旧軍関連収集品
(軍装品...etc) Part Wf

















大元帥陛下(若かりし頃の昭和天皇陛下)胸像







海軍 第二十四特別根拠地隊 司令 
      白水 洋 大佐の陸戦隊肩章








これは中々、珍しい代物です。陸戦隊の制服で
動きが制約されない肩章となっています。
日本軍装写真集にも初期陸戦士官服
で出ております。
中佐、大佐の肩章の全てが白水大佐
のものです。




白水 洋 海軍大佐(海兵48期)福岡出身

白水大佐は、第二十四特別根拠地隊の司令として
アンボン島の警備の任務にありました。敗戦後に同
島における濠軍捕虜が多数死亡した責任を問われ
て宮崎副長とともに昭和21年2月にBC級戦犯で
死刑宣告を受ける。昭和22年9月25日、ラバウルに
て銃殺刑に処せられました。以下が当時の蘭領印度
支那の海軍陸戦隊の配置です。
   昭17年 4月10日 聯合艦隊

   南西方面艦隊 第二南遣艦隊

  第二十一特別根拠地隊 スラバヤ
  第二十二特別根拠地隊 バリックパパン
  第二十三特別根拠地隊 マカッサル
  第二十四特別根拠地隊 アンボン


cf.同タイプの肩章の佩用例の画像







昭和17年10月 山本五十六 連合艦隊司令長官
           直筆と言われる原稿用紙一枚半




原稿用紙にペン書されたものです。差出人は、
山本大将で受取人は、目黒真澄氏となってい
ます。17年10月初と記載されています。ガダル
カナルの攻防戦を行っていた厳しい時期です。
下は内容の解説となっています。



開戦一年前の山本 五十六 長官よりの賞状




昭和15年8月30日より連合艦隊司令長官 兼
第1艦隊司令長官に就任しています。その2ヵ
月後に戦艦”伊勢”乗組のニ機曹に出された
賞状です。丁度、一年と二ヵ月後に真珠湾攻撃
で大東亜戦争の火蓋が切って落とされました。







ある海軍特務機関中尉の教員適任証等々




日露開戦を直前に控えた明治36年10月、海軍機関
術練習所長より授与された機関術教員適任証書並
びに同所教員辞令および海軍上等機関兵曹(当時
は準士官)任官辞令です。御承知のとおり日本海
軍の下士官は非常に優秀であったと言われておりま
すが教員に任ぜられる方はとりわけ優秀であったと
言われております。件の御本人は上等機関兵曹を経
て機関兵曹長に進み特務士官制度発足するや海軍
機関特務中尉にまで任ぜられております。

水兵から叩き上げで特務中尉になられた方の
紙物です。右が名刺で左は、海軍機関練習所
教員の命令書です。







海兵七十四期 野中 宏美 海軍少尉の家族に宛てた葉書












海軍兵学校74期の野中宏美少尉の海兵生徒時代に
江田島より家郷へ宛てた葉書9葉です。74期は、昭和
20年3月卒業です。少尉候補生で美保海軍航空隊〜
最後は、大分海軍航空隊付となっております。僅か5ヶ
月余りの帝國海軍の軍務で敗戦を迎えております。
葉書の内容は、『光栄の極み』…2人の宮様生徒の事
や大原分校の初代1号生徒としての意気込みの事など当
時の模様が生々しい迫力を持って迫る内容となっており
ます。







海軍練習連合航空隊の特別筆記帳








マル秘とあり、処理法まで丁寧に記載してあります。
以下、

左記ノ場合ハ所属分隊長ニ返却シ分隊長ハ之ヲ焼却
スルモノトス

 1.卒業ノ時
 2.不要ニ帰シタル時


また枚数まで記載され破り取れないようになっています。
昭和13年12月に海軍連合航空隊制度新設され、練習航空隊
ニ隊以上で構成される連合航空隊を”海軍練習連合航空隊”
と称しました。昭和18年に海軍練習連合航空総隊が新設され
ました。昭和20年3月に戦局の悪化に伴い海軍練習連合航空
総隊は解体。練習航空隊を作戦部隊とするとともに学生・練習
生の空中教育の停止がなされました。この”特別筆記帳”は、
練習連合航空総隊が設置された昭和18年以降に制定され、
解体された20年3月以後に廃止されたものです。記名がありま
すが、中に一切の記載がありません。これ等から主に特攻に向
けた教育しかしなくなっている昭和20年以降のものと推察し
ます。







ある輜重兵軍曹の現認証明書等々




左は現認証明書で、負傷した証明書。右はコレラの
予防接種の証明書となっています。この方は、迫撃
砲信管の爆発事故で負傷されています。
左右共にマラリアに罹患した証明書です。中隊長の
中尉と部隊付の軍医中尉の捺印があります。







ある輜重兵上等兵の証明書等々




左は、弾頭6個を帰還に際して教育資料として携行する事
への許可願いで許可するの印が押されています。右はマラ
リアに罹患し治療した事の事実証明書となっています。
所属は、歩兵第34連隊第二大隊。支那の河南省信陽県
游河で昭和14年7月になっています。携行願いの方は、同
年11月になっており大隊長の印と連隊長印が押されていま
す。これで満期除隊で内地に帰還できたのでしょう。歩兵第
34連隊は、通称号は、幸3703部隊、編成地は、静岡の連隊
です。大東亜戦争の突入後も一貫して支那を転戦した部隊
です。上級部隊は、歩兵第三師団になります。
私物品目員数表です。昭和14年の物を大切にされていた
のでしょう。几帳面な方だったようです。その上の輜重兵
軍曹は、昭和17年で軍曹で昭和15年当時は、同じ上等兵
です。この方の方が一年上の兵です。帰国し2年後の大東
亜戦争で再召集された可能性が大ですから、この方も軍曹
にはなっていたものと想像します。敗戦まで生き残っている
なら曹長になっていたかもしれません。







賞 状










北海道☆陸軍特別大演習 
    記念牌・天皇行幸・演習記念絵葉書




昭和十一年十月二十五日に天皇陛下の北海道各地に
行幸なされ、その後十一月五日より天皇陛下御統監の
特別大演習が全道に於いoて行われました。記念牌は
ブロンズ製で大きさ(径)45.7o、(厚)3.7oで紙製の
共箱付き。絵葉書十枚。絵葉書の表には郵便切手・記念
スタンプの各種有ります。郵便としては使われていません。

郷戸、北海道の部隊といえば第七師団でしょう。編成地
は、札幌。補充担任:旭川。通称は、熊兵団。隷下に
第二十六・二十七・二十八連隊(全て旭川)があります。
屯田兵が日清戦争後の明治二十九年に第七師団に改
編され創設されます。その後は。日露戦争での旅順要塞
攻略に参戦、有名な203高地の攻撃にも参加。大正年
間は、満州駐屯を長くシベリア出兵にも参加。また日中戦
争が始まると満州に派兵され、張鼓峰事件、ノモハン事
件が起こるとソ連と交戦し大きな被害を出しました。その
後は、札幌の第二十五連隊が第八十八師団に編入され
樺太に駐留します。大東亜戦争後は、歩兵第二十八連
隊を基幹とした一木支隊(支隊長:一木清直大佐)が編
成されガダルカナル島で全滅。旭川を出征した二千五百
七名の兵のうち帰還を果たしたのは、僅かに百四十名余
りでありました。我、郷戸の北海道部隊は、日露の戦い以
来…皇軍が解体されるその日まで勇敢に戦い、戦後もま
たシベリア抑留と言う形で戦いを続けたのでありました。



昭和11年 陸軍特別大演習並地方御幸御警備

北海道庁 記念記念徽章






五番館は、札幌に今も百貨店として
ある北海道の老舗デパートです。



箱無しの別な徽章



北海道 陸軍大演習
       天皇陛下御行幸”御道筋係長”腕章




昭和十一年十月に北海道で天皇陛下御統監
による大演習に先立って各地行幸された際、
沿道案内役の道庁の役人の責任者が付けた
腕章のようです。








明治陸軍・攻城工兵廠 携帯橋説明書




近代化を急ぐ明治陸軍の息吹が感じられます。







明治三十六年 陸軍戸山学校 射撃場用標的300m




図案 馬上射撃の図。弾痕が
多数あります。







戦時資料 : 隣組長の木札




寺今町内会 第十隣組長







入営時の私物送り返しの木札




宛名と軍事郵便のスタンプが押され
た未使用品







警防団制服(夏季用上衣)




警防団襟章は、警防員の階級で数字
の8と福住の金属徽章。


警防団のゲートル







陸軍 ”太源 入城記念”
     鉄道レール文鎮(昭和十二年)




鉄製。鉄道のレールに"太源 入城記念 昭和
十二年十一月九日"、裏に"橋爪"の文字。中
国山西省の「太源攻略作戦」で陸軍が作成し
た記念品。







陸軍航空技術将校の膨大な資料等




陸軍航空隊の下士官上がりで技術将校となり
飛行学校の教授班の教授になった方の残した
膨大な資料です。全部で20kg分あります。


































九七式爆撃機電気配線図: この青写真には脚(車輪)の
引上・爆撃装置・爆撃監査写真器。・・・等の配線図。
爆撃機の機能が一目で分かります。九七式軽爆撃機・キ21
ー2型・キ49・キ48・キ45・キ46・直協偵察機・キ43・九七
式指令部偵察機・九七式戦闘機・計12機・18葉。
”九七式
八五〇馬力発動機説明書”この資料には「秘」と有ります。
昭和十三年五月陸軍航空本部と有り、時期的に何処の会社
の製品とは書かれておりませんが、ゼロ戦の初期のエンジンに関
係しているかも?。”空中射撃及戦闘学仮教程”
この本は
搭載機関銃・機関砲の取り扱い、敵機の攻撃方法、プロペラの
回転中を弾丸が通り抜ける理論など図入りで解説されています。
”百式重爆撃機機体改修一覧表”この資料も○秘となってます。
”ハミルトン式油圧可変プロペラ取り扱い参考書”や
”落下傘取
扱書”
72式二号落下傘取扱法附図・取り付け金具・パラシュ
ートの畳み方と収納方法・独逸パラシュートと共に図解入りで解
説されています。”自動操縦装置取扱説明書”、東京計器製作
所。日本軍の飛行機にこの様な装置が付いていた事が分かります
。…その他、陸軍航空機・教程・○秘資料に珍しい資料や青図
など多数出てきました。







陸軍航空学校 生徒用服務教程











千葉 陸軍防空学校 教練手簿




昭和17年5月より9月までの教育期間中に日記状に記録。
教官が毎日チェックして教育が行き届いているか点検して
います。卒業後は、一般の教本では知る事ができない貴重
な資料となっています。資料としてもランクが高い物と考えら
れます。下の画像にあるように、平地での偽装網の張り方を
学んでいます。また対空砲での対戦車射撃訓練を行ってい
ますが、自転車を戦車に見立てて訓練を行ったようです。
戦車を自転車程度の速さの移動と判断しての訓練と思われ
ます。マイナス温度の戦場では、砲の凍結を防ぐため地下に
穴を掘り、アンペラで上を覆って練炭を2個入れるように記載
されています。一酸化炭素中毒が心配ではありますがB5サ
イズで100ページ以上、約2センチの厚さがあります。ほとん
どが手書き記入で書かれています。







海軍 再現役申請書 兼 許可書




第29駆逐隊所属の一等兵曹です。昭和10年
4月30日に現役満期を迎える為、昭和9年12
月20日に再現役の2年延長を願い出て、10年
の2月25日に許可の印が押されています。







海軍水雷学校 帰省旅行願




昭和11年8月1日より16日までの夏休みの帰省願いです。
海軍水雷学校の学生の三等兵曹が同年7月25日に願い
出て、即日の許可印が押されています。







朝鮮憲兵隊(京城憲兵隊)の表彰状




京城憲兵隊の憲兵軍曹に対し朝鮮憲兵隊司令官
日下部道徳 陸軍少将が表彰状を贈っています。







陸軍 九三式手動通風機覆




九三式手動通風機がどういった物か不明
ですが、恐らく得意の穴堀で酸欠を防ぐ
通気の為に使用したのでは…と考えます。







戦後復刻版の零戦の搭乗員手帳

















大正天皇陛下の御下賜品のパナマ帽




今や大正天皇陛下の御遺品となったパナマ帽子です。
当時の侍従長であった徳川達考伯爵に大正10年12月
11日に御下賜された品である事が徳川伯爵の箱書きが
あります。。その後に昭和13年4月2日に徳川伯爵家の
家従であった福田豊識氏が主人より拝領し、福田家代々
の家宝ぬすべしと記載されています。
帽子のサイズ56p









昭和天皇陛下の御下賜品のシャツ








今上天皇御衣 昭和三年 御下賜品です。外箱の蓋裏に由来が書かれています。
読めない部分もありますが、大体の内容は次の通りです。

この御物は今上天皇階下の御召衣で前侍従武官現任騎兵第四族団長陸軍少将
服部閣下、御下賜の御物を昭和三年十一月、御大典記念として御大豊御終了後
の同年十二月に服部閣下より川田氏が贈与をうけた。

川田氏の部分が川田◎子爵と読めるような気もしますが、はっきりしません。
服の状態は破れや虫食いはありませんが、全体にシミがあります。
長期間箱に入ったままの状態のため、折り目がついています。
     サイズ:着丈79cm、身幅55cm 素材は綿です。
とても強く糊が効いています。




胸に菊の御門があります。






畏れ多くも畏くも、あの昭和天皇陛下が御召しになされた
御服を手にすると考えただけで…やはり一臣民の一人と
しては、指の震えを覚えました。









明治天皇陛下の御下賜品のシャツ




明治天皇が御着用になり御下賜
になられたシャツです。




箱書きにある辱友 山田得多は、号を古香と称し山田古香として
有名な京都で活躍した書家です。讃岐の生まれで書を長三洲に
学びました。京都の七卿西竄紀念碑(東山区東大路通七条 
妙法院内)や鳥羽伏見戦跡碑の碑文をはじめ多数の碑文を揮毫
しています。北野天満宮表参道双狛台座銘や鳩居堂京都店看板
も山田得多の揮毫によるものです。
シャツは、上の昭和天皇のものと同じでしっかりと糊が効いております。







猟用火薬木箱(東京砲兵工廠製造)




大正6年10月生産のG号猟用火薬 500g木箱
です。中には、ハンドメイド用の散弾が少量入っ
ていました。
大正時代は軍需産業の氷河期で、東京砲兵工廠
目黒火薬製造所も狩猟用火薬の生産で息を繋ぎ
ました。







陸海軍で使用された食器




海軍の汁器
陸軍の皿