Imperial Japanese Army
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陸軍関連 |
陸軍大将 朝香宮鳩彦王 殿下所持の靖国刀
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朝香宮様が昭和14年8月1日に陸軍大将に昇進された折に部下の有志 の方々から贈られた靖国刀(靖光)です。余鉄で作られた控えの作の分 も併せて二振りが殿下に納められたようです。その二振りの本刀の方に なります。余鉄で作られた控えの方も外に早い時期に出て昭和40年代の 日本刀展図録にあります。そちらには昭和十四年八月 靖光、朝香大将 宮殿下御太刀以余光鉄 の銘がある事から、この本刀の製作時期も昭和 十四年八月である事が判りました。外装の九八式軍刀の拵えも未使用で あった事が一目瞭然で判る極美品で柄とハバキに朝香宮家の御家紋を 見る事が出来…見事な内外ともに軍刀です。 |
皇籍離脱された殿下はゴルフの世界に身を置かれましたがゴルフ 施設の関係者やゴルフを介して親しくなられた日本刀コレクターの 方に本刀を含めて所蔵品を何点かお譲りになられたそうです。 |
流石は、大勲位陸軍大将 朝香宮 鳩彦王 殿下の御佩刀です。 |
大勲位功一級 陸軍大将 朝香宮鳩彦王 殿下の三式軍衣袴 で写る御姿です。 |
長さ66cm、反1.6cm、元幅31o…立派な靖国刀です。昭和14年の製作から 73年余りの時を経ていますが、流石に旧宮家に伝世の品として納められただ けあって柄にも汚損は一切ありません。 |
上は前のオーナーが展示に出した時に展示の図録に出していた銘と茎の画像 です。古い時代の物です。ハバキは厚い純銀製で朝香宮家の御家紋彫り…上 で御家紋が黒くなっていたので酸で洗浄し下のように美しさを取り戻しておりま す。 |
昭和26年二桁番号登録の文化財保護委員会の登録書が 付していましたが(右上)水濡れによる汚損で判別が不能 になった為、文化庁に問い合わせした所、再登録するよう に支持され東京でなく大阪府で新規に再登録したばかり です(左上)。 |
右上が本刀の茎と銘です。左上が余鉄で作られた控えの作の分の茎と銘のです。 昭和十四年八月 靖光、朝香大将宮殿下御太刀以余光鉄 の銘がある事から…こ の本刀の製作時期も昭和十四年八月である事が判ります。 |
左上の写真の前列右から二人目の方が靖光(池田靖光)です。 |
昭和8年12月15日第三鍛冶場で池田靖光の打ち始め式 |
靖国刀の刀展図録にある靖光のその他の軍刀の茎と銘。 |
流石は宮様将軍の御佩刀です。拵えも極美で純銀のハバキに朝香宮家の御家紋 と柄の目抜きにも純銀の御家紋があります。護国刀 靖光 の銘があります。 |
柄の目貫にも朝香宮家の御紋があります。当時のまま 正絹柄巻きの為、出っ張った部分にややほつれを見ま す。 |
◆ 陸軍大将 朝香宮鳩彦王 殿下 ◆ 大勲位功一級、陸軍大将、陸士20期・陸大26期 明治20年10月20日〜昭和56年4月12日 近衛師団長、上海派遣軍司令官等を歴任されま した。敗戦後、昭和22年10月14日に皇籍離脱を されました。以降は、朝香鳩彦を名のられま東京 港区白金にあった朝香宮邸を外務省に貸し出して 戦後の生活は熱海の別荘に隠棲してゴルフ三昧 の日々を送られたようです。そして昭和56年4月 12日に満93歳で薨去されました。 |
精巧手作り真鍮製四分の一スケール・シリーズ |
帝國陸軍 九七式車載重機関銃(1/4 スケール) |
精巧真鍮四分の一シリーズの新作です。今度も匠が何も無いZEROの状態から このような見事で素晴らしい作品を生み出してくれました。今回は世界に一つと は行かず同時に三点が作られた一点となります。 |
九七式車載重機関銃と謂う位ですから、戦車や装甲車に普段搭載された状態 を見事に匠が再現してディスプレイして下さりました。 |
ボールマウントされた機関銃をこのまま車輛に搭載すれば上下の 戦車と同じ状態となります。…右上に点検口があり可動します。 |
照準眼鏡に地上戦用の二脚・・・そして照準眼鏡の取り外しは勿論ですが 銃床の伸縮可能も出来ます。 |
以下は、陸自の武器学校で展示の実銃です。 |
こちらが実銃なのですが…サイズが判らなければ全く同じに見えるので 改めて匠の作品の精巧さに舌を巻きます。…しかし匠も評されておりま したが日本軍の兵器は、おしなべて手作りの部分が強く…大量生産の 兵器としては不向きで…。制作する側だと、尚よく実感されるところなの でしゅおね。 |
また今回も匠の制作過程を画像で追っかけて見ます。 |
匠みずからが制作した説明の動画です。 |
以前、製作してくださった九七式車載機関銃に合わせ1/4で また匠が戦車帽を制作してくださりました。 |
この塗装された完成プラモデルの西住戦車隊長の写真を 見ていて創作意欲が湧いたと仰っておりました。しかしそ れですぐに作られてしまうから本当に凄いと感心するばか りです。 |
真鍮だと重すぎてイメージが出ないのでグラスファイバーで原型を 作り、これに革を接着して完成されたとのことです。戦車眼鏡も見事 です。…内部はきたないのでムートン詰め込まれたとか。これが裏 返すと冬仕様の戦車帽のように見えます。 |
九七式戦闘機(キ-27)の主輪と
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珍しくホイルカバーとホイルに当時のオリジナル色が残っています。 |
軽量化の為でしょうが驚くほどに肉厚が薄く見た目より軽い。 |
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オリジナルの車軸が残っています。 |
正規タイヤ(高圧タイヤ)を装着している九七式戦闘機の画像(上と下) |
車軸そのものはオリジナルですが荷車に付いていた車輪なの で車軸の端は加工していると思われます。 |
タイヤが一部切れているところがあります。 |
昭和18年製…株式会社 宮田製造所で
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対比の為に後ろに置いた九七式戦闘機の主輪に比べて一回り小さいのが判るでしょうか。 ホイールは制動用のブレーキドラムが附いていますのでオリジナルと思います。いずれに しても陸軍の小型機と思われます。 |
戦前、宮田製作所は銃器メーカーとして会社を興し、自転車とオーバイメーカーとして 成功しました。戦時中は軍需工場として海軍の零戦の主脚や車輪の製造…陸軍機も 様々な主脚や車輪の製造を手掛けました。戦後はバイクの生産から撤退し自転車メ ーカーのミヤタサイクルとして有名になった。また消化器製造と販売で成功しており、 平成平成22年に自転車部門は分社化した。(以下、クリックで公式サイトが開きます。) |
関の昭和刀(初期の頃)
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軍刀の拵えは簡易過ぎる略式軍刀です。野戦用の略式 にしてもストッパーはおろか留めホックすらありません。 ガタつきはありませんが…鞘とハバキが甘いので柄を下 に向けると刀身が出てきそうです。鍔には皮留めホック を通す穴が開いていますが、切羽で塞いでいます。 |
銘にある不破兼若は、昭和14年10月8日に登録受付された 戦時下の軍刀(昭和刀)関鍛治刀匠で本名は不破準一です。 |
この関の昭和刀の初期検査印が刻印されています。 そしてこの刻印は関刃物工業組合が昭和刀 (古式半 鍛錬、素延刀)のみを検査し合格した印です。 |
確り収まりガタツキは有りませんが、拵えは略式過ぎるどうでもよい簡易な物です。 |
陸軍 野戦用参謀飾緒 |
陸軍の野戦用の参謀飾緒です。通常の参謀飾緒に比べて残存数が 少なく希少なので高額になる品です。皇族附武官副官飾緒の次に 残存数が少な飾緒です。共に最低…二点ずつは収蔵していますが… 大きな品でない為…幾つかある収蔵倉庫の何処に仕舞ってあるのか 判らなく困る事が多いので…出物があると高額でも入手して安心して 仕舞い込むとまた何処に収納したか忘れるを繰り返しています。 |
我心の師…椿様が製作された作品です。 |
ADVEN製のABS樹脂製の九六式軽機 |
九六式軽機で攻撃する皇軍兵士 |
九六式軽機関銃・部品・工具箱です。 |
中の工具は、ありません! |