旧軍関連・戦前資料収載品
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その他、資料…etc |
柳川 平助 陸軍中将、第二次・三次近衛内閣で司法大臣 と国務大臣を歴任した方です。陸士12期、陸大期、騎兵監 を経て 第一師団長そして台湾軍司令官。皇道派の将軍で したので2.26事件で予備役編入されます。第二次上海事変 で現役復帰を果たし第十軍司令官に翌年、中支那方面軍の 再編成に伴い召集解除となります。興亜院の初代総務長官 としても有名で軍を去ってから政界に転じて大臣を歴任しま す。昭和20年1月22日 歿(享年68歳)。画像の物は、昭和11 年の台湾軍司令官の時に画帳に署名した物を、画帳から外 したものです。 |
陸軍の戦闘帽(略帽)の帽垂れ!! |
陸軍の略帽の帽垂れです。これも殆どが複製 と言う代物といわれております。特にスタンプが 有るものは駄目といわれています。 |
陸軍 二式弾帯(未使用品) |
珍しい完全な品の未使用品です。私も 持っておりますが、壊れた品や程度の 悪い品の生きている部分を繋いだりし た物は、良く出ますがデットストックの完 全な品は、中々出てきません。布のタイ プの二式弾帯ですが主に騎兵で使用さ れましたが南方では、皮が弱いので空 挺が使用しました。また船舶工兵の挺身 兵も二式弾帯を使用していました。 |
惜しい事に両方の手榴弾を収納する信管 部分に当たる底の部分だけが両方とも糸 が解け底が見えています。その他は、釦 に錆びも無く極美品です。 |
有名な義烈空挺隊もこの二式弾帯を使用していました。 |
上下とも空挺隊の画像です。下は義烈空挺隊の 画像です。両方とも二式弾帯をしているのがわか ります。 |
昭和14年製です。 |
陸軍 一式弾帯(ジャンク品) |
左右布の材質が違います。多分駄目な部分を切断 して良い部分を生かして接合したものだと思われます。 |
中田製(複製)一式弾帯 |
陸軍の一式弾帯です。陸軍の落下傘部隊で使用さ れた事から空挺一式弾帯といわれてもいます。こう してみると中田の複製が忠実に再現して良く出来て いるかが改めて判ります。通常の皮の覆カバーの付 かない布製の二式弾帯は、元来は騎兵用でしたが 空挺部隊だけでなく船舶工兵の挺身兵も使用してお りました。 |
国防資材献納に対する感謝状 |
陸軍大臣 東條英機の名で出された感謝状。すでに 一般家庭や街角で金属の供出が始まっており、こうし た感謝状は、相当の量の資材・金属の供出をしたの でしょう。この一枚を見ても先の戦争が消耗戦であり 国力を上げた総力戦であった事が伺えます。 |
陸軍 瓦斯マスク |
防毒面の一式装備がコンパクトに収められております。 所有者は蓋の片布に書かれています【田中守巳】と有り ます。【ヲ 30563 田中守巳 加工 昭和十三 京 】 です。 |
携帯嚢の入り口に見えるのは専用のガラス拭きの白い布です。 その隣の釦のある中には「不凍液」が入っている鉄缶と「曇止板」 が入っている鉄缶を入れる袋があります。上の画像が「曇止板」、 その隣が「不凍液」です。表面に貼られた紙に以下の記載があり ます。 不凍液 1.気温概ネ零度以下ナルトキハ呼気弁ニ本液ヲ塗布スルモノ・・・ 2.右ノ外眼ガラス内ニ薄ク塗布スルモノ・・・ 曇止板 1.気温概ネ零度以下ナルトキハ曇止め能力ヲ有すス・・・ ※曇止板は防毒面の内側のガラスに貼る透明なフイルム状の板 で、飛行用ゴーグルにもこれが使われています。 |
防毒面の正面を見てもガラスも蛇管の接続箇所も完璧な 品です。防毒面の裏側の取り付けバンドも完璧で生きて います。顎部分に少しヒビが有りますが切れは無く。顎下 に見える多孔丸型は呼気弁も良好です。濾過器には【軍 事秘密】と書かれています。この部分は底のゴム栓を抜き 、呼気弁を切り替えると、毒ガスが処理されて、呼吸出来 る仕組みになっています。蛇管と本体との接続口も完璧で す。 |
【昭和十八年七月十三日・陸軍省検閲・瓦斯防護教範】 です。毒ガスに対する事が化学的・気象学的に詳細に 書かれています。 |
本の中身の一部です。毒面装置を付けた兵士が描かれ、 防毒面の装着の方法と順番や防毒面装着後の操作が 書かれています。 |
海軍 瓦斯マスク |
海軍の九三式三號防毒面と防毒面嚢です。 |
面体は全体の形崩れなく、実着装可能な大変良い状態の防毒面です。 レンズに良くあるヒビや曇りはありません。面体内部は、レンズ周囲で少し 硬化が始まっています。しかしホースの硬化や変形は全く無く。当時の 柔軟さをそのまま残しています。正面の換気弁のカバーは、順調に脱着 可能です。また劣化や欠品しやすい内のゴム隔離弁もオリジナルのまま 健在です。 |
各金具、濾過缶の塗装の海軍色はほぼ完全に残っております。 錆がほとんど見られません。装着バンドはスムーズに調節できます。 濾過缶とホースの脱着も問題ありません。濾過缶に17.12の記があり 内部を覗くとオリジナルの構造のままの状態である事が確認できます。 |
防毒面嚢の表面に132041とプリント記載され、裏には、九三式三号 防毒面がプリント記載されています。負紐の金具(バックルとフック)も 完全です。内部の仕切りは、外されているような戦後代用品として使わ れた改造品でなく、オリジナルのままです。 |
この防毒面は、面体のゴムの劣化等がありますが蛇管も 濾過器もしっかりしています。携帯嚢は、ありますが収納 ケースがありません。 |
九三式二型防毒面 |
こちらは、オリジナルの収納ケースがありますが 蛇管と携帯嚢が欠品です。また面体のゴムに経 年の硬化が見られます。 |
海軍では、一般に艦内の火災による有毒ガスを防ぐ物で、 これの装備をしている事は、不測の事態が予想される戦 闘中を示します。これも大きな火災になると役に立たないと 言われています。 |
別なガスマスクの面体と連結管 |
海軍 九七式防毒面(背負型瓦斯マスク)戦闘用嚢 |
上とは、別の箱だけですが”九三式 二号防毒面 四号 収納函” |
民間用 防毒面(市民防毒面) |
非常に状態の良い防毒面です。とても60年前のものとは 思えない保存状態です。いまだに新品同様の程度を保っ ています。 |
海軍航空兵器総局長の書の手拭の実物! |
この手拭は、下の画像のようにイメージがありがちですが実際には、 戦時下に大量に生産され多くは、各種兵器工場など働く勤労女学生 や動員された学生さん達が鉢巻にしたものが殆どです。 |
海軍 軍用手拭 |
末期の品なのか完全に染まっていません。 |
陸軍の防寒軍装 |
陸軍防寒被服用の防寒マスク |
中に針金が入っていて夫々の顔の形に合わせ られるようになっています。また防寒帽の釦を 通せるように釦穴があります。 |
装着例と右は、立襟時代の防寒装備の兵 |
昭和19年、本廠検定、中号、中々の美品の防寒帽です。 |
こちらも中々の美品です。内帽があるので内部が汚れていません。 |
本体、内帽共に昭和12年広支検定、中号です。 |
昭和17年、本廠検定、中号…こちらも状態の良いものです。 |
防寒外套です。イメージで一等兵階級章を合わせて みました。 |
上記とは別の防寒短袴。本廠検定、昭和十九年製 |
旧満州、北支方面や樺太、千島北海道などの寒冷地で 使用されていた防寒手袋です。小銃射撃が出来るよう に親指だけでなく人差し指も独立しています。 |
陸軍操縦者着用防寒手袋 スタンプありますが薄れて読めません。 |
防寒脚絆です。昭和18年製、広支検定、小号。 |
上とその上のものと違う陸軍防寒脚絆の中号です。 |
こちらも別の陸軍 防寒脚絆の中号 |
九六式防寒軍靴 |
昭和19年、日本ゴム製 |
九六式防寒長靴 |
昭和16年、本廠検定 |
陸軍☆軍用スキー板(訓練用と実戦用)と関連品 |
長いこちらのタイプのスキーは、訓練用の スキー板とのことです。 |
昭和19年の印がある陸軍の軍用スキー板です。 全長181cmあります。 |
上のと違うスキーです。 |
昭和18年、本廠検定の長寸の板です。上の 画像の下段左に左右の印が押されています。 |
上の画像の上段右と中段左にテール部分で滑り止め のアザラシの毛皮など引掛ける為、切れ込みが見られ ます。中段中は、トップ部分のアザラシの毛皮等を固定 する為、引掛ける部分が見えます。 |
雪中行軍訓練中の皇軍兵士達! |
こちらの短いスキー板は、実戦用の板との事です。 |
訓練用を切断した物で無く短寸の実戦用スキー板は 残存数が少なく希少なようです。こちらは、ストックも しっかりして残っておりビンディングの革もしっかりして います(全長122cm)。 |
陸軍のスキー用滑り止めです。アザラシの 皮製で未使用の美品。 |
軽い上りの斜面などで威力を発揮。陸軍スキーの先端の 突起部に輪を引っ掛けて3箇所で固定。後ろの紐は、長さ が異なるスキーでも調整できるように考案して物とのこと です。特に刻印等は、無し。 |
仙幼(仙台陸軍幼年学校)のスキー板とストック! |
仙台陸軍幼年学校の焼印の入ったスキーです。 |
陸軍中尉殿が愛用した軍用スキー靴 |
このスキー靴は宇都宮在住の旧陸軍中尉だった方の御実家 から出た物との事です。官給品の兵用編上靴10文3分を ベースに造られた誂えスキー靴となっております。 |
通常の長靴・編上靴と違い靴に掛かる運動量に耐える様に底の厚み は分厚く、糸も通常の物より太い糸を使用して縫製されています。 |
靴紐も通常の平紐と違い長く太い黒色丸紐が使用されてます。 底部の周囲と踵の溝周囲に鎖状の飾り線が刻まれた注文品 です。洒落た模様が残ってます。底に取付られた金属金具錆も 無くビスの緩みも有りません。 |
爪先の金具には製作店の名「TAKAHASHI」の刻印が打たれています。 ”高橋靴店”は戦前、有楽町東口に有り…戦後は店名もスポーツ専門店 としてスキー靴・登山靴等を製作販売をしていましたが…現在は廃業し、 その後は「TOTO」衛生陶器の展示ホールになっておるようです。 |
陸軍 旅嚢水嚢 |
騎兵科の兵・下士官用の布製のものです。 |
陸軍 旅嚢と馬面覆 |
旅嚢の方は、水嚢が付いていません。馬の 頭巾と共に検定印などありません。 |
手持ちの騎兵画像で馬の頭巾をしていものが 殆どありませんが唯一、下の画像の矢印の二 頭が頭巾をしていたのを途中まで剥いでいます 。耳と頭だけ被った状態です。 |
陸軍 水嚢 |
時代による汚れは、ありますが、痛み無く 現役で使えます。昭18以外のスタンプ文 字は読めません。 |
陸軍 軍馬用防毒覆 |
ゴム製で2点。1つはゴムが劣化・固着したジャンク品。 もう一点は、未使用状態の美品。こちらの方は、耳が切 り取られていますが、戦争経験者の話では着用時に軍 馬がいやがって暴れる為に敏感な耳が出るようにしたと の事です。 |
陸軍 軍馬用防毒覆 収納嚢 |
未使用品。内面ゴム引き・紐はオリジナルの極美。 大きさ 幅16x高さ25x厚10cm |
こちらも未使用のデットストック |
昭和15年製の丸に化の印があります。 |
陸軍 軍馬用 防毒脚絆 収納嚢と小嚢 |
軍馬用の対瓦斯用防毒脚絆入れで大号となっています。 製造年は十七と読めそうです。”小嚢”は、昭和十五年製 造と検定印が読めます。ベルト類が2点付いています。 |
陸軍将校所持の馬具一式 |
鞍に昭和16年の製造プレートがあります。 |
鞍、鐙等の一式。手綱の細い革紐部は、硬化が あります。手綱は布紐になっています。鞍の部分 はきれいな状態です。 |
近衛騎兵将校と軍馬 |
陸軍将校用 馬氈 |
鞍の下に敷いた物。表地の羅紗は全体的に かなり色落ちして他、かなり痛みがあります。 |
陸軍 将校用軍馬の轡と手綱 |
こちらは、将校用の轡と手綱となります。 粗末な麻の馬櫛袋に入れてありました。 |
こちらも将校用の轡です。 |
陸軍 軍馬(兵・下士官用)の轡 |
兵・下士官用の軍馬用の轡です。 |
陸軍 軍馬用の鞭 |
刻印等は、ありません。歩兵科以外にも輜重、 騎兵、工兵と軍馬は、広く使用されました。 |
陸軍☆蹄鉄嚢(蹄鉄二組入) |
騎兵装備品ですが未使用のデッドストック のようです。 |
陸軍☆携帯鞍工具袋 |
陸軍☆砲体架匡 |
軍馬に砲などを積む為の鞍です。 |
砲体架匡です。軍馬の背にこれを乗せて、分解した火砲、弾薬、 兵器等を運ぶ為の鞍です。塗装もほぼ完全に残り、皮の状態も 戦後60年以上を経過してものとしてかなり良好です。 |
陸軍 獣医部 馬療関係の工具箱 |
昭和18年製。中に入っていた工具(昭和16年製)が一個だけ あります。抱き茗荷の印がありますので陸軍獣医部の物であ る事が判ります。 |
こちらも陸軍の馬療関係の皮製嚢と思われます。抱き 茗荷の刻印がありますので獣医科の物です。何を入れ た嚢かは不明です。 |
近衛騎兵の馬具とマント?? |
左は鞍褥のようです。平時の物でしょう。右は、良く判りませんが 馬体を覆う飾りでしょうか。戦後の物かもしれません。 |
皮製の脚絆です。将校用と思われます。 |
正面に四号とのみとあります。 |
留金は生きています。作りから大戦中の 物で無くもっと古いものと思われます。 |
底面に製造会社でしょう。三田○○○株式会社 とあります。薄れて難読です。 |
こちらは、何に使うのか判りません。1942以外は 難読です。私物で使用した物と思われます。 |
これは、明らかに以下の画像から判る様に陸軍の正馬装 の佐官用の馬氈と思われます。正馬装であれば明治期の 馬氈のようです。また近衛騎兵の佐官用馬氈である可能 性もあります。 |
正面は、桜花の釦が四個とホックは、一つです。かなり短寸の マントです。憲兵マントより短い気がします。騎兵用と考えると 短い方が使いやすい事が想像できます。 |
このマントがどういうものか判りません。古い時代のもの のようです。明治期かもしれない気がします。下の画像は 近衛兵の儀礼巣外套姿です。近衛兵の正装の基本は、赤 と紺です。以下の外套のマントバージョンのような気がしま す。フード部で使われている釦は、パリと記載されています のでフランスからの輸入品だった可能性もあります。 |
陸軍将校(尉官)正馬装の鞍嚢覆 |
第11回オリンピック(ベルリン大会)の日本馬術陣。左から監督の 遊佐幸平陸軍少将、大滝清太郎 騎兵少佐、松井麻之助 騎兵 大尉、西竹一 騎兵大尉、稲波弘次 騎兵大尉、岩橋学 騎兵大尉 です。 |
靖国参拝をする近衛騎兵 |
陸軍 佐官用 正馬装の鞍嚢覆 |
佐官用ですが上下の尉官用と将官用に比べると 一目瞭然で状態が悪いのが判ります。かなり虫食 いが多く惜しいです。 |
陸軍 将官用 正馬装の鞍嚢覆 二点 |
珍しい正馬装に使う将官用の鞍嚢覆です。 |
裏の皮に痛みが見られますが、表面は概ね良い状態です。 |
親子兄弟含めて四名も将官を輩出した
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こちらは、上のとは違う将官用の鞍嚢覆です。 |
虫食い等ありますが、総じてキレイな状態の 将官用の鞍嚢覆です。 |
(略歴)国司 清造 陸軍少将 歩兵・山口県出身・功四 大正2年8月22日 任陸軍大佐 歩兵第五九連隊長 大正7年6月10日 任陸軍少将 待命 大正7年10月20日 予備 |
尉官用の正馬装の鞍嚢覆と馬氈 |
騎兵装備 騎兵小銃嚢(!?) |
試しに三八式騎兵銃を入れて見た画像 |
底は、アルミ板で補強されています。この手合いは非常に珍しいものと思います。 |
裏に 昭 十三 ○の中に大 京 の刻印。表に星章の刻印が あります。 |
陸軍 軍馬購買行李 |
箱の蓋と両側に”軍馬購入行李”と獣医科の抱茗荷の紋章が書かれています。 |
軍馬に徴発された軍馬1頭に1個が付けられた行李で、軍馬の 手入れ用具・治療薬品を納めた箱です。厚いべークライト板で 造られた堅固な金具が付けられています。 |
昭和17年10月の検査印が有ります。 |
近衛師団長から軍馬生産農家への表彰状 |
表彰状に輜重馬と騎馬の絵が透かしのように デザインされたちょっと洒落たものです。支那 事変でたくさんの馬を軍馬として徴発されたの でしょう。昭和16年4月7日の日付です。 |