旧軍関連・戦前資料収載品
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陸軍の鉄道連隊で使用されたE18機関車 |
私の自宅の近所で数キロ以内の犬の散歩コースにある朽ち果てた 機関車です。大正10年にドイツから輸入されたE型機関車のうちの 18台目のE18です。陸軍は、このE型機関車を昭和元年までに31 台を輸入しています。その後、国産化に切替になったようです。 |
このE18は、戦時中まで鉄道第一・二連隊の演習線で使用されて いました。敗戦後、西武鉄道に引取られた後、ユネスコ村など転々 としてここの模型雑誌(?)の会社の入口前に長く置かれています。 |
散歩道シリーズ第一弾とでもしておきます!今後も 愛犬散歩コースに面白い遺跡等ありましたら、御紹 介してまいります。 |
戦時資料:開戦直前に渡米したある読売新聞
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大日本帝國時代の本人と家族のパスポートです。北米だけ でなく南米・アルゼンチンにまで行かれております。 |
昭和十六年二月二十二日の大日本帝國発行のパスポート二冊・アルゼンチン発行 のビザが四冊。その他関連証明類三点・計9点。この大日本帝國発行のパスポー トは、大東亜戦争開戦九ヶ月前に発行され、敵国となる米国の新聞社に通信員とし て、龍田丸で布哇(ハワイ)経由で米合衆国に渡っています。東京の読売新聞社の 社員とその家族の物です。戦争と云う残酷且つ非情な状態で開戦後から敗戦まで の五年間をどの様に生き抜いたでしょうか。敵地ですので人種差別も激しい時代で 迫害を受けた事は、想像に難くありません。その真実は、パスポートが全てを見て語 っているのかも知れません。最後の他3点は、戦後復職した時の証明書類です。 |
ブエノスアイレスのIDです。 |
戦後の所持品です。読売新聞を定年退職するまで 勤め上げられたようです。定年退職者用の通行証 などがあります。 |
旧帝國時代の官吏(不明)の夏季制服 |
当初、陸軍の軍属のものと思いましたが、違うようです。 |
警察や消防など釦に特徴がある役所の官吏 では、無く。何処の役所かは不明です。 |
大正十年六月 参号と丸印が捺印された綿布の夏用制服です。 何の制服か詳細不明ですが、武官や文官と同じように左後のみ に剣吊り用の切れ目があります。桜がレリーフされた釦(1つ欠) は、リング(海軍士官や明治期の陸軍夏衣と同じ)留めになって います。真鍮製のホックとカラー留めの欠損は無く美品(襟サイズ 概ね38〜9cm 全体はMサイズ位)。両胸ポケットに下脇にも両 ポケットの計4つです。極小さな染みはありますが、80年以上前の 物としては美品です。 |
戦災資料 新潟の長岡空襲で
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元帥・山本五十六海軍大将の故郷、新潟県長岡市で、明治時代に 財をなした旧家(繊維商社)で、戦中に使用されていた銃後の品々 と資料の7点です。 |
◆防空頭巾:昭和20年の長岡空襲で実際に使用された品です。 旧家の当主が使用だけあり、とても作りの良い品です。 ◆一七式防空用防毒面:ゴムは柔らかく状態も良好です。 ◆ウエノ式防毒面空箱:店用の記載有り・箱のみです。 ◆雑嚢:未使用・仕様や大きさは、ほぼ軍用と同じですが、帯革 に固定する金具が無い民間用です。 ◆水筒:未使用のアルマイト製。 ◆帯革:軍用に似た作りで使用品です。リングが付いています。 斜革がつくタイプですが斜革は、欠。 ◆書籍『長岡空襲』:昭和63年 長岡市発行 本文頁 590頁 内容は、長岡空襲の詳細記録。 数頁端部に折れ跡がありま すが綺麗(カバー有り)なものです。 |
cf.長岡空襲 昭和20年8月1日22時30分、テニアン島を離陸した 米軍爆撃機(125機・第313航空団)が、大量の焼夷 弾(E46収束焼夷弾925トン・約163,000発)を投下。 空襲警報発令からわずか三分たらずで市内各地から 火の手があがり、全市が火の海と化す。旧市街地の 約8割を焼失。1,400余名の尊い命が奪われました |
戦時資料 昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊
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昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊の教官・訓練生など281名 の命を奪った米軍の空爆。米軍機が投下したのが500ポンド通 常爆弾AN-M66(通称 250キロ爆弾)でした。その爆弾の実物の 破片です。 防衛庁の全面協力で一番下の画像にある写真の通 り前のオーナーの方が発見しております(報道関係のお仕事をさ れてます)。当時の航空隊敷地(現・陸上自衛隊武器学校)の掩 体壕跡から出土した実物です。 因みに山本五十六元帥像発見は 、新聞各紙やNHKニュースなどでも報じられた為、有名になりまし たので記憶に残っている方も多い筈です。 錆び止めに精選丁字 香(油)を施してあるそうです。所蔵している二つの破片の内、1つ を、譲っていただきました。 【土浦海軍航空隊を襲った終戦間近な 惨劇】 昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含 む艦載機群の攻撃をうけ、折りしも本土防衛の水上特攻要員(伏龍 )編成中の第14期甲種飛行予科練習生・練成中の同第15・16期 、後輩の訓練に当たっていた第13期生及び教官・教員ほか隊員ら 281名が、隊内及び周辺で散華。この惨劇は、小説化されたり多く の書籍にも事実が紹介されている為、御存じの方も多いと思います。 下の写真は、日本を代表する写真家”土門拳 氏”が、昭和18年〜 土浦海軍航空隊で予科練生と起居を共にして写したものです。敗戦 後、土門拳氏は、この事実を隠していた時期があり、このため写真は 焼却されたものと思われていました。甲飛13期の方が譲り受け大切 に保存されていた内の二枚をオリジナル写真から複写したものです。 爆弾の破片のオマケとして譲っていただきました。 |
海軍 ハンモック用の蚊帳 |
ハンモックで使用した一人用の蚊帳です! |
陸軍 溶接用酸素減圧弁 |
珍しい軍用の溶接機用の減圧弁です。バルブ2ヶ・レンチ2本・ ジョイント金具2ヶ・パッキンと2組分収納されており完全未使 用品です。部品固定用の仕切り板の接着剥がれがあります。 |
海軍 電路切断器小改一(松下電器製) |
航空機で使われたものか艦船用に使われたものか 判りませんが、素材はベークライト製です。小さなも ので大きさは、高さ:5cmX直径:6cmです。 |
戦前の民間機用なのか不明の航法計算盤 |
歪んでいますが使えます。これで完全品なのか他に付属品が あるのか詳細不明ですが、海軍等の軍用の品で無いようです。 |
台湾、ハルピン、朝鮮、奉天などの大日本帝國時代 の領土であった地名が刻まれてています。 |
陸軍 飛行機整備器具嚢 |
各機共通の嚢だけです。未使用のデットストックのようです。 |
陸海軍か不明の降着装置整備要員箱 |
陸海軍航空隊のどちらか不明ですが、降着装置の整備用の用具箱 です。中身は、ありません。どの機体に使用したのか?…共用だった のかも判りません。 |
戦時資料 (財)帝國軍用犬協会の関連品 |
軍用犬の正式名は、”軍犬”です。帝国軍用犬協会は、訓練し 優秀で適合した犬を軍に献納しています。優勝犬競技会とは、 軍幹部立会いで訓練の成果を争う競技会です。軍用犬協会は 現在の社団法人 警察犬協会の前身に当たります。軍用犬の 歴史は、途絶える事無く警察犬としてそのノウハウが今日まで 活かされているわけです。 |
昭和14年 ”協会賞” メダル径 41o |
上下の二点とも共箱付きで、共に”日名子実三氏”デザインの レリーフです。”参加賞”のメダルの方には、”実三”の文字が あります。とても美しい品です。 |
第4回軍用犬展覧会 ”参加賞” メダル径 41o |
昭和十三年五月に行われた第六回展覧会の参加章です。 社団法人 帝国軍用犬協会 於広島市とあります。軍用犬 を訓練し完全習得した優勝犬を軍に献納します。兵卒の”徴 兵検査”に相当するもので、軍関係者・軍獣医の立会いの 下で軍用犬の健康・体形・・等を審査する会だったそうです。 |
軍用犬協会の珍しい一等・二等・三等訓練士章 惜しい事に留め金具は、当初から取られていまし た。 |
陸軍 瓦斯マスクの不凍液の容器 |
陸軍のガスマスクの収容嚢に同梱されていた不凍液の容器です。 米陸軍発行の"Handbook on Japanese Military Forces"(日本 語翻訳のタイトル「日本陸軍便覧」)によると通常の金属の不凍液 を入れた容器の他にこの筒型をしたプラスチックのような材質のも のがありました。画像のようにゴム製のキャップがかなり劣化して います。全長9.7cm。 |
陸軍 単発機用の九九式飛3号無線機(受信機)の銘板 |
陸軍の単発戦闘機が搭載した九九式飛3号無線機 の受信機銘板です。サイズ:4.0x3.0cm。止め穴の 部分が切り取られています。”第6048号”という刻印 があります。その他の刻印は、ありません。 |
陸軍の双発機用と思われる
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陸軍の爆撃機に付けられていた アルミプレートと思われます。 |
三菱 陸軍 キ-19 試作重爆撃機の写真 |
九七重爆を生むことになった陸軍の競争試作では、三菱と中島の 機体にキ-19という同じ番号が与えられましたが、これは三菱の方 のキ-19です。のちに設計を変更したキ-21が九七重爆となったわ けですが、それと比べると胴体の形状がかなり異なっていることが 見てとれます。 |
35年ほど前に撮影した方からネガを借用し引伸した 写真との事です。キャビネサイズ(16.0x11.6cm) |
陸軍 歩兵第十九聯隊(福井県敦賀)の
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銀モールで19と聯隊番号が入った四五式 軍医将校の鍬形です。裏布がありません。 縫い付けを前提としているので当初より無 かったものと想像されます。虫食い等があり ますが、珍しい鍬形です。 |
戦時資料:樺太庁鉄道発行のパンフ”樺太の旅” |
昭和14年度の日本統治時代の樺太(サハリン)鉄道発行の |
かつて日本領として公然と北方領土の更に北に領土がありました。 忘れられたその時代の名残をとどめる品々です。 |
樺太拓殖鉄道の蒸気機関車の絵葉書 |
戦時資料 植民同志会の冊子と
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戦前と戦後の貧しい時代には、殖民(移民)が当り前の ように行われておりました。この為、今も北米や南米や 太平洋の島々に多くの日系人が存在します。 |
手拭いは、昭和九年、日本からブラジル・サントスへの 渡航記念の物です。 |
冊子「行け海外へ! 建てよ新日本!」は、植民同志会などに よる昭和7年の発行の事業の栞で36ページあります。その後、 日本は、日中戦争が拡大し大東亜戦争へ…そして悲惨な敗戦 の道を進みます。この栞と共に海外へ移民に出た日系人は、 日本が敵対国となり財産の没収から強制収容所へ収監されるな ど大変な御苦労をされたわけですが…戦前・戦後の悲しい歴史 の幕開けとなる物だけに…複雑な心境を抱きます。 |
戦陣訓でなく戦人訓です!!…海軍は、やはり陸軍と 一線を画すという事でしょうか。…昭和17年7月横須賀 海軍警備隊、横須賀第一海兵団発行の戦人訓。勅語 や訓示、隊員、団員守訓、服装容儀、機密の保持等が 記載されています。 |
珍しく海軍へ入隊の現役兵証書です。 |
昭和13年度の水交社員名簿です。昭和13年2月1日時点での 海軍士官が大将から少尉候補生、現役、予備役、後備役を問わ ず、機関航空整備軍医主計造船造機造兵水路看護特務、法務 や司法事務官、海軍教授、技師などの高等文官にいたるまで記 載されています。付録として海軍兵学校、機関学校、経理学校の 各学校沿革や各期別の首席者氏名、卒業人数、卒業年月などの 表がついています。 |
大正3年の補充兵証書です。甲種合格し て、くじで外れた運の良い方のものです。 |
大正13年の軽巡洋艦”球摩”に乗り組んで いた一等機関兵曹の証書2枚です。 |
海軍の支那事変記念メダルです。 盡忠報国が読めます。とても美しい メダルです! |
陸軍の満州派遣従軍記念章です。 このメダルの裏には、”満州国建設” ”日満議定書調印”、”日支停戦協定” ”満州国帝政実施”、”満州事変”など が年月日と共に記載されています。 |
海軍特務少尉の飛行服臂章(階級章) |