旧軍関連・戦前資料収載品
 (軍装品...etc) Part Wp















日本傷痍軍人会の創立40周年記念バッチ
傷痍軍人記章を記念額にしたものです。
財団法人戦傷軍人会が作成たもの
です。戦後の記念額として作り会員
に配るか売るかしたものと思います。
台湾総督府の○○神社奉納試合参加章
です。○○の神社名が難読で読めません。
皇紀二千五百八十八年(昭和3年)の日付
があります。正面に台湾の島の形が浮彫に
なり台湾総督府の名が入っています。裏は
神社の鳥居に鳩などがデザインされていま
す。まさに古き良き時代のメダルです。







野戦重砲兵第八聯隊長 高橋 克己 陸軍大佐の勲記




高橋克己大佐(陸士28期)は、敗戦時に第一総軍(杉山元 元帥)
隷下の第十ニ方面軍(田中静壱 大将)の直轄部隊で埼玉の飯能
にあった野戦重砲兵第八連隊の連隊長だった方です。
勲三等瑞宝章の勲記です。











思い入れの深い御賜の煙草二箱とエピソード




陛下から下賜されたという名目で兵士に配給された
御賜の煙草です。一本々に菊の御紋が印刷されて
います。今までも御皇室が警備に当たった警察官や
巡幸先の関係者に配ったりされてましたが…禁煙の
この御時世に合わせて御賜の煙草の配布するのを
止めると聞きかじった事があります。本品は、夫々に
配給された陸海の兵士からエピソードと共に煙草をい
ただきそのエピソードを書きとめて煙草に巻いてありま
す。非常に人間らしいと言いますか…思い入れの深い
七本入り箱付の珍しい御賜の煙草です。

貰った経緯がこのように一本々書いてあります。


右と右上の物は、満州帝國の御賜の煙草です。
それぞれ昭和16年から敗戦後の昭和23年に至るまで
収集されています。集められた方は、浜口太良兵衛と
いう方で敗戦の歳の昭和20年で71歳と記載されており
ます。
陸海軍の諸兵達から戴いたようです。


上の御賜の煙草箱を集めた同一の方の別な
御賜の煙草箱の品です。七本で四エピソード
になっています。
非常に人間味溢れたエピソードと煙草です。
昭和20年5月31日に煙草をいただいたエピソード。
昭和9年2月6日にいただいた煙草とエピソード。
昭和10年2月14日にいただいた煙草とエピソード。
昭和14年元旦に鈴鹿海軍航空隊の航空兵曹長
より御賜の煙草四本とエピソードをいただいてい
ます。







満州国製の大満州国建国功労章(共箱・外紙箱付)




共箱、外紙箱も付きの大満州国建国功労章です。記章は、
僅かに使用による綬の僅かな汚れ見受けますが状態は総
じて良好です。共箱は、外紙箱に入っていた為、当たり傷等
も無く極美品ですが留め金具にやや錆があります。
珍しく外紙箱が残っております。更に非常に珍しい事に
箱裏の納品業者名が満州の業者の納品印になっていま
す。外紙箱が残存する場合の多くが”高島屋納”となって
おり、これ等の記章が日本国内で作られただけでなく外
地でも生産されていた事を示しております。記章と箱に何
か特別に違いがあるようには、見受けません。非常に興味
深い品だと思います。







岐阜の歩兵第六十八聯隊で
    戦死した通信兵(上等兵)の遺品




第三師団の歩兵第六十八連隊(岐阜)で大陸で戦死
された通信兵だった方の遺品です(小型図嚢、軍隊
手帳、私物手帳2冊、書類1枚)。
昭和12年1月10日に現役志願兵として歩兵第六十八
連隊第五中隊に入営。同年6月5日に陸軍歩兵学校教
導連隊要員として分遣され通信隊に配属されています
。同年7月21日、陸軍一等兵に昇進。同年8月15日、
動員下令の為、原隊である第六十八連隊に復帰します
。ここで軍隊手帳の記載は、終わっていますが、同年8
月23日に第三師団は、上海郊外の呉松に上陸し戦闘
を開始し支那軍を駆逐追撃しながら南京攻略戦に参加
しています。戦死の記載は、軍隊手帳に挟まれた紙より
9月30日である事が判ります。上海近郊に上陸して戦闘
を開始して約一ヶ月そこそこで戦死されているのが判りま
す。第三師団自体は、その後に翌13年5月の徐州会戦、
8月からの武漢攻略作戦に参加、この師団は、大陸での
主要な作戦に参加し対米開戦後も大陸に駐屯し続け
大東亜戦争の末期では帝国陸軍最後の最後の大野戦と
なった大陸打通作戦(一号作戦)に参加。作戦事態は、
成功を収めました…。その後、上海へ転進中に敗戦を迎
えています。
戦死された曽我上等兵のように我国の無名戦士
達が如何に大勢…数百万柱に及ぶかをつくづく
と考えさせられます。






戦死して上等兵になっています。


岐阜県郡上郡北濃村の出身の方です。
現在の地名では、郡上市となるようです。


六十八連隊に戻り大陸に渡るまで千葉の
陸軍歩兵学校の教導連隊 通信隊に在籍
した通信兵でした。
通信隊時代の手帳です。


自分の三八式歩兵銃と銃剣の番号が控えられています。
軍隊手帳は、余り記載がありませんが私用のメモ帳では
通信兵としての記載が書き込まれています。


同じ中隊の人間の名簿です。









ノモハン事件の後でで回収されたと
          思われる曰く付きの認識票






表の”六九〇 大一 六八”は、山砲第九聯隊第一大隊
兵籍番号六八を示すとの事です。実際には、配布されなか
ったようです。裏面の”二六四九 七四六”は、”二六四九”
が関東軍野戦自動車廠を示しているようです。
表の”六九〇 大一 七一”は、山砲第九聯隊第一大隊
兵籍番号七一を示すとの事です。実際には、配布されなか
ったようです。裏面の”武一五六四 八 番九〇”は、”一五
六四”が輜重第九聯隊を示しているようです。
表の”六九〇 大一 七三”は、山砲第九聯隊第一大隊
兵籍番号七三を示すとの事です。実際には、配布されなか
ったようです。裏面の”四五三 東 五五 四四六三”は、”
四五三が輜重第百ニ十二聯隊を示しているようです。







陸軍 将校の双眼鏡(カールツアイス社製)




当時、陸軍の高級将校が、好んで使用したドイツのカールツアイス
社製の双眼鏡です。本体と革製ケースの留めバンドに隠れる箇所
に、同社の刻印があります。国産の物に比べて精度もさることなが
ら…価格も舶来品なので高価も一流だったようです!
革製ケースの蓋裏に購入の経緯が書かれています。
昭和七年三月にベルリンで購入してもらった双眼鏡
である事が判ります。思い入れが感じられる一品です。







大日本青少年団の表彰記章や正帽の前章等




表彰の大きな記章の方は、昭和十七年
東京府青少年団と裏に刻まれています。
バッチの方は、裏に東京市青少年団指導
研究会員章とあります。2羽の荒鷲をデザ
インしたような正帽の前章は、大日本青年
団のマークそのものです。裏に”本制”との
刻印が有ります。この大日本青年団は、昭
和十六年に四団体を統合して文部大臣を
団長として国家総動員体制の下に献身的
活動をしました。ナチス・ドイツの”ヒットラー
ユーゲント”に似た組織と言われています。







紀元二千六百年(昭和15年)に開催予定
  だった幻の東京五輪(オリンピック)の記念品!?




幻の東京オリンピックの、記念品として作成されたマネークリップ
との事です。頑丈でレトロなデザイン、TOKIO の表示が、当時を
物語ようです。日の丸に施されたエナメル(七宝)の質から戦後の
1964年(昭和39年)に行われた東京オリンピックでなく戦前の物
と思われます。
昭和15年に開催予定だった幻の東京五輪大会記念
の品としては、未開催に終わり戦争に突入したので、
残存が少なく珍しいものと思います。
古ぼけて汚れに傷もありますが…粗忽な中にも
確かな造りと日の丸のデザインで…今と違う戦
前の気風と誇りを感じさせられるような気がします。







戦前 幻の日本万博入場券(東京・横浜会場)
   紀元2600年記念日本万国博覧会の入場券




1940年(昭和15年)に日本の東京市(当時)で開催予定で
あった国際博覧会(紀元2600年記念日本万国博覧会)です。
しかし、日中戦争の激化にともなう資材の欠乏など諸般の
事情により中止されました。









連隊本部や大隊本部等で事務職を行った曹長殿が
退役に際して、民間での再就職が有利になるように
発行されたもののようです。北海道の最果ての地で
ある根室聯隊区の辞令・証明証は、余り見かけませ
ん。非常に珍しいものと思います。



明治41年1月31日から発売となった口付タバコ
の『敷島』20本入りです。デザインは、伊東栄吉
作の”和歌の浦の風景”です。未使用未開封の
20本入りとなっています。



洒落たカフスボタンです。旧海軍の軍人さんが
使われたのでしょう。誂え物だと思います。
意外と頑丈でしっかりとした物です。



なんとも可愛い自衛隊限定販売の
大日本帝國陸海軍 同期の桜 シリ
ーズのキューピーです!



ある年の春に憂国烈士の自宅の庭に咲いた可憐な桜です。