旧軍関連・戦前資料収載品
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Imperial Japanese Navy
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海軍の軍服・その他 |
海軍機の両翼に搭載された主力機銃
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≪世界で唯一の真鍮無垢材削り出し1/4スケール模型≫ |
世界で唯一の真鍮無垢材削り出し1/4スケールモデルの九九式二〇粍二号機銃 四型です。オーダーメードの一点もので当サイトでお馴染みの一連の1/4スケー ルの旧軍火器を職人芸で作成していただいてるシリーズの最新作です。名器・零 戦が初期に搭載したスイスのエリコンFFをライセンス生産した九九式二〇粍一号 機銃二型より50pも銃身を長くし更に弾薬の装薬量も増やした事により…この二 号銃は小便弾と揶揄された問題を解決し初速と発射速度を向上させました。また ドラム式の給弾の為、限られた装弾数しか搭載できなかった問題をベルト給弾式 にする事で解決しこの二号銃四型では左右其々125〜250発を搭載できるように なりました。大戦中・後期の海軍機零戦、雷電、紫電、月光、彗星、夜戦 銀河、 夜戦 彩雲)の多くに幅広く搭載されたまさに日本帝國海軍航空隊の主力武装で ありました。 |
同スケールで再現された20o弾です。右端の一回り小さい醫一号銃の 20o弾です。残る左が二号銃用の各種20o弾です。 |
九九式二〇粍二号機銃四型 ≪性 能≫ ・全長: 188.5 cm ・重量: 38 kg ・砲口初速: 750 m/s ・発射速度: 約500発/分 ・給弾方式: 金属ベルト125発〜250発 |
ディスプレイは、二号銃独特のベルト給弾とリンクを再現し、翼の中の設定で 零戦の主翼に特有の前・後の桁と中の方まで皿頭(沈頭鋲)がちゃんと再現 されており弾頭と20o弾の説明は一号銃用の短い弾と二号銃用との比較を セットしてくれています。…至れり付くせりの鑑賞モデルとなっています。 |
九九式二〇粍二号機銃四型(1/4) |
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制作過程を匠の記録から紹介します。 |
匠の取り組みはまず制作対象の徹底研究からスタートされています。 上は靖国神社の遊就館の1Fの零戦の横に展示されている一号銃で す。その下の2枚は霞ヶ浦の陸自の武器学校の二号銃四型の実銃展 示品です。 |
この下は、知覧に展示された零戦の二号銃四型です。 |
上が一号銃で下が二号銃です。銃身が50pも長くなります。 |
九九式20粍一号旋回機銃(エリコンSS)です。一式陸攻などに搭載され活躍しました。 |
戦後に英国海軍で使用されたエリコンSSです。 |
匠はとにかく様々な文献から専門の研究者より資料や写真等を取り寄せて 完全なイメージのもとに製作を開始し始めると…かなりのスピードで作り上 げてしまわれます。そのバイタリティーにもいつも脱帽します。 |
匠が揃えられた主な必要な部材です。 |
匠によるベースの部材の切断の様子です。 |
実際の装弾リンクです。エリコンFFを様々な国がライセンスしましたが ベルト給弾化に成功したのは我国だけです。特徴的な喜平ネックレス のような平たい背面だけのリンクです。 |
20粍弾(二号銃用)の独特のカラーリングです。左より通常弾薬包三発
曳跟弾薬包、通常弾薬包、曳跟弾薬包改、着色弾薬包、徹甲通常薬包 焼夷通常薬包、演習弾薬包…実にカラフルです。 |
薬筒の対比です。一号と二号では別物です。 |
九九式二十粍一号固定二型機銃の動画(エリコン20mm系のAPI ブローバックの作動を再現したGIFアニメーション) |
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このGIFはこの機関砲の動きが非常に判り易く見えます! |
〜以下は所蔵中の一号・二号銃弾や
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零戦で使用された二十粍一号機銃の空薬莢
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今も語り継がれる栄光の零戦の両翼に あった20o一号機銃の薬莢2発です。 |
某N氏の零戦の2号4型機銃と2号銃の薬莢です。 |
海軍九九式二十粍(航空機関砲弾)機銃弾 右の黄色白線三本は、焼夷通常弾薬包改三 (ガソリンタンク着火用)です。左の赤色白線 三本は、曳光通常弾薬包改三(弾着修正・破 壊用)です。この弾が光ながら飛んでいく様は アイスキャンディーと言われました。またもう一 種類、徹甲弾があり、この三つの機銃弾が連 続して交互に発射されました。 |
上が九九式20o2号4型弾とリンクの様子です。 下は、九九式2号4型ベルト給弾式20o機銃です。 |
こちらも20oの薬莢です。凹みがあります が弾帯(リンク)の一部が残っています。 |
九九式二〇粍一号機銃弾です。 |
刻印が“日−2?−12−「一」”で 皇暦2602年(1942年)?、12月、 大日本兵器製の一號銃用との事 です。 |
弾頭は陸軍の“ホ五”を代用した 弾とのことです。 |
入手先のオーナーだった研究者の方の説明では、 豊川・横須賀製二十粍は、一号・二号共に巷にあ ふれていますが、大日本の二十粍一號は、まず見 かけず、生産数を考えてもこの薬莢だけでもかなり 貴重との話です。また、ホ五の綺麗な代用弾の弾 頭も徹甲弾、榴弾、マ弾に比べ大変珍しいものとの 事です。 |
九九式二十粍一号・二号機銃弾
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ピカピカに磨かれた真鋳製の薬莢です。短い方が一号銃弾の 空薬莢で長い方が二号銃弾の空薬莢で共に発火済みです。 両方とも余り出てこないものですが特に一号の短い方は、私も 一発だけしか持ってませんでした。二号は潰れたのを入れると 空薬莢はそこそこあります。 |
発射薬量が少なく射程の短く、その弾道の軌跡から小便弾と揶揄された一号 銃は7.7ミリに比べ命中した時の破壊力を無視出来ず、二號銃の開発に繋が りました。二號銃採用後、一号銃はその数を徐々に減らしてゆきましたが敗戦 まで使用されました。 |
二號銃用は初期採用の一號銃用の薬莢を長くし、発射薬量を大幅に 増やし初速と射程を改良したものです。並べると現金なほど大きさの 違いが判ります。これだけ装薬量が増えれば小便玉も真っ直ぐ飛んで 行く事でしょう。 |
エリコン機銃の特徴で莢底部に発射による高圧の為に蹴子孔の跡が凸状に 付いています。また高圧の為か減起縁上部に数本のひび割れが確認できま す。刻印は無く昭和十八年以降の品の様です。 |
九九式二十粍一號機銃弾薬莢の
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零式艦上戦闘機(ゼロ戦)等に搭載された代表的な九九式二十粍 一號機銃弾の薬莢のカットモデルです。一号銃は発射薬量が少な く射程の短さやその弾道故に小便弾と揶揄されましたがその破壊 力は無視する事は出来ず、二號銃の開発に続きました、二號銃の 採用後一号銃は、その数を徐々に減らしてゆきましたが敗戦まで 使用されました。底部に刻印は無く昭和十八年以降の製品の様で す。 |
雷管部は固定せず取り外しが出来ます。ヤフオクで手に入れました が入手元の業者さんは有名な実銃などを加工し輸入などを手掛け ているので…これ等の加工なども手慣れたものなのでしょう。見事 なものです。 |
この信管も零戦を始めとする戦闘機や航空機に搭載された 九九式20粍航空機銃弾薬用の信管です。末期に採用され たもので無撃針信管とよばれました。別名:空気信管とも関 係者から呼ばれていたそうです。この信管は、命中の衝撃 で潰れた信管本体が内部の空間を圧迫し高圧の空気が雷 管部を発火させる仕組みで作用するようです。制作に高度 な技術を要するもので、技術はあるものの物資不足の末期 の日本にはもってこいの信管で、正式名称は”無撃針信管 三型改二”です。 |
先端部の極薄の蓋板も変形は無く非常に綺麗です。 ただ末期の製品の為か挽き跡が目立ち仕上げがや や雑になっています。この現象は当時を物語って興 味深いと薬莢のカットモデルを制作し売っていた業者 さんの説明文にありました。 |
この20o機銃を搭載した月光に零戦…そして紫電改の模型です。 |
零戦のスケルトン模型で見る翼内の20mm機銃 |
帝國海軍の各種艦船に使用された
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生成色の帆布に覆われた防水塗装する前の未使用・デットストックの救命浮標(ブイ)です。 |
結構な重量があり…約6kgあります。直径:70cm。 |
記念艦”三笠”の救命浮標(ブイ)です。白色の防水塗装がなされ 艦名が記載されているのが判ります。 |
下は現代の海自・護衛艦の救命浮標(ブイ)です。 |
戦後67年…その歳月の経過を全く感じさせない立派な作りです。 |
これならまだ半世紀は現役で使える気がします。 |
通常、救命浮標(ブイ)はコルクを環形に詰めて固めて綿布で包んだものです。 これに周囲四か所に握り綱をつけて防水塗装をして円周を八等分して白と赤 で塗り分けます。図のように十字でなく扇形に塗り分けられていました。 |
全体の大きさに比べて余りに小さいので目立ちませんが艦橋付近や艦尾 に救命浮標は設置されている事がこれ等の配置図より良く判ります。 |
このように潜水艦は艦橋内部に救命浮標を謂いていました。 |
帝國海軍の各種艦船に使用された係船桁の索梯子
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こちらも戦後67年を感じさせない一品です。海軍で使用された索梯子です。 長さは、2m70pあり幅は41p、重量は3.2sあります。まだまだ頑丈で現 役で使用可能です。今となれば日本海軍の貴重な遺品の一つと謂えます。 |
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下の寫眞のように軍艦の上を軽快な身のこなしで 上へ下へ移動する日焼けした水兵達の姿が目に 浮かぶようです。 |
潜水母艦”大鯨”での訓練風景の写真ですが、同じ 索梯子を使った訓練が写されています。 |
下は別の艦の係船桁と索梯子を使った写真です。 |
この図のように係船桁と索梯子を使い陸地や大小の艦船と連絡します。 |
戦時中、戦死後に国葬で送られ今も国民に人気の高い
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山本 海軍大将の名刺と送り封筒を色紙サイズに表装した物で 山本長官の書き込み(直筆)があります。 |
宛先の”橋本 清吉 氏”は、三重県出身の政治家で福島県知事を務めた後 近衛内閣の警保局長になられております。この手書きは…その頃に受け取 った物と思われます。 |
差出し人の住所は、当時の聯合艦隊旗艦の軍艦 ”長門”と書かれており…まさに開戦直後 の連戦連勝の破竹の勢いで南方へ進出する矢先の手紙である事が判ります。 |
消印は16.12.24となっており、真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)の 約二週間後になります。手紙は恐らく礼状のようなものと思われます。 |
宛名の橋本 清 氏は、戦後も衆院議員を1期(改進党)つとめております。 昭和30年7月2日に57歳のの若さで逝去。多磨霊園に眠られています。 |
タイムリーと謂うべきか…少し前の平成23年年末の超大作として 東宝映画の『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年 目の真実-』が上映され、公開2週間で動員80万人・興行収入10 億円超えの大ヒットとなったとか…。今も国民に人気の高い事が 伺えます。 |
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親子鷹…陸軍薬剤中尉の子息が
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陸軍の展示品の方で紹介している陸軍薬剤中尉の御子息で父上の 道を辿るように昭和18年9月に千葉醫科大學薬學専門部を卒業して 薬剤師免許を取得し、そのまま海軍の豫備學生で薬剤少尉に任官 された小島 彰 氏の軍装品一式その他です。 |
丁度時期的に学徒出陣に重なります。しかし親子で陸海の 薬剤官とは実に珍しく…希少性の高い親子鷹と謂えます。 |
軍帽に剣帯、士官短剣に二種軍衣袴に後期型少尉小型肩章です。 短剣以外のすべてに小島の記名がされています。士官短剣は牛皮 の官給型で当時の模造刀が入れられたままです。 |
この二種は戦況の悪化で全て三種の着用に変わって いったので殆ど着る機会が無かったものと想像します。 |
卒業証書です。 |
薬剤師免許証は、現在と変わらないままの形式です。 |
教練合格検定書です。これを配属将校にもらわないと 陸軍の甲幹も海軍の豫備学生も受験できません。下は 豫備学生で海軍に進んだ時の餞別の控えです。後で お返しもしなければならないので…こうした記録は必要 なものですね。 |
↑ 上のバーナーから小島少尉の父上の 小島 陸軍薬剤中尉の展示のページに 移動します。 |
小西製のシリーズ…空母”大鳳”に”蒼龍”、戦艦”山城”、”扶桑”、”金剛”です。 |
小西製のシリーズ…装甲巡洋艦”日進”と”春日”です。 |
性能緒元 |
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小さな1250分の1スケールも数を並べると結構、迫力が出てきます。 |
戦艦”武蔵”に空母”隼鷹”も護衛の巡洋艦群の中に鎮座しています。 |
病院船”氷川丸”と”あるぜんちな丸”です。 |
新たに加わった軽巡と駆逐艦、潜水艦の1250分の1です。 |