旧軍関連・戦前資料収載品
|
Imperial Japanese Navy
|
海軍の軍服・その他 |
完全手作り真鍮無垢材削り出しシリーズ
|
|
|
今回、匠にオーダーして作っていただいたのは特二式内火艇です。昭和19年12月10日に オルモック湾に逆上陸した伊藤大佐の指揮するカミ10隻と海軍陸戦隊400名の第三中隊 の仕様です。世界に一つだけの二十五分の一スケールの完全手作り真鍮模型です。 |
匠の作品は流石です。今回の二式も前後のフロートが実車と同様に分離します。そして 主砲であ37o砲はクラッカーを装着すると発火して煙まででます! |
下は前期型のカミです。 |
実戦で使われた旧軍の水陸両用戦車は海軍のこの二式に代表されます。 合計で184隻が生産されました(海軍なのであくまで戦車でなく内火艇で す。従って陸軍戦車の様に何輛でなく何隻と数えます)。 |
左上は後期型のカミで右上は前期型のカミです。 |
下はクェゼリンで米軍に捕獲されたカミです。 |
オルモックで輸送艦から発進し逆上陸に成功した特二式内火艇は10隻のうち9隻でした。 その最後は謎のままでしたが、米軍の歩兵第77師団の戦闘報告によると海岸に8隻の 二式が上陸したがすぐに米軍の凄まじい砲火を浴びて7隻が撃破され1隻が無傷で捕獲 されたとなっています。海軍陸戦隊の伊藤部隊はオルモック埠頭はまだ日本軍の制圧下 だと誤った情報を信じていた為、上陸後の猛烈な砲火に対しても伊藤部隊の将兵は必死 に『撃つな〜!味方だ〜!』と叫び…相手を味方と信じて一切の反撃をしなかったそうで す。情島のQ基地で猛訓練に励みパラオやその他の南方の基地に散った二式の部隊を 教育した錬成部隊の精鋭であるだけに惜しい話ですが…同士討ちを恐れ米軍の攻撃を 味方の誤射とかたく信じて反撃を封じて全滅した伊藤部隊は無念だった事と思います。 もし味方であると思わなければ…そうやすやすと全滅などぜす一矢報いた戦いを見せて くれたと思われます。尚、400名の陸戦部隊の二式以外の生き残りは一部に日本軍との 連絡に成功し転戦しますが、結局は多勢に無勢で圧倒的な物量を誇る米軍の前に生き 残った僅かな将兵も壊滅を余儀なくされました。 |
九五式軽戦車と同じ三菱A六一二〇VDe空冷直列6気筒ディーゼルエンジン(110hp) を搭載していました。これを匠は見事に再現して下さいました。 |
クェゼリンで米軍に捕獲され牽引されるカミ |
こうして正面から見ると魚雷艇や支那の河川で使われた河川砲艇のようです。 |
こちらは 1/35 日本海軍 特二式内火艇のプラモデルで 精密ジオラマの完成品です。 こちらは前後のフロートを外し軽戦車の状態になった形です! |
また例によって匠の制作過程を少し画像で紹介です! |
1/72 ドラゴンアーマーシリーズの特二式内火艇 カミ 陸戦ver. 「サイパン 1944年 6月」 (完成品)と 「アイタペ 1944年 7月〜 8月」 (完成品)です。 |
同じく1/72 ドラゴンアーマーの海軍水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 海上浮航形態(後期型フロート 付き)1944年 千島列島です。 |
従軍記者で従軍画家だった
|
古い額に飾られた軍艦の水彩画です。有名な日本画家の久保田 米僊 の次男・久保田 金僊の肉筆水彩画になります。 |
久保田 金僊 は本名が久保田 吉太郎 と謂い京都出身です。 父は高名な日本画家の久保田 米僊 、兄の久保田 米斎 も画 家で舞台美術家でした。京都府画学校卒。国民新聞の従軍記 者(従軍画家)として日清・日露戦争に赴任し戦争画を制作。 大正4年文展に”庭の一隅”が初入選。日本青年絵画協会・絵 画共進会等で活躍。舞台装置や時代考証でも知られました。 昭和29年10月9日に79歳で逝去。日 |
額の中に水彩画の裏に敷かれていた古新聞です。水彩画の記載と 同じ年である昭和13年の4月11日の読売新聞です。 |
水彩画の右下には昭和13年11月と金僊が読めます。この年は女優の岡田嘉子が 杉本良吉と共に樺太国境を越えてソ連に亡命した年で国内では、国家総動員法が 公布され施行されました。夏にはヒットラーユーゲントが来日しました。海外に目を展 じるとナチスがオーストリアを併合、徐州会戦に張鼓峰事件が起こりきな臭い時代で す。秋には支那で日本軍が広東に武漢三鎮を占領、12月には重慶爆撃が開始され 重慶から汪兆銘がハノイへ逃れます。 |
見た目では一番、長門型戦艦が近いと思います。長門か陸奥のどちらかを 描いたか判りませんが…昭和13年11月に書かれた絵です…長門は昭和11 年に同型艦の陸奥と共に大規模改装が行われ、ボイラーの換装と装甲の追 加、主砲塔の改造や魚雷発射管の撤去を終えたばかりで2本あった煙突が 1本になり大改装前に比べるとより近代化され獰猛な戦艦らしい印象になっ ています。下は同時期に近い長門型の模型です。 |
上が戦艦”長門”で下が”陸奥”です。 |
石炭を主燃料とした明治〜大正時代
|
まだ電化製品が主流となる前の時代はアイロンも石炭やコークスを使ったもの でした。構造は単純そのもので中に石炭を入れて熱とアイロンの重みで布を伸 ばす使い方です。日本では江戸時代中期頃からこの石炭でなく炭火を使ったア イロンが普及しこれは”火のし”と呼ばれて明治時代中期に電気アイロンが発明 され、以降次第に石炭アイロンが廃れるまで主流として使われました。 |
帝國海軍の軍艦の主燃料は日清・日露の戦争を終えて大正時代までずっと石炭が 占めてきました。より高出力な機関の重油専焼缶が開発されても国内で重油が確保 出来ない日本の現状に鑑みて海軍は重油だけに偏重する方向の切り替えに踏み切 れず暫くは石炭重油の混焼缶式を継続しました。実際、主力艦である戦艦において 純粋な重油専焼式として竣工したのは最後の超弩級戦艦として日米戦開戦の前後に 世に出た世界最大最強の戦艦として名高い大和と武蔵の二艦だけです。その他の 戦艦は、昭和に入り近代化の大改装で混焼缶+重油専焼缶方式を重油専焼式一本に なり高速戦艦に生まれ変わって行きました。このアイロンもまた明治海軍で重宝されま したが電気式アイロンが海軍でも主流に代わるとお役ごめんとなった品と思われます。 民間のアイロンとの唯一の違いは後方の空気入れの窓の蓋が海軍の錨のマークが 入れられている事だけです。 |
シンプル・イズ・ベストを地で行くような味わい深いアイロンです。 |
日本ではまずお目にかかれない石炭アイロンですが 国によってはまだまだ現役で使われておるようです。 |
年季が入っており…百年以上前の品と思われます。 |
九六式超短波測波器一型
|
昭和18年8月、シリアルナンバー.212、海軍技術研究所の銘鈑のある 九六式超短波測定器T型です。 |
無名の従軍画家と思われる方の作品(油絵) |
従軍画家は日清・日露戦争のころから存在していましたが急速に数を増やしたのが 日中戦争以降です。まずは昭和13年の春頃より上海派遣軍報道部長の馬淵 逸雄 陸軍中佐(後の大本営報道部長)が画家たちに戦争記録画の協力要請を行い…これ が絵筆を持って国に報いる彩管報国になり…以降、日中戦争だけでも陸海軍で二百 名を超える従軍画家が誕生し各地で活躍し更に日米戦が開戦すると太平洋の各地へ 従軍画家もまた進出致しました。 |
多くの画家が有名・無名の画家が陸海軍の軍属として従軍画家になり銃の代わりに 絵筆を持って任に就きました。高名な画家であれば勅任官(将官)待遇で多くが奏任 官(尉官〜佐官待遇)だったものと思われますが、年齢や経歴により判任官もいたも のと思われます。 |
y.Suzuki のネームが記載されています。高名な画家の方では無かったようです。 この大改装を終えて電探(レーダー)を搭載した戦艦”金剛”の絵から時期は昭和 19年以降と思われます。戦艦”金剛”には21号電探1基と 22号電探が2基、13号 電探が2基の搭載が確認されていますが搭載時期は不明です。 |
この y.Suzuki の同じ方の描いた陸軍の従軍絵画を陸軍の展示ページでも掲載 しています。以下のバナーをクリックすると該当ページに飛びます。 ↓ |
上は昭和19年の最終近代改装を終えた時の金剛の画像。下は第一次改装後の金剛。 |
赤塚 清五郎 海軍特務中尉の
|
珍しい船匠科の證状です。海軍三等船匠手時代のものです。 |
この方が持ち主だった赤塚兵曹長です(昭和3年当時)。 |
巣立って行った教え子たちと教員らに贈られたアルバムです。この船匠科も 昭和5年には廃止されてしまいました。 |
海軍に七年間奉職した下士官。その後も
|
敗戦まで第一海軍技術廠の総務部・運輸係を昭和10年より10年間 勤務されていた時の身分証明証です。元々の姓名は山崎 知雄でした が、昭和16年に婿養子に入り、田中 知雄になっております。また昭和 10年に海軍三等兵曹で予備役に入り…雇員となりましたが昭和17年 の制度変更で海軍二等兵曹になって調整されております。 |
こちらの品は戦前戦後を横須賀で帝國海軍の海軍工廠と米海軍の雇員として 働いたごく平均的な当時の日本人の方の記録です。元々は秩父の出身の方で 明治41年生まれです。現在も存命ならば105歳になられると思います。昭和3 年の20歳で志願して海軍へ入ります。横須賀海兵団を皮切りに四等水兵より 海軍のキャリアをスタートさせます。昭和10年に海軍三等兵曹で予備役に編入 されるまで7年間の軍歴がありますが、多くが前半から後半まで霞ヶ浦海軍航空 隊の勤務です。発動機整備員として自動車講習を受けて昭和8年に普通自動車 免許を取得しています。…退役後は第一海軍技術廠の総務部・運輸係を敗戦ま で10年間務めて敗戦後、昭和28年まで中野硝子製作所で働き…以降から再び 政府の出先機関(防衛庁の)の斡旋で昭和36年まで米海軍基地でドライバーの 仕事をされてレイオフされて退職を余儀なくされるまで働いております。その後、 恩給の申請に集めた書類などがこちらの一連の記録となります。この恩給の申 請をした時が昭和37年であり…この方が54歳の時となります。 |
昭和10年に海軍三等兵曹で退団した海軍履歴表です。 |
水兵時代の帰省願や旅行願や休暇願です。まだ婿養子に入る前なので 山崎姓になっています。 |
海軍工廠在職中の身分証明書と恩給申請に関する上申書というか 請願書でしょうか。 |
10年間在職した海軍工廠での給与袋です。 |
几帳面に保存された海軍工廠の給与明細です。昭和10年の12月分から 昭和20年7月の敗戦の前月までの明細が揃っています。 |
敗戦後に昭和28年まで東京の自動車会社や中野ガラス製作所に 勤務した時の給与明細です。 |
恩給の申請時のものです。 |
こちらは昭和28年から昭和36年まで横須賀の在日米海軍基地で ドライバーをしていた時の給与明細です。 |
例え敵国だった米軍ですが…敗戦となり…7年務めた海軍を退団後に入廠し10年も働いた海軍工廠 も海軍も消えてなくなりました。人間働かなければ生きて行けず…敗戦後の焼け跡で一番苦しい時代 を東京に出て8年間、民間の工場で働き…再び住み慣れた横須賀に戻り…かつて働いた工廠の場所 で米海軍基地になりましたがレイオフされるまで8年間…勤務されています。 |
日本人の海軍下士官が入団し退団そして再就職。敗戦を 境に海軍工廠が解散し…一時、民間の工場で働き、最後 は元の働いていた横須賀で敵であった米海軍基地で働く という皮肉な面がありますが非常に珍しい経歴だと思いま す。 |
ピットロード社製 1/35 塗装済完成品
|
〜 脱 線 〜 |
*今回、このページで採用したBGMは、平成11年に46歳の若さで 脳内出血で急逝した不世出の天才シンガーソングライターの村下 孝蔵 の”だめですか?”です。 |
29歳の遅咲きで4枚目目になるシングル”ゆうこ”がヒット 続いて30歳の時に”初恋”が大ヒット・・・素晴らしい世界を 以来、我々ファンに17年間聞かせてくれました。村下さんが 亡くなられて約14年・・・今も時々、彼の作品を聞き続けてい ます。 |
だめですか? |
まだ村下さんが存命であれば素晴らしい作品が ドンドン生まれて我々をきっと魅了し続けてくれた 事でしょう。・・・本当に残念でなりません。 |
惜しい才能を失いました・・・。 |
〜 脱 線 2 〜 |
CAW 南部式自動拳銃 大型乙 可動モデルガン |
無可動の実銃は初めは感激しますが…ヘビーウェィトの文鎮と同じで 意外とこの可動のオモチャの方が楽しめます。但しこれ金属モデルで 無いので余り遊んでいると破損しそうなのが難点です。 |
CAWが製作の日本軍物 第9弾”南部式自動拳銃 大型乙”です。通称”パパ南部” です。リアサイトも稼動し排莢して遊べます。 |
マズルにしっかりと刻まれた6条のライフリングが泣かせます! |
〜 脱 線 3 〜 |
缶コーヒーや食玩のオマケのオモチャです。豪華なものです。私の子供の頃は 精々がカルビーのオマケで仮面ライダーカードを集めた位です。こんな豪華な 塗装までされた戦車やバイクが種類も豊富にあるなんてことは有りませんでし た。…豪華でかつその種類の豊富さに驚かされます。 |
〜 脱 線 4 〜 |
平成25年10月31日に電装系不良から復活
|
この時代のCB系は電装系で泣かされます。既に純正部品の供給は無く...あるのは 社外品パーツ製作に望みを託すのみです。発電量の低下したCBをだましだまし乗っ ていましたが、いよいよ発電量がZEROとなり、押し掛けしないと乗れない不自由な 状態になりました。ジェネレーターローターにコイルと一式とレギュレーターにスタータ ークラッチ…待ちに待って交換して元気一杯に復活を遂げました。 |
長距離ツーリングで頼もしいバイク用ナビはBluetooth機能で音楽も聞けます。 またETC横のソーラーパネルの更に横の機器レーダー探知機がナビに連動され て非常に頼もしい限りです。こうした電子機器も電源が無ければ無意味な存在で す。 |
今回、オール交換し取り外したパーツです。長年使い続けたレギュレーターに ジェネレーターです。コイルも随分前に巻き替えて再生を図りましたが…遂に 全交換です。まあこの時代のCB-Fに共通した悩みですが…スタータークラッ チもセルモーターも全て弱く…電装系では泣かされます。 |
平成25年10月末に復活直後、通勤で使用し空き時間に首都高5号線を北上し外環・練馬 まで高速を走らせ一般道で戻ってきました。その模様の一部をまたCONTOURをメットに 装着して撮影したのでUPしました。高速では電装系の復活でETCとナビもフル稼働させ て走行しました...。 |
あの絶不調の時が嘘のようにナビを付けてETCが点灯してもアイドリング 状態で電圧計が安定しています…(^O^)/ |
〜 脱 線 5 〜 |
我家の我家の愛犬・リナです。15歳…もうすぐ16歳になります。 可愛い顔をしていますが…もう白内障に緑内障も進み目も余り よく見えていません。足元も少しよろけるようになりお婆ちゃん犬 です。…それでも家族の一員ですから長生きをして欲しいもので す。 |
もうすぐ16歳になる愛犬リナです。腹部に脾腫が見つかったのは随分前です。 まさかここまで大きくなるとは…。人間と同じでALPという血液生化学の値が 異常高値でここ数年はウルソ(人間用を分割して)を内服させていました。し かしいよいよ触れただけでなく見た目でも判るほどに大きくなり…他臓器を圧 迫していよいよ死期が迫ってきました。高齢犬なので当初は手術をさせる気な ど毛頭なかったのですが…急激な食欲低下に体重の低下…もうせめて半年… いや1年・2年、生きて欲しいと願い手術に踏み切りました。上は術後に点滴を 受けるリナと摘出した脾臓と腫瘍です。 |
肝臓と膵臓にも癒着していた巨大な脾腫です。3時間にも及ぶ大手術に耐え 点滴を受けるリナの痛々しい姿(下)です。術中の出血がひどくこの後に輸血 を受けました。…まだ入院中ですが何とか術後の合併症を乗り越えて無事に 退院して元気を取り戻してほしいものです。 |
海軍刀の菊水紋彫の銀ハバキです。 |
陸具の靖国刀に対して海軍では菊水刀が有名で人気が高いようです。 菊水刀には茎に菊水紋彫りの銘とこの菊水紋彫りの銀ハバキが定番 です。…その人気にあやかって贋作を売る悪い業者も多いようです。 |