旧軍関連・戦前資料収載品
 (軍装品...etc) Part Wk














明治後期、三八式〜四五式期の帝國陸軍
下士官・兵用の工兵科兵科識別章官給品。
工兵第十四大隊(水戸)第二中隊所属の
陸軍一等卒富口忠助氏の所持品とまで
判っている珍しいクワ型です。
この兵科章のように、時代のある三八式・四ニ式
被服用の官給品で、このように状態の良い品は、
珍しい物と思います。







翼なき予科練、甲飛十三期 ある兵曹のアルバムより

 
〜海龍 搭乗員として敗戦を向え、戦後に大学へ〜




ボロボロのアルバムの中に愛国の想いを強く抱いた
当時の当たり前の何処でも存在した等身大の少年の
姿が見えてきます。
裏に記名があり、表紙を捲ると直筆の絵があります。

  海軍甲種飛行予科練習生 横志飛21680
              石坂 孝
眉目秀麗な二枚目の少年がこのアルバムの持主である石坂孝兵曹です。
左端が予科練に入隊当初。真ん中が飛行兵長になったばかりの頃とあり
ます。
石坂兵曹は、長野県出身で現在、開校 80周年を迎えた長野の
須坂商業高校(大正15年開校)に在籍し、予科練をを受験して
甲飛13期生に合格しました。画像は、上下とも須商時代の物で
す。下は、予科練受験に備えグライダーでの滑空練習まで行っ
ています(軽井沢滑空場にて)。…凄いです。


左は、48分隊二班一同が北村大尉と大浦兵曹長を囲んでの集合写真です。
右は、第一学年の担当教官・教員です。


見事なマット体操の写真です。




同期生達です。皆、少年の幼さを残しています。








元旦の宝塚海軍航空隊 大練兵場での四方拝の式場の写真
宝塚海軍航空隊の第三兵舎屋上にて
天理教の本山大門前にて記念撮影
宝塚少女歌劇団の屋上にてのスナップ写真
宝塚海軍航空隊の大プールにて水泳大会。




宝塚海軍航空隊第三分隊
軍艦旗が降ります。


宝塚海軍航空隊(司令を中心に第十三分隊の甲飛卒業記念写真)
場所は、宝塚少女歌劇団 大劇場前。この分隊員3百名より海龍
特別攻撃隊員として百名が選抜され、先に予科練を卒業していきま
した。小坂飛曹もその一人でした。
石坂飛曹が使用していた臂章。アルバムに貼られていました。
海龍特別攻撃隊一同。各基地へ出撃寸前の集合写真(鎌倉八幡前)
平均年齢18〜19歳の下士官搭乗員達と記載されています。
第十四特別攻撃隊員一同。
真ん中の方がお父上です。軍属のようです。
場所は、中支に於いてとあります。



戦後、復員し紅稜大学(現在の拓殖大学)の
学生をしている写真です。
戦後は、大学に入られて画像にあるように
青春を謳歌したようです。命を掛けた特攻要
員だった予科練の出だからこそ平和のありが
たみをより強く噛み締められたのかも知れま
せん。
下の画像は、紅稜大学音楽部主催のダンスパーティで
長野県人会の参加した方の集合写真です。







三八式・九九式歩兵小銃用の専用螺旋回し




三八式や九九式歩兵小銃などの分解や組み立てに使用されました。







陸軍 軍属判任官 軍刀緒




昭和十五年八月二十九日勅令第544号で制定された
陸軍 軍属判任官、雇員刀緒です。高等官は、その待
遇に応じた将校(将官・佐官・尉官)と同じ刀緒を付け
ますが、判任以下は、表裏共茶色に改正となりました。
(海軍士官刀緒に非常に良く似ていますが、同じでは
ありません)

判任官及雇員ハ尉官ノ刀、刀帯及刀緒ニ同ジ但シ(中
略)刀緒ノ裏ハ茶ノ平打絹紐トス







満州第三一九部隊発行の公務運賃割引証、他




満州第三一九部隊発行した公務運賃割引証です。
満州国内で使用された物です。国内の物に比べる
と稀少なものと思われます。昭和19年11月5日の
発行となっています。陸軍軍属の技手の方の物です





同じ軍属の方の結婚の為、郷里の秋田県の今の
本荘市に帰る許可証となります。









陸軍 軍医大佐の紙物資料




鵜澤修一元陸軍軍医大佐の資料です。大佐は、千葉県千葉市生まれで
平民出身。大正4年9月に千葉医専を卒業、すぐに見習医官として歩兵
第三連隊に配属。大正5年4月に陸軍三等軍医に任ぜられ歩兵第四十九
連隊に補されています。
大正5年12月に陸軍士官学校付、兼教官。大正8年2月、陸軍二等軍医に。
大正年10月、東京第一衛戌病院。大正10年から11年まで普通科学生として
陸軍軍医学校に入学。大正11年、内科専攻学生として再び、陸軍軍医学校に
入校。陸軍一等軍医に任ぜられる。同年、歩兵第七十七連隊付けとなる。





何故か娘さんの高等女学校の卒業証書が一枚だけ
混じっていました。
大東亜戦争開戦の9ヶ月前に大佐に昇進。将官名簿に
名前が無い事から、敗戦時も陸軍軍医大佐で終えてい
るのが判ります。戦後、厚生省の厚生技官を勤めていた
ようです。

















ある予備役陸軍中尉の各種免許証




自動車の普通運転免許証です。写真の画像は、立襟に座金を付けた甲種幹部候補生姿です。
更新等の欄より見習士官より、陸軍中尉に昇進し
予備役になっているのが判ります。


こちらは、特殊自動車の免許証です。




右が自動車免許証に貼られていた海老沢予備役陸軍中尉の
写真です。左は、下の一級・二級滑空士免状に貼れた写真で
す。所属は、大日本滑空工業専門学校となっています。













海軍で使用された水中眼鏡(マスク)二点




戦前の古い水中眼鏡です。中央上に、錨のマークが入っています。
レンズは、やや楕円の4.5センチ×5.3センチです。戦前海軍が、
水中訓練や作業に使ったと思われます。ゴムは、やや硬化していま
す。バンドは劣化して切れています。
こちらの状態は、余り良くありません。



こちらは、別のマスクですが状態は、上のもの
と違い非常に状態が良いものです。ゴムバンド
も生きていて欠損もありません。









退役士官・准士官への手続き等の知らせ!




差出人は、海軍省 副官となっています。宛先は、横須賀第一海兵団
第六分隊長殿です。中には、B5版のガリ版4枚が入っています。











昭和三年度 陸軍特別大演習を記録した
 日本映画製作所(活動写真撮影者)の陪観許可証等一式




昭和三年度、大元帥陛下統監による陸軍特別大演習が盛岡市で行われました。
師団対抗演習の記録写真撮影者として参加した日本映画製作所の活動写真カメ
ラマンの”陪観許可証”です。中でも”列車電車乗車証”は、珍しく列車席順は、
上席に有り、”統監部列車・電車運転時刻表”は、”演秘”(禁新聞転載)となって
おります。この”陪観許可証”は、”用済後統監部(参謀本部)ニ返戻スルモノトス
”と有りますが、返納しなかった模様です。
当時の最先端のメディアである活動写真が軍を取材撮影した資料です。
面白くまた珍しいものと思います。









昭和十年 駆逐艦”朝霧”の重油タンク試験
                  (海軍極秘文書)




海軍の試験を指示する極秘文書です。駆逐艦”朝霧”の
重油タンクに海水を注入して異状が出ないかという試験
のようです。被弾して傾きを回復する際などに、重油タン
クに海水を注入しますが、その時を想定しての試験のよ
うです。ページは、十一枚あります。こうした日々の研鑽
が帝國海軍の強さを支えたのだと思います。















陸軍 軍用馬(徴発馬)関係の資料




昭和十六年十月、大東亜戦争突入直前です。陸軍馬政課の命により・仙台師団は、
戦時に必要な軍用馬を徴発する為、師団長直轄委員会を開き、必要な徴発馬の数
と其の条件並びに買い上げ価格を決定しております。「馬匹ノ良否ハ直接戦力ヲ左
右スル」との師団長訓示の基いての各種”軍事機密”、”極秘”、”秘”の書類等合計
38枚あります。一銭五厘の兵卒より大切にされた戦時の軍馬政の一端を垣間見る事
ができます。
機密文章類の朱印(赤スタンプ)が押された書類の内訳は以下の通り。
【軍事機密】主任参謀ノ要望事項 一枚。【極秘】 徴発馬匹買上価格
基準表 一枚。【極秘】 徴発価格決定ノ標準ニ対スル観察五枚。【秘】
馬匹挑発ニ関スル注意 七枚。【極秘・軍事機密】 師団長直轄委員会
同次第 一枚 ・師団長直轄委員会名簿 一枚。【軍事機密】 訓示 
仙台師団長 丸山政男 二枚。【軍事機密】 参謀長ノ師団直轄委員ニ
与フル指示 一枚。【軍事機密】 各徴発場ニ於ケル徴発馬匹数並採用
予定数一覧表 一枚。 【軍事機密】 徴発馬匹買上価格基準表 三枚。
 【機密】 徴発価格決定ノ基準ニ対スル観察 五枚。 【秘】 馬匹徴発
ニ関スル注意 八枚。








軍政での馬匹の購入は、農家にして見れば国家の買い上げ
という事です。現在の国策事業と同じように、一つ間違えれば
談合などの温床になりやすい危険性を当然、はらんでいます。
興味の尽きないところです。







昭和五年 戦艦”陸奥”艦内新聞(80-90号)
















戦艦”陸奥”の艦内新聞です。大きな軍艦では、艦内で新聞を作っていました。
配布されるのは准士官までだと思われます。毎日の天候、温度、艦の位置など
が書かれています。昭和5年6月4日から13日までの、80−90号です。
佐世保から徳山、佐伯、神戸までがあります。B4サイズ、ガリ刷り2色です。
右に綴じ穴4個開いています。











謎の爆沈をした戦艦 陸奥 の戦没者遺族名簿




昭和18年6月8日、呉港沖柱島泊地にて停泊中、突然に三番砲塔付近から煙を
噴くと同時に突然の大爆発を起こし、一瞬のうちに船体を切断し沈没した戦艦
陸奥の戦没者名簿です。艦長の三好輝彦 海軍大佐(殉職後、少将に特進)以
下、乗員1.474名のうち助かったのは、僅かに353名。実に1.121名が艦と運命
を共にしました。この死者の殆どが溺死でなく爆発によるショック死だったと言わ
れております。左上の画像が表紙です。右上の画像は、出身県別の人数を表し
た表です。思いがけない事に東京の102名に次いで多いのが、我故郷の北海道
で101名と群を抜いておりました。発行者や奥付は、無く…戦後に遺族関係に配
布の為に作られた関係者用の名簿だと思われます。
左上は、北海道の最初のページです。右上が東京の最初の
ページです。二人目に少将 三好輝彦(海兵43期)と艦長の
住所等が記載されています。
上の左端は、中原 軍医大佐の名前があります。
軍医長でしょうか。陸奥の爆沈に関しては、諸説
様々に言われておりますが…過酷で陰湿なイジメ
などが本当に原因であれば…これだけの殉職者
と莫大な建造費の掛かった軍艦を失う愚かさを思
うと複雑な心境になります。



軍艦陸奥酒保発行の未使用の絵葉書です。











大日本防空協会の有功・正会員章と正会員任命書




良く会員章のメダルやバッチは、手にしますが正会員の任命書
共にあるのは、珍しい気がします。東條英機大将が会長です。
有功章の径45mm正会員の径24mm。
アルミ製の琺瑯仕上げになっています。







陸軍 軍用毛布




昭和17年製、北京検定







陸軍 内務班用 包布(カバー)




昭和17年製本廠検定の小型


前期型の大型 昭和17年製本廠検定







陸軍 営内枕包布(カバー)













陸軍 軍足(未使用) 二足(二組)











陸軍 九五式八錐形天幕用 保湿布団包布(カバー)




昭和18年製、本廠検定の未使用品です。







陸軍 携帯天幕




昭和19年製、本廠検定。約143×149cm







陸軍 蚊帳(1人用)




陸軍の軍用蚊帳です。一人用で昭和十九 大支検定の
検定布あります。当時の雰囲気を濃く残しています。吊手
など使用痕はありません。裾布がある筈ですが、当初より
付いていなかったそうです。







陸軍 背負袋













陸軍 防蚊手袋




昭和19年製、大支検定。未使用品のようです。







陸軍 防蚊覆面




昭和19年製、本廠検定、未使用のデットストック品


こちらも昭和19年大支検定の未使用品







何だか阪神タイガースも真っ青な感じです!



今も昔も日本人観光客が多い町のようです。













アストラ拳銃の文鎮!



一枚の写真、海軍少尉が軍刀を手に一種軍衣袴に軍帽を被り
写っています。裏に昭和十九年六月十七日、出撃の前、お母
さんへ…と記載されております。学徒出陣の予備少尉なのでし
ょうか…悲しい一枚の写真です。