他 の刻印が見られます。 |
薬莢のヘッドスタンプは、”七 6 ナ 森2と、大阪造兵廠マーク その他の刻印があります。雷管は通常は四〇式爆管が用いられ ますが、出品物は九六式五瓦爆管が装着された珍しいタイプで す。爆管には”昭十八 7 阪”と、大阪造兵廠マークその他刻印 があります。弾頭と薬莢は後組み合わせですが、薬莢と爆管は 年代が離れていますがオリジナルの組み合わせだと思われます 。たぶん薬莢は、再利用だと思います。 |
九六式十五糎榴弾砲の薬莢 との事で入手しました。 |
全高26.5cm。ヘッドスタンプの刻印は、”F 昭十七 8 名” と名古屋陸軍造兵廠 監督課などが確認できます。 |
1937年に陸軍は、九六式十五糎砲として正式採用。 日華事変を皮切りに各地において優秀な性能を発揮 しました。特にガダルカナル島争奪戦の活躍は有名 で、アメリカ軍からは”ピストルピート”と呼ばれ、その 威力は、米兵の肝を冷やしたと言われています。 |
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大正時代に日本飛行学校の相羽 有 氏が創立した日本初の自動車学校 ”日本自動車学校”の記章です。裏面に”校外生章”とある事から、軍人等 の外部からの受講生が受講した際の記章だと思われます。中々、珍しい徽 章です。 |