旧軍関連・戦前資料収載品
 (軍装品...etc) Part V_2












その他、軍帽・軍刀・短剣…etc




明治43年の韓国併合記念章。箱も桐のオリジナル箱です。







先任旗




帝國海軍の先任旗です。これは、ある意味で将官旗より
貴重かもしれません。御存知のように将官旗は、軍艦だ
けでなく座上する車両や内火艇などにも掲揚されました
が、先任旗は、停泊中の軍艦にし<か使用されませんの
でしたので、数も少なく稀少とされております。

サイズは、小さな物ですが縦40X横86cm

でウールで出来ています。

海軍旗章令の第七節 先任旗の第二十六条の
規定では以下、

先任旗ハ二隻以上ノ艦船軍港又ハ要港以外ニ於テ碇泊
スルトキ首席指揮官乗艦ノ前方檣(檣頂ニ旗章掲揚設備
ヲ有セザルモノヲ含ム)右舷桁端ニ之ヲ掲揚ス但シ同一
艦隊、戦隊、駆逐隊、潜水隊、水雷隊、掃海隊又ハ
駆潜隊ノ艦船ニ於テハ必要ノ場合ニ限リ、将旗又ハ代将
旗ヲ掲グル艦船ニ於テハ他ニ列序同位ノ旗章ヲ掲揚スル
艦船在泊スル場合ニ限リ之ヲ掲揚ス







海軍 礼装用短艇敷物




この礼装用の敷物も中々、出ない珍しいものです。尉官と佐官は
所持していますが…流石にまだ将官用を持っておりません。両方
共に重くて大きいので保存に困ります。


やっぱり豪華で陸軍に比べると海軍は貴族趣味です。
まあお手本が天下の大英帝国海軍ですから…さもあり
なんという感じですが…。







陸・海軍 落下傘各種




陸軍 九七式操縦者用落下傘と九七式操縦者用縛帯








陸軍九七式操縦者用落下傘体です。戦闘機パイロットが主として
使用した落下傘です。落下傘傘嚢、座などは完全。この九七式は
、良く知られているように縛帯装着時には臀部にきて、操縦席の
座席の下に置くようになっています。これは落下傘が邪魔になら
ないよう配慮された事と、落下傘を機内に持ち込む事を忘れない
様にする為です。製造布には”操縦者落下傘九七式 昭和19年6
月22日 藤22310 ”と陸軍の☆印が入っています。座の下には
部品類と、落下傘を開く赤い紐が入っており、頭部の球部も付い
ています。書類を入れるポケットに、本来は傘を畳んだ日付を入
れる紙が入っていますが、殆ど破損しています。傘体は、一度開く
と、訓練を受けてない者では元に戻せませんので、未開封のまま
です。傘嚢には、経年のホコリ汚れとや若干の水シミなどがありま
す。座にも多少ホコリ汚れありますが、本体、パーツは大体揃って
いるようです。傘嚢の外を引っ張る4本のゴム紐は収納されている
ようですが、ゴムは硬化が見られます。。引っ張り出すと破損の恐
れがあり触っていません。相対的には、程度は良好と思われます
。良く東南アジアで一万円位で落下傘が売られておりますが…そ
うした品にありがちな欠品が多い物とは、違うようです。
陸軍九七式操縦者用縛帯 昭和十六年の完全品
検定布には、操縦者用落下傘九七式 製造番号
13687 製造 昭和16年3月20日 会社名 満州
藤倉工業株式会社と読めます。離脱器も完全で
ベルトの装着・離脱もスムーズに作動します。
バンド・背布も完全。尻に掛かる部分のフエルト
も完全ではありませんが残っています。





海軍 雑用落下傘








海軍の雑用落下傘ですが開傘した状態でした
ので…収納に困りました。素人ですの無理矢
理収めましたが…少し見苦しいです(苦笑)。



陸軍 不明の小型落下傘




陸軍の星章に19.10の刻印があります。15センチ
×15センチ厚さ5センチほどの嚢の中に落下傘が入
っています。四辺から120センチほどの、直径7ミリ
ほどのシルク紐が付いています。これに投下物を縛
ったのでしょうか。嚢の口は糸で縛ってあり、白いコ
ードを引き出して、何かにフックを引っ掛けて投下す
れば、糸を切って落下傘が膨らむ仕掛けのようです。
通信筒や小型の物資を投下する物と想像します。



海軍 大型物量落下傘嚢




銃器、弾薬、食料などを空中から大量に
補給する際に使用した物量落下傘です。
直径が58cmと大型です。


検定布には、昭和19年2月13日製造 藤倉航空工業株式会社
製造に型式K落下傘、シリアルNo.1800677に海軍の錨の
刻印、 豊川海軍工廠の検定刻印があります。



陸軍 九二式落下傘(同乗者用)嚢









落下傘鞄と落下傘嚢






陸軍 一式落下傘(二型)







陸軍 一式落下傘(ニ型)収容嚢です。三菱電機
郡山工場と昭和19年2月10日の記載があります
。郡山の三菱電機は、戦時中に落下傘の製造・
補修をしていたそうです。



海軍 一式落下傘(特型)と一式縛帯














陸軍 四式落下傘と四式縛帯
















落下傘・縛帯共に申し分の無い状態です。良く
あるマニア放出品で縫い目に逆らって持つと綻
ぶような品がありますが、本品は、当時のまま
丈夫に保管されていた品です。







陸軍 九七式操縦者用縛帯 収容嚢




完全な形で残存する
物は、少ない品です。
右の九七式操縦者用縛帯が
左の嚢に収められます。
方布が残念ながら剥がされています。
陸軍航空隊の星章が印されています。







海軍航空隊 偵察要具袋




戦後に使われたのでしょう。表面の
偵察と裏面の少尉の記載と七二四
空の空を消してあります。
持ち主の方は、第七二四海軍航空隊
(青森県三沢基地)の島本少尉。艦爆
乗りの特攻要員の方だそうです。







零戦の茄子環





一般的な長期間に渡り、変更の
無かった零戦の操縦席
零戦五二型後期の張り出し付き操縦席



二種類の色の落下傘用の紐です。その上の画像
の懐中時計式の飛行時計は、白の落下傘用の紐
を使用していますが、この陸軍落下傘用の紐のよ
うな色のようなバリエーションもあります。中には、
赤い紐もあります。





海軍のU字型浮袋です。真ん中に
あるのは、嚢です。


以下は、別に入手しました海軍浮袋です。
出所は、大井海軍航空隊の品のようです。

未使用のきれいな完全品です。




浮輪の製造印は、藤倉航空工業(株)です。
嚢にも浮袋にも豊川海軍工廠の印と海軍
マークがあります。


エアーの注入口
浮輪の裏面




これは、補修用のゴム布(内袋修理用)です。







陸軍航空隊 不時着用糧食 携行嚢

















海軍 二號救急嚢

















海軍 各種 航空電熱被服 収納ケース








電熱服は、この軽量コンパクトなグラスファイバー
製のケースに収納されて供給されました。サイズ
は、21×60×12。重量1.4kg


別の電熱航空被服の収容箱











海軍航空隊 電熱手袋






昭和19年、藤倉工業製、イ165とあります。
検査印は、昭和20年4月に9.59Ωとあり
ます。


香取海軍航空隊主計長だった海軍主計大尉
さんが所持していたそうです。







海軍航空隊 電熱服 一式




電熱手袋に少し痛みがありますが、
全て揃いの一式です。






上衣は、昭和18年、横須賀軍需部の
貸与品の2号です。藤倉製で検査票
に昭和18年10月の記載があります。


電熱袴の方も18年の2号、同年10月
の検査を受けています。


電熱袴の内部と股の部分


電熱手袋は、少し痛みがあります。
こちらも同じ18年10月の検査を受けています。
電熱足袋です。
こちらも同じ18年10月の検査を受けています。




上の電熱服の収納箱では、ありませんが
同じものです。下の画像の右隅に同じケ
ースがあり、昭和15年製 電熱航空被服
と記載されています。この画像は、支那事
変の頃の九六陸攻内部で電熱服を着用し
ているものです。大型機では、寒くなって
から着替える事が可能です。 







陸軍航空隊 カポック(救命胴衣)と飛行手袋






カポックです!







陸軍 操縦者用手袋

















離脱器(縛帯の金具)




航空兵の縛帯の金具です。
未使用品です。惜しい事にベルト
が欠品です。
「東洋時計(マーク)
     軍検定(☆)」の刻印







航空搭乗員の備忘録(記録盤)




所謂、海軍航空隊で使用された記録板
(備忘録)である。個人装備品なので廃
棄された機体の外板などを利用して様々
な物が作られました。
このように様々なタイプがありました。上記
画像の収集品の物は、膝に置く左の画像
のタイプの物です。下は、搭乗員の実際の
使用例です。


零式艦戦試運転記録紙(複製品)
オリジナルにこだわり、ザラ紙にガリ版
刷りで複製してあります。綴じ紐も専用
紙を使用してあります。5枚1組の品で
す。



252空戦闘304飛行隊の吉田 勝義 飛行兵曹長
 (撃墜数:10機)が使用された備忘録(記録盤)です。




所謂、記録盤や備忘録と謂われるジェラルミン素材から流用して作ったものです。
記録紙や地図などを挟み単座機の戦闘機搭乗員などは太腿などにゴム紐などで
通して搭乗しながら使えるようにしていました。同様の品を2点、収蔵していますが
このように持ち主がはっきりしている備忘録は初めてで珍しいと思います。


零戦で敗戦の日まで戦ったラバウル以来の歴戦の猛者…吉田 飛曹長です。







飛行マフラー二点(上記の吉田 飛曹長が使用)





絹の飛行マフラーは飛行機乗りの代名詞のようなものです。
私製の物から官給品と謂われるものまで時々見る事があり
ます。収蔵した飛行マフラーが数点ありますが、今回のように
所持者がはっきり判る飛行マフラーは初めてです。この吉田
飛曹長の愛用のマフラーの一点目には、かなり薄れかけてい
ますが…大きく”非理法権天”と記されています。楠木正成公
の軍旗に菊水紋と共に記された事で有名なこの言葉は”非は
理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝
たず”を意味し…先の大東亜戦争では非理法権天と印した幟
や特攻隊員や航空隊員のカポックなどにもこのマフラーのよう
に記載されているのを見かけます。法非理法権天と七生報國
は戦時中に最もよく目にするスローガンだったかもしれません。
他にも所属等が記載されていたのか相当薄れて難読です。


大空のサムライで余りに有名な撃墜王・坂井三郎中尉の写真です。
右は台南空でラバウルでの画像です。人によりマフラーの巻き方も
個性がある事が判ります。多くは高空での寒さ対策であり、いよいよ
切羽詰れば包帯代わりにも三角巾代わりにでも何でも変身する便利
な代物です。


もう一点の飛行マフラーです。これには”明日ありと思ふ心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかわ”記載があります。これは京都青蓮院の
慈円のもとで得度する前夜に僅か9歳の親鸞上人が詠んだ歌です。
一度、大空に飛び立ち出撃すれば明日の命も知れぬ身の搭乗員に
とって同じ想いに至るのでしょう。これを襟に巻き昭和20年8月15日
、敗戦の日の空でも英軍機一機を撃墜し個人撃墜スコアーの10機
目を記録しました。
この他、日本人らしく金毘羅神社などの朱印があります。


全て御本人です。飛曹長に昇進する前の下士官時代です。(左端は202空時代で愛機の前でポーズを
取る写真。真ん中は昭和20年3月、戦闘304飛行隊の先任下士官時代。右端は202空で同期の甲飛6
期・後藤 庫一 一飛曹(撃墜スコアー:8機)です。
昭和20年3月、沖縄戦開始直前に茂原基地での戦闘304飛行隊の搭乗員
達の集合写真です。飛行隊長の柳沢 八郎 少佐の後ろが吉田 上飛曹(右
下の拡大)です。また二列左から二人目が志賀 正美 飛曹長(敗戦時 少尉
、撃墜スコアー:16機)です。







特攻隊 自決用短剣




木鞘は、戦後に作り替えた物のようです。
在銘ですが銘が良く読めません。


こちらも特攻隊用(航空・回天等)の
自決短刀です。鞘と柄は、戦後の物です。

全長182mm 刃長137mmの冠落とし
の短刀。



こちらの二振の海軍特攻隊用短刀は、
拵えも当時のままです。画像のとおり
海軍航空兵用短刀の典型的な形態で
す。


この下の画像も海軍特攻隊の
自決用短剣です。











航空兵の短刀(木製つなぎ)




旧軍の航空刀は、鉄鞘の短寸のものが知られています
が、鍔や金具のでっぱりが多く、飛行服を傷つけたりし
て具合の悪い部分があったようです。飛行兵が軍刀を
機内に持ち込むのは、精神的な部分が多く、軍刀で
斬り合いをするわけではありませんから鍔なども不要で
した。白鞘の短刀に、革の被覆を施したものを航空兵専
用としたようです。また更に短い革覆い短刀を腰のベル
トに下げるタイプは、良く自決用短剣として見られま
す。これは、皮覆の無いタイプも良く見受けます。

サイズ:全長46cm 柄16cm 鞘30cm 
     刀身(木製つなぎ)23cm。








      海軍航空隊 (飛行装備・機材)

海軍航空隊 無線電話機の咽喉送話器(マイク)




送信機のマイク部分だけです。まあ咽頭送話器の場合
それがメインなのですが、これに装着の皮部分と接合
する配線となります。よく出てくる大戦後半の一番改良
されて小型化された進化したツインタイプで無く比較的
初期で大型のシングルのタイプです。
東洋通信機株式会社 昭和18年9月の刻印が
アルミの缶状の外箱にも本体にもあります。
ベークライドの側が喉に当たる部分です。逆側は配線が
取り付けられる方になります。

シングルタイプで以下のように使われました。



無線電話機の咽喉型送話器(ツインタイプ)




海軍のパイロット用の咽喉型送話器が二点です。
上下とも60年の歳月の経過を感じさせないコンデションです。
先に上で掲載したシングルタイプを進化させた
改良型です。







海軍航空隊 無線電話機のレシーバー




こちらは飛行帽の耳当ての中に入れた受信機です。


三菱電機と読めます。







海軍航空隊 無線電話機の通話用
  L一型転換機のマニア手作りの精巧なレプリカ




マニアが自作で作ったL1型転換機です。
ソケットも銅板、アルミの手製、転換機は
木製と思われます。「L1型転換機」「ひし
形にM」の刻印が入っています。プラスネ
ジが使用されています。
思わず童心に返り満面の笑みがこぼれそ
うな品ですね。ありそうで出てないアイテ
ムなので自作したのでしょうね。
まさに遠目から見ると実物そのままに見えます。
中々、大した力作だと感心します。
三式空一号無線電話機…管制器と送受信器の関係を図示した例です。
実際の使用例の画像です。







海軍航空隊 搭乗員の酸素吸入器
               (マイク内臓)




珍しい酸素吸入器です。大東亜戦争の末期
で高々度の迎激戦となり酸素が必須となり離
陸からマスクを付けている姿が多かったと聞
きます。また零戦でも3.5Lの酸素タンクを3本
積んで蒼空に駆け上がっていきました。
この酸素吸入器は数種類ある酸素吸入器
の中でも変り種の黒いベルベットで覆われ
たマスク付き酸素吸入器です。
下のような状態でありましたが、マスク上に
アルミ管がありそれにゴムチューブが繋がっ
ていて酸素が来る仕組みです。片方の配線
は、マイクに繋がっています。ゴムが経年の
劣化で所何処で切れています。テープで補
修し繋げてみました。ベルベットもかなり落ち
てきています。


マイクから伸びた配線のジャック部分の
根元に七型送話器と刻まれています。








上が黒いベルベットで覆われたマスク付き酸素
吸入器の図です。下はその他に海軍で使われ
た酸素吸入器です。


現在医療用で使われている酸素吸入器の一部です。
左が人工呼吸器や麻酔器など一般に使われるマスク
で右が病棟や外来で一般に使われるマスクです。軽く
て丈夫な素材になっています。







陸軍航空隊 飛行帽の伝声管




飛行帽の伝声管。飛行帽の耳カバーにすっぽり入ります。







海軍航空隊 
    
一式三號隊内無線電話機改一(送受信機)




艦攻や艦爆、艦上偵察機などの三座機や複座機に
使用された隊内無線機です。水偵などでも使われた
ようです。軽量でかつコンパクトなのには驚きます。
昭和19年2月、松下電器無線製作所製造でシリアル
No.2464です。海軍の刻印に大湊海軍工作部の検査
刻印が銘板から確認できます。
本来は、上図のような色ですが正面・側面・後面はオリジナルの
塗装が殆ど落ちていませんが底面だけは、色を残しています。
超短波送受信機で艦攻・艦爆機が編隊内の通信連絡用
に使用しました。送信周波数30〜50MHzでその通達能力
は、対機で5浬といわれています。
上の画像は、上部から覘いた画像です。下の画像は、
左右の側面からの撮影した画像です。


上は、後面となります。
下は、底面でオリジナル塗装の海軍機の緑色が良く
残っているのが判ります。塗装は、これ以外にも黒色
塗装のバージョンもあります。







海軍 テ1号無線レシーバー(沖電気製)




海軍のテ一号無線レシーバーです。
昭和17年6月、沖電気製の刻印に桜の刻印あります。


コード、ソケットも完全です。







海軍 一号B型無線レシーバー(ADK製)




昭和19年1月製造、一号B型、
ADK製(旭電化工業(株))







海軍で使用された電鍵




海軍の無線の基本と謂えばモールス信号です。この電鍵は
モールス信号を打つ時に使用します。歴史的な暗号である
”ニイタカヤマノボレ”…そして”トラトラトラ”(我、奇襲に成功
せり)は余りにも有名です。
モールス信号では、イは”トン・ツー”、ロは”ツー・トン・トン”
ハは”ツー・トン・トン・トン”となります。
沼津海軍工廠製の銘板のある手働電鍵二型改一です。
下時の木製部の銘板の横に海軍を示す錨の刻印と沼津
工廠を示す○ヌの刻印も見られます。沼津工廠は昭和18
年6月に開設。約2万名の工員が働き主に電波探信儀や
航空用無線機が製造されていました。
略号として海軍航空隊では通信(電信)時に、トラ連送(雷撃隊突撃せよ)、
トキ連送(急降下爆撃隊突撃せよ)、ト連送(突撃せよ)、テ連送(敵発見)や
ハ連送は(我自爆す)などがあります。真珠湾奇襲では雷撃が一番で爆撃は
その後だったの為、トラ連送が…”我、奇襲に成功せり”となります。











海軍航空隊 気泡六文儀二型








左は地上で六文儀の使用を練習中の搭乗員。右は
九六陸攻内部で六文儀を使い天測中の偵察員です。







海軍航空隊 航法計算盤四型




島津製作所の品です。メモ紙を挟める枠を押さえる小さな金具
と裏ブタのネジが一つ欠品していますが、その他は蓋のスプリ
ングもちゃんとしていて状態の良い美品です。
太腿に止めるゴムは、伸びてオリジナルと少し違いますが、
オリジナルの金具がついておりオリジナルと同じ通し方をし
ているので、当時に交換されたものと思われます。







海軍航空隊 航法計算盤ニ型






昭和十四年、気速180節までの高速機をニ型
にしたそうです。中央の円盤は、ガラス製で表
面は梨地になっており、手で容易に回転します
。惜しい事に収納の規格箱が欠品です。この
箱には、ガラスの破損を予想して通常、予備の
ガラスが1枚、入っていました。









九六式六文儀と大輪三杵分度儀




海軍の九六式六文儀と大輪三杵分度儀と思いきや、
同じ戦前のものらしいですが、刻印が無いので民間の
物となります。まあ基本機能は、全く同じです。


箱に銀座・TAMAYAとプレートがあります。







海軍航空隊 大輪三杵分度儀




こちらは、海軍の刻印のあるものですが、基本的には
上にある民間の物と全く同じものです。
昭和18年2月の島津製作所製。シリアルNo.は、箱も
中の分度儀も同一のものでオリジナルです。






海軍マークとシリアルNo.の刻印と
○にオの刻印があります。これは、
工廠印ですので大湊海軍工作部と
思われます。














海軍航空隊 九六式六文儀改一




商船用六文儀改一を海軍が買い取ったものです。
海軍の刻印と○オの刻印があります。これは、通常
海軍工廠の頭文字の印となりますが、オは、恐らく
大湊海軍工作部だと思われます。シリアルNo.と昭
和18年12月10日の刻印を認めます。製作は、島津
製作所です。昭和15年に制定された九六式六文儀
改一となります。
この改一は、天測の基本として海軍航空隊
要員の訓練に使用されました。







その他の海軍の航法計器




的針方位測定器一型です。
機体の中、特に操縦席の近くに設置し
的針方位を測定します。支那事変から
敗戦まで長く使用されました。
上は、九七式艦攻の偵察席の的針方位測定器。
下の左は、零式水偵の偵察席的針測定器(左側
)。前にいるのは、パイロット。右の主翼上の線が
的針測定の基準に利用された物です。


機上自差測定器二型です。
操縦席の内部色のインテリアグリーンがわかります。







陸軍航空隊 九九式極小航空写真機
               のシャッターレリース




昭和15年、陸軍の要請によって 小西六(コニカ)が造った手持ちの
航空偵察カメラである九九式極小航空写真機のシャッターレリースで
す。カメラの箱の横に装着します。内部のパーツは揃っているようです。






このカメラは、性能の良さから戦後、連合軍に使用され
朝鮮戦争で大活躍し有名になりました。




六桜社フィルムケース3個です。アルミケースの蓋に御馴染
みの六と桜のマークがあります。3個のうち1個には、フィル
ムが入っています。







陸軍 百式小航空写真機と収納箱










内部に員数表や陸軍用を示す
星章が見られます。
六櫻社、(小西六)の100式小航空写真機を収め
た木箱です。100式ですから皇紀2600年(昭和
15年)制定で敗戦まで使用された航空カメラです
。小航空写真機と言うとかなりコンパクトに想像
しますが箱もでかければ中身も相当に大きく重た
かったようです。某軍装店では、この箱だけで
36500円、中身は35万円で販売されているのを
見ました。
百式司偵などが搭載した一〇〇式
小型航空写真機です。
陸軍の一〇〇式小型航空写真機です。「小型」とされて
いるものの偵察用の航空カメラですから、幅約35cm、
高さ30cmという大きな図体をしています。大型機の乗員
が手持ちで撮影するわけですが、百式司偵では、床面
にある懸吊架を用いて垂直撮影にも使いました(垂直撮
影にはもっと大型な一号二型自動航空写真機も使用さ
れました)。製造したのは、小西六(現コニカ)で、フィル
ムのサイズは、キャビネ判。レンズは、焦点距離20cm、
明るさf3.5のヘキサーがついていますが、40cmレンズに
交換することもできるようになっており、フードが繰り出し
式になっているのは、40cmレンズの装着に対応しての
ことだそうです。左手の保持する木製グリップの先端が
なくなっているのと後面のカバーをロックしている2つの
スライド金具のうち、ひとつがロック解除をするボタンの
上部が紛失しています。開けるには、ボタンを細い棒で
押してやる必要があります。そのほかは、良好な状態で
す。ノブによるシャッター巻き上げ、レバーによるシャッタ
ーの作動もきちんと行えます(シャッター速度が正確かど
うかは不明ですが)。レンズには、カビや傷はなく、黄色
いフィルターがついています。
上のカメラと関係の無い、海軍機の航空
カメラのフィルムカセットです。海軍の錨
のマークに小西六のマークにシリアル
No.があります。







海軍 九九式(手持)航空写真機(六桜社製)




米国からの里帰り品の九九式手持航空写真機です。
収納箱に一部傷みがありますが、本体は非常に良
い状態です。
九九式航空写真機 15糎 第1225号の
記載が読めます。
オリジナルの収納箱にあるシリアルナンバー
とカメラのナンバーは、一致します。昭和19
年11月製造です。惜しい事に本体及び鏡玉
、塗光器3枚、安全紐は、ありますが、説明書
とリールが欠品です。
九九式は、15cmの小型高速機専用航空
写真機として昭和14年より六桜社(小西六
:現在のコニカ)で開発・生産され敗戦まで
海軍航空隊で広く使われました。重量も
4.3kgと軽量でコンパクトです。


シリアルNo.のプレートに海軍マーク
が2個刻印されています。
背面カバーを外した画像です。
画判寸法は、7.5×10cm


付属品の淡黄色・黄色・橙色のフィルター
と安全紐です。安全紐は、落下傘の紐と
同じものです。首か吊るせるようになって
います。







OH済みの飛行時計ですが約60年前の製品
とは、思えないほど正確です。現在、日差±
一分程度で時を刻んでおります。詳しい方に
お聞きしたところ
機械にセイコウシャとローマ
字で入っているのが大体戦前の物ですが在
庫がセイコウにあった為に大体国鉄あたりで
30年くらいまでは使われていたそうですす。
中三振の出車式は航空時計用に鹿児島セイ
コーが特別に作った物で数が少ないそうです
。国鉄懐中時計を総称して19セイコーと言う
人もいますが40年以降は違う形もあるそうで
す。尚、19セイコーは、通常、7石で15石もあ
るそうですが戦中のものは、5石の物が多い
ようです。昭和20年と21年のみの製造と言う
事ですので昭和20年敗戦までの約9ヶ月の
間に生産された懐中時計となります。



九三式飛行時計

陸軍の九三式飛行時計です。残念な事に銘板
がありません。計器板に付けられていたもので
すが搭乗員がよく取り外して首から下げて使用
している例と同じく携行していたと思われ(銘板
もその為に外れたと思われます。)表面にすれ
がありますが、しっかりと可動しています。試し
に24時間動かしましたが殆ど誤差はありませ
んでした。機械は7石のSEIKOSHA製です。
竜頭部裏にある裏蓋を固定するネジが欠です。
また残念な事に秒針が外れて時計内に転がっ
ています。

本体内側と、裏蓋の裏側に、共に
”J 209”の揃いの刻印がありま
す。但し”J”は、やや難読です。
落下傘の紐は、当時のデット
ストックです。



百式飛行時計

アルミ製の昭和7年、精工舎の飛行時計です。
…この型式は、計器盤に取り付けるタイプの物
です。振動が伝わらないように配慮されており
、航空計器としては、小型軽量で重量は、342
g。昭和17年以降は、計器盤に装着せずに上
記の航空時計のように落下傘の紐を通して首
から下げるお馴染みのスタイルが一般化しまし
た。こちらの百式ですが非常に汚れて見えます
が中の針といい文字盤の状態といい銘版の状
態は非常にいいです。赤針・青針ともに元気に
見えます。…これからOHです。





海軍時計




海軍の夜光秒針時計三型です。航海科
を示す、○航マークにシリアルNo.1821
です。




こちらも海軍の秒時計一型です。砲術科を示す
○砲マークの横に刻印シリアルは2195です。
この時計は初期型で、ロンジン社(LONGINES
から輸入したムーブメントを精工舎のケースに
入れて軍に納入された残存数が少ないタイプで
す。
この時代は、悔しい事ですが、精工舎のム
ーブメントより格段に精度が優れていたようです。
こちらも砲術科の時計です。シリアルナンバー
は、ありません。文字盤等が無い為、これから
修復する一品です。




空兵 八九式活動写真銃です。NO.106 
第59号です。精工舎の八九式活動写真
銃改二は、良くありますが初期型のこの手
のものは、珍しい気がします。ムーブメント
は、MOERISです。秒針が紛失しガラス
も割れています。これから修繕となりま
す。この
八九式活動写真銃は、下に画象
を出しましたが(これは、改二の方)この
時計と一緒に撮影し射撃時間を確認しまし
た。








こちらの軍用クロノグラフは、八九式活動寫眞銃改二
です。時計とストップウォッチも作動しています。経年に
より、黒文字盤が茶色に変色していますが、全体的には
、美品だと思います。これもムーブメントは、精工舎でな
くBERENAです。この八九式活動寫眞銃改二が上記の
掲載の写真銃に組み込んで一緒に撮影するように出来
ています。NO.4861の刻印があります。


cf.飛行時計・航空時計に関しまして!

御存知のように、飛行時計というのは膝もしくは腕用の
天測時計か計器取り付けの時計を総称して呼んでいま
す。たとえば航空写真銃内部に取り付けられる小型の
時計も分類で航空時計と言われる事はあります。本来
、○航は船舶の航海用士官用と言われていますが、陸
軍で使用されていた場合もあるようです。また夜光秒針
時計ですが…ムーブメントがしっかり稼動する事は勿論
ですが…夜光時計は蛍光塗料が命と言われております。
全体に美品でも夜光塗料が落ちていれば、本来の性能
を発揮しない点で価値は、下がります。







陸軍航空隊
  回転式射撃監査写真機(ハイス型)




珍しい陸軍のハイス型写真銃です。
元箱の銘板は、昭和17年8月の
六桜社(現コニカ)製です。
見事に残っているものです。しかし残念なことに航空時計とこれを
取付する部分が失われています。写真銃に良くあるパターンです。


写真銃本体の銘板は、昭和18年5月製造とシリアルNo.1586
が刻まれています。この写真銃がどの機体に搭載されたかは
判りませんが…どんなシーンを写して来たのか気になります。






実にでかくて重いです。…取り扱って撮影した人も大変だった事でしょう。











海軍 八九式写真銃改ニ




海軍のルイス式旋回機銃型の写真銃です。雷撃機などの後部機銃の
訓練に使われました。ネジを巻いて引き金を引くと、約180秒撮影が
出来ました。写真を現像して、標的に命中したかどうか判定が出来ます。
写真銃で欠品が多い銃身上の風防も健全です。
また良く抜き取られて欠品になっている時計ですが入手元の前のオーナーが
欠品だった実物時計を某有名軍装店から購入し取り付けしたようです。
銘板には六桜社(現在のコニカ)、シリアルNo.は第7807号となっています。
リアサイト手前の銘板には、主鏡玉 24698 
副鏡玉 11968の刻印があります(以下)。






シャッターレリーズは、長さが異なった3本が入っています。
リアサイト、フロントサイトなどがパーツボックスに入っています。
他に感光していると思われる中身入りフィルムも2本あります。
サイズは、銃全長75センチ、箱28.5×84センチ×高さ20センチです。







十年式信号拳銃用の信号弾( 緑吊星)
    及び煙弾(黒龍・黄龍)など各種薬莢




珍しい十年式信号銃の薬莢です。近接する部隊間
及び航空機と地上間の連絡に使用されました。従っ
て地上だけでなく航空機内部からも使用発射されて
地上へ合図が送られました。このように弾薬の薬莢
底面には夜暗における弾種判別を可能とする刻印あ
ります。これは陸軍のものですが海軍機でも夜間戦
闘機”月光”などに搭載されたと謂われています。
星に例えられた光弾は、昼夜兼用だったため、目視による選定が困難
な夜間には、接触で違いが判るように莢底には刻みが有ります。因み
に”吊星”は落下傘付の光弾で、光輝時間は約15秒、認識距離は(昼)
2500米(夜)12000米だそうで、落下傘にも光輝色と同一のものが使用
されていたそうです。


十年式信号拳銃の実銃を撮影した貴重な頂き物画像です。
十年式信号拳銃は、大正10年制定。近接する部隊間及び航空機と
地上間の連絡に使用されました。外観、構造共に二十六年式拳銃を
踏襲しています。形式は、中折れ式ダブルアクション単発です。弾薬
の薬莢底面には夜暗における弾種判別を可能とする刻印あります。


       [諸元]

     口径   :35o
     装弾数 :1発
     銃身長 :120o
     全長  :208o
     重量  :1,250g
     生産数 :約8,500挺

大正10年〜昭和20年までに8500挺が製造されました。下の画像
に東京砲兵工廠印に十年式の刻印、そして3332のシリアルナンバー
があります。



信号弾には、緑だけでなく赤もありました。
 


こちらは上の信号弾と違い昼間の使用に限定された煙弾です。
この為、夜間識別用の薬莢底部の刻みが無く煙弾の色を示す
黄龍と黒龍のみが刻まれています。地上から空に向けて打ち上
げる名前のとおり龍が空に立ち昇るように走り、約15秒間発煙
し、その認識距離は約4千mだったと謂います。
黄龍の薬莢底には東京砲兵工廠の刻印があります。また
黒龍の薬莢底には東京砲兵工廠の支廠の板橋火薬製造
所の刻印があります。







海軍 天測時計




この時計の持ち主は、兄上が海軍航空隊(少尉)
のパイロットだった方もので、弟さん(70歳位)が
所持していたそうです。戦後の兄上は、米軍人の
通訳をされていたそうです。




海軍天測時計です。裏蓋の外側に”空兵第五七八九号
”、内側に”○にト”、”イカリマーク”が見られます。夜光
塗料とか、文字盤の変色も余りありません。またベゼル
(枠)部も回転も良好です。内部にS精工舎(ムーブメン
トに打刻)あります。可動状況はゼンマイその他も生
きていて動きます、時々止まりますが少しショックを与え
ると再動する状態で、これからオーバーホールに入れる
時計です。風防の一角に細いヒビが一箇所あるのが欠
点です。メッキの状態等美品です。針は良くあるタイプ
でなく先端部が円形になっていない方のタイプで陸軍の
針のようなタイプです。



その他の海軍 飛行時計など




ムーブメントは、ロンジン社で、完動品。








精工舎製の飛行時計です。飛行時計の文字の
上に、’一日捲’と書いてあります。風防ガラス
が経年により擦れ傷みあります。
オーバーホールもなされ、ゼンマイも交換している
との事で元気よく動いております。



裏に 賞 陸軍航空総監と彫られている懐中時計。
中は、 SEIKO 15JEWELSです。
陸軍航空士官学校などの場合は優秀卒業者は、陸士と同様に
御賜の銀時計となります。これは、その他の各種飛行学校等で
優秀者に贈られた陸軍航空総監賞の懐中時計となります。この
賞の下に教育隊長賞などがあったようです。







海軍 軍用腕時計






防塵ケース、革バンド付き昭和十年代の
精工舎製です。秒針も全て今も尚、時を
正確に刻んでいます。



一般兵もしくは、下士官が使った
腕時計でしょうか。







海軍の計器類




外装の保存状態が余り良くない
零式羅針儀一型改一です。コン
パス内のリキッドは残存していま
す。
この改一は、改二と同様で先の大戦後期の
単発小型機の多くが搭載した航空羅針儀で
す。
製造年月日不明。東京航空計器(株)
製造の改一です。
海軍・零式航空羅針儀一型改一



上の物と違う零式航空羅針儀
一型改一です。
こちらも零式航空羅針儀一型改一です。残念ながら銘板は
外されています。東京航空計器(現トキメック)の製品です。
計器の上部に【14・7 土’】と書き込まれています。「昭和
十四年7月・土浦海軍航空隊」と解釈しては無理だろうか?
と前の持ち主が記載されておりましたが、案外、そんな処の
ような気がします。強風、紫電、紫電改、震電、天山などの
後期の機体にも装着されました。
こちらも海軍の零式航空羅針儀一型です。紫電改等々の
大戦後半の海軍小型機(零戦以外)に使用されました。



九九式艦爆や九七式艦攻、中〜大型機に
搭載された零式航空羅針儀二型です。
接続の簡単なソケット式の配線も残存しています。
このすぐ直下の画像の二つの金属棒にソケットが
差し込まれ配線されます。計器版では裏の部分に
当たりますが。
この品は東京航空計器の製作ですが、同じ品を
横河電気製作所でも製作していました。


この海軍の零式航空羅針儀二型は、他に改一・二の二種類があり
改一は晴嵐に取付けられました。またこのニ型は陸軍では九八式
航空羅針儀乙と同じものです。
銘板に年月日がありませんが、東京航空計器(現在のトキメック)
の製品で海軍と豊川工廠の検定印が見られます。コンパス内の
リキッドも抜けてなく生きています




海軍・航空羅針儀一型改(海軍の大型機や各種水偵、
彩雲や天山などにも搭載されました。)



一式航路三型(ラジオコンパス)
昭和20年製、東京計器電機(株)AT-11型 H31213
後期タイプの航路計です。


こちらは、中期タイプの航路計のようです。
詳しい方のお話では、前期型は、エボナイト部分がアルミ製と思われるそうです。
このタイプの航路計は、零戦で言えば、サイパン陥落辺りから見られるそうです。
後部の形状は中期のままだった可能性があるそうです。または、このタイプで
前期後期と分類出来るかもしれないようです。


こちらも後期タイプの航路計












こちらも後期タイプの航路計です。製造は、
東洋計器電機株式会社でH31412の型番
があります。


海軍の旋回計ニ型です。田中航空計器製造
のものと思われます。
残念な事に後の銘板が入手時より取り外されておりました。
ジャイロスコープ式で左右の傾斜を球式の
バンク計が示します。いずれの方向に旋回
しても球が中央にあれば、横すべりせずに
旋回している事を示します。
下の三つは、共に旋回計ニ型です。
左が東京航空計器製造の旋回計ニ
型で比較的に古い海軍機に装備され
ていたようです。真中は、田中航空機
製造のもので上の画像の計器と同じも
のと思われます。右は、同じ物のバリ
エーションの違いです。数字や字体の
変化に夜光塗料の塗装の違い等です
が基本構造は、全て同じです。


こちらも旋回計二型ですが、銘板もあり完全な状態の品です。
この旋回計二型は、ほとんどの海軍機に使用
されました。夜光塗料も、良く光ります。


海軍の航空用の水平儀一型です。
多くのバリエーションがありましたが主に
九三式中練、九七式艦攻、一式陸攻、
二式大艇などに装備されました。
銘板には、ト 34814 錨マークの刻印が
あります。




電探(レーダー)に使用されていた電圧計です。
海軍の錨のマークと昭和19年が読めます。
上の画像は、三式空六号電探を改良して小型機用
に大量生産が図られた十九試空一号電探です。
ピンクの○に→を付けている部分が同じ電圧計です。


電流計
上の十九試空一号電探の電圧計の横にある電流計
と同じものです。画像ではっきり見えませんが右横に
海軍を示す錨の刻印があります。また下に示す各種
海軍機用通信機等に○の矢印部分で使用されて
います。
左が三式空一号無線電話器用較正器
右は三式空一号無線電話機管制器
三式空一号無線電信機改三
一式空三号隊内無線電話機




こちらも海軍の航空用の電流計です。


電圧計です。
三式空六号電探四型改二送信機


電流計です。
こちらも昭和20年製の電流計です。







海軍で使用した真空管




製造者のマツダ、型番のUY76A
の記載があります。







海軍機のスイッチ類




零戦や零式輸送機などで使用されたスイッチです。




展示台を拵えてもらしました。拘りの展示台も、名古屋
で出た戦後米びつに生まれ代わっていた、航空機材料
で作成して下さりました。SDCHと戦時中のスタンプが
ありますが、超ジュラルミンの略で曲げ加工をする所に
使用される焼き入れ前の物との事です。ちなみに
SDCRは、曲げ加工無しの所だそうです。
一例ですが、左右が零戦の脚庫の部材でスタンプ
の上に青竹色が塗られている物です。










海軍航空機用 充電用発電機二型




昭和18年4月、三菱電機(株)、充電用発電機
二型と銘板にあります。海軍マークもあります。
多分、ダイナモでしょう。充電用のダイナモと言う事は、
通常のダイナモも有ったのかどうかは、判りません。繋
がっている下の方に発電機側とありますが、その横に
何か記載されていたようですが難読です。これが一種の
コンバーターとなって黒と赤の配線がありますので+と
−でバッテリーに接続され充電されたのかもしれません。







陸軍 一〇〇式四号機上蓄電池
         (航空機用のバッテリー)








24V、2Aの一〇〇式四号機上蓄電池です。陸軍の
戦闘機などの小型機用と思われます。12cm×26
cm、高さ16cmの大きさです。軽量かつコンパクト
で今の普通車用のバッテリーより小さ目です。バイ
ク用のバッテリーよりかなり大き目です。軽自動車
と普通車(1600〜2000cc)の中間位でしょうか。
当時の技術の高さに今更ながら驚かされます。




陸軍の星章が刻印されています。



上下の画像のように三式戦”飛燕”と
五式戦で使用されていた事が判りま
す。時期的に四式戦”疾風”などにも
使われていた可能性も高いと考えます。







陸軍 一〇〇式二号機上蓄電池
         (航空機用のバッテリー)




上の四号の三分の二位の大きさですが、重量が
あります。取っ手は片側欠損しキャップはありま
せん。四号に比べると状態が悪いです。
蓄電池上部の鉛部に、”GS”の刻印があります。現在は
合併しGS YUASA(株)になりましたが、旧 日本電池(株
)です。このマークは、タイヤメーカーのBSマークと同じで、
創業者島津源蔵の名から、1908年より”GS”の記号を使
ってたようです。







航空機搭載用の三號二次電器十八型四連
 (横須賀海軍工廠造兵部製造 昭和十年)
          所謂、二次電池(バッテリー)




航空機内に持ち込めるように作られた小さなサイズの
バッテリーのようです。大型機などの機内で無線機・
送受信機などの電源として使われた物と推測します。
サイズ:縦13cm横13.1cm高さ21.5cmです。


この小さなバッテリーでは大東亜戦争以降の大型機の無線などの
電装系を長く維持するのは無理だと思われます。無線搭載の初期
に使われたか、予備電源で搭載したもので自動車同様にエンジン
にダイナモをつけて発電し機内のバッテリーに充電し使った筈だと
考えます。







気圧高度計(柳製作所製)






珍しい気圧高度計です。機内取付タイプでなく
飛行時計のように首からぶら下げるタイプのよ
うです。以下は海軍で使われた同じ柳製作所
の高度計です。
昭和5年ごろまで使われたハンザ機
(水上機)のものです。







陸軍 八八式偵察機(川崎KDA−2)の油量計




昭和3年2月11日の紀元節に八八式名で正式採用された
川崎航空機の八八式偵察機の油量計です。文字盤に
油量計、蛍光灯が写っていますが、ここに八八式偵察機
470立用 単位=? 昭和6年7月製 237号 と文字盤
に入っています。


昭和6年7月、田中製作所の銘板が付いています。







海軍の艦艇用の電圧計





横河電気製作所の昭和18年10月製造が
読めます。制式6号MO-25型となってい
ます。







陸軍 二式二型羅針盤




陸軍の九九式双軽や九七式重爆撃機
などに搭載されていた羅針盤です。
東京航空計器製造、製造年月の打刻は
読めません。製造番号:93866
表カバー部分が有りません。コンパスのリキッド(液体)
は入っていませんが、コンパスの針回転して問題ありま
せん。経年の劣化による塗装のはがれがありますが、
かなりきれいな状態と言えます。

上の画像は、本来の表のカバー
がある二式ニ型羅針盤です。



こちらもまた陸軍機に搭載された二号二型羅針盤です。
中の液体が完全に抜け、また上面の縁にかぶさるカバー
等がなくなっていますが、磁針はまだ機能しています。






銘板の製造番号は、97209です。







陸軍 一号航空羅針盤(前期型)








中央の銘板が外されています。頭頂部の銘板には、
一号羅針盤昭和11年10月製とシリアルナンバーがあ
ります。他に側面に特許番号などがあります。勘違い
しておりましたが、元々は、黒塗装だったようです。
戦後、磨きを掛けて真鍮の地の色を出した模様です
。この一号羅針盤の使用機種は、九一式戦、九五式
中練3型、九七式重爆1型、九八式直協機、九九式
高練、百式輸送機なのだそうです。







陸軍 一号航空羅針盤(後期型)




九五式中練(赤とんぼ)、九七式重爆撃機などに搭載
されていた羅針盤です。ペイントはオリジナルのまま
でメタリックなオレンジ色(赤?)です。これらの計器は
、一般的には、半艶消の黒が主体の筈ですが、これは
九五式中練(赤とんぼ)の物と思われます。
東京航空計器製造のようですがTFKのマークが
ちょっと違います。製造年月の打刻は、昭和13年
12月、第5223号です。敗戦後にGIがアメリカに持
ち帰った里帰り品です。コンパスのリキッドが入った
ままで、本体、盤面共に大変に美しい品です。
ガラスの傷は点のような物が、僅かに見られます。
コンパスの針の傷みは、無く、ゆっくりときれいに
回転します。







陸軍 一号航空機羅針盤(後期型)






航空機の位置を確認するのに最も重要な計器の
ひとつです。ロケット戦闘機”秋水”では、射撃照
準器の隣についていました九七式重爆では、操
縦士と副操縦士の席中間の風防ガラスの手前に
置いてありました。台座のスプリングは、可動し、
羅針盤の中のオイルも完全です。羅針盤を照らす
ランプ欠品しています。米国からの里帰り品のよう
です。アメリカ兵が無理にはずそうとしたのでしょう
。台座1箇所亀裂があります。
銘板には、羅針盤1号 第6073号 
昭和14年2月 陸軍の星刻印があ
ります。
海軍航空機の同型の航空羅針儀です。
海軍では九二式航空羅針儀一型やニ型
の名称で言われていました。上の左が
一型で横河電気製作所の物で九六式艦
戦に搭載されいました。真中は、ニ型でメ
ーカーは、同じ横河電気製作所です。
九六式艦戦や零戦一一型に搭載されまし
た。右も横河電気製作所のニ型の後期の
ものです。こちらは、零戦全型、月光〜
二式大艇〜桜花まで幅広い機首に搭載
されました。







陸軍の計器類




日新電機製のシリンダー温度計


島津製作所製の電流計


東洋計器(株)の電流系、昭和19年製。







陸軍 九八式航空羅針盤 乙




陸軍の百式司偵や九九双軽などに
使用された航空羅針儀です。海軍で
謂う零式航空羅針儀二型と同じもの
です。
コンパス液が無く、チャンバー室
の裏蓋の締付けネジが2本折れ
ています。







陸軍 九八式航空羅針盤 甲




陸軍の一式戦”隼”や三式戦”飛燕”、四式戦”疾風”
などの主用戦闘機に使用された航空羅針盤です。
ダンパー液がなく、コンパスの夜光文字が
発光しません。また一本小さなネジがあり
ません。総じて程度は、良好です。 











出所の同じ陸軍機の各種 航空計器類




同一の家から出た大量の航空計器類から何点かを
入手しました。様々なレベルの程度の計器があった
ので陸軍航空関係の方のお宅との事でしたが、搭乗
員とかでなく技術畑の方だった気がします。明らかに
銃弾を浴びた計器から水没した模様の計器まで状況
が各々違うのが判る物が多種見受けられました。
この二点は、九八式遠方回転計と遠方回転計発電機
です。九八式同調計の方は、側面に銃弾で開いたと
思われる穴があります。






ともに三菱電機(株)の製品です。




こちらは、速力計四型と油圧計一型です。
油圧計一型の方は、明らかに水没したようです。
墜落機からの取り外し計器の様に思われます。
昭和7年に制定された小型の油圧計
一型です。


昭和7年に一号速力計四型として制定されました。
昭和14年に速度計四型となり、昭和16年に廃止
されました。九三式中練など主に練習機に使われ
ました。海軍では、零式初歩水上練習機や九〇式
水上初歩練習機などに装備されていました。


燃料計ニ型、九〇式用とあります。
陸軍機でなく海軍機の中島90式艦
上戦闘機や90式水偵の燃料計と
思われます。


田中製作所、昭和8年7月製造の銘板です。


陸軍 九五式高度計
柳製作所の高度計です。海軍の単座機
に主に装備された中型の高度計三型と
同じもので陸軍バージョンだと思います。






九四式油量計です。






昭和14年3月製、品川製作所の銘板が付いています。






上記一連の品と違う計器一点。



陸軍 百式遠方回転計用発電機です。
三式戦”飛燕”や四式戦”疾風”の計器盤につけ
られていた発電機です。横河電機製作所が製造
したもので、銘板に”R401395”の製造番号が刻
印されています。現在、GEと合併してGE横河メデ
ィカルは、様々な医療用モニターや電子機器を製
造・販売していて有名です。








九八式速度計




九五式ニ型昇降計






一四式二型回転計






九八式人工水平儀






九七式高度計




九六式速度計です。






気筒温度計です。1,2の切替がありますので
双発機用という事だと思われます。




各種電源の切替スイッチです。




二式排気温度計です。こちらも左右の切替
がありますので双発機用と思われます。




陸軍の前後傾斜計です。赤とんぼや剣などに搭載されました。
入手前にガラスが割れていたのでアクリルで代用されてます。


陸軍の人工指向器です。
このタイプは、百式輸送機などで使用されました。銘板が欠です。







その他の計器類














海軍 二号精密機械油(航空計器潤滑用)



錨のマークの無い小瓶は、グリーンがかった
ガラス瓶。もう一方は、透明のガラス瓶で裏
側に錨マークと精密機械油の浮き出し文字が
あります。口はコルク栓の上に樹脂にてコーテ
ィングしてあります。







海軍航空隊の資料























海軍 風速計改一




海軍の風速計改一です。正面に日本計器製造株式会社
 昭和20年2月製No.713、地上風速15°760o 米/秒 
とあります。

民間の気象測候所や飛行場で風速計として写真の半円球が
2個タイプ(二杯式)のものがよく使われておりました。基本は
英国のロビンソン式風速計です。海軍では航空機用に半円球
を4個(四杯式)にして風速52mまで計測できるようにメーター
に刻まれています。従って時速に換算すると312q/hまで計測
できる事になります。このタイプの風速計では高々度になると
空気密度などの影響を受けて誤差が出るようですが、影響を
受けない限界は高度500m位までとされています。勿論、当時
既に多くの航空機がピトー管式で速度を計測できるようになっ
ていましたので…これ等を機上で使う事は殆ど無かったと思い
ます。多くは潜水艦などが浮上時の気象観測などに用いたりさ
れたものです。

以下はヤフオクなどで売買された風速計改一の画像です。






当サイトに米国から質問で届いた画像です。
珍しく日本計器でなく田中計器の製造だった
ので掲載しました。












陸軍気象隊(気象部)で
  使用されたと思われる温湿記録計




温度湿度の自動記録機です。「三科」「二号」文字が読み取れます。陸軍気象隊
が使用したと思われます。23センチ×22センチ×10センチの大きさです。







陸軍気球聯隊で使用されたと
       思われる気球用高度計




陸軍の気球聯隊で使われたと思われる気球用光度計です。
航空計器で御馴染みの柳製作所の製品です。
上部に吊り下げるリングが付いていますが、内側のナットが
外れて、中でカラカラいっています。直径13.5センチ、厚さ
5.5センチです。







多くの海軍機に使用された田中計器(株)の
  一号給入圧力計三型 珍しい元箱つきです。




製造年月日か工場から出荷した年月日でしょうか珍しい
オリジナルの元箱に昭和18年5月16日が捺されています。
未使用のデットストックだったようで非常に綺麗な状態の
ブースト計です。航空計器はよく出て参りますが、大体は
計器盤からの取り外し品だったりと海軍へ出荷した当時の
元箱が残るのは非常に珍しく希少と思われます。
田中計器の一号給入圧力計三型は多くの海軍機で採用されており
零戦五四(六四)型、彩雲、晴嵐、二式大艇、雷電、強風、紫電、
紫電改、烈風、陣風、天山、流星、瑞雲、白菊、藤花、大型機では
九六式陸攻、一式陸攻などに搭載され使用されました。
ブースト計はシリンダーに供給される混合気の圧力を表します。
製造されてから70年以上経過しても…1983年モデルの私の愛
機・CB1100FDのメーターよりも綺麗で美しいので不思議な感じ
を受けます。





シリアルNo.300323、海軍の刻印に豊川海軍工廠の
検定印が銘板にくっきりと見えます。










陸軍 軍用腕時計






陸軍将校が使用した軍用腕時計です。
精工舎precisionとなっています。










陸軍 巡回時計



時計の精度が芳しくなかった当時、各施設
などの時計の時間を一定にするため、この
ような精度の高い時計を使用し、当番が其
々の時計を、この巡回時計の時間に合わ
せ一定に保っておりました。
この上下の画像の巡回時計は、初めに紹介した
画像の巡回時計とは、別の物です。
K.HATTORI.CO GINZA、57-1154の刻印
があります。側面のカギ・上部の金具が欠品して
いますが、時計は快調に動いています。







空挺部隊のコンパス




コンパス@


陸軍 九三式夜光羅針(コンパス)です。通常、空挺
隊員の標準装備品です。回転ベゼルにより文字盤も
回ります。横にレバーがあるが機能不明です。また
末期までに大体三種類位のコンパスがあったそうで
す。以下のコンパスもその中の一種類です。


九二式夜行羅針(コンパス)です。腕時計型の
バンドが付く部分が壊れています



コンパスA





















海軍の懐中電灯













海軍の電球




海軍の電球です。錨とテイコク、丸に
トのマークが入っています。







陸軍 乗馬章










乙種第二号・乗馬章です。馬の額に
付ける物だそうです。
勲功章を受けた軍馬







横須賀海軍工廠製の海軍双眼鏡




珍しい横須賀工廠製の双眼鏡です。豊川製は良く
ありますが横須賀工廠製は、珍しい物と思います。
双眼鏡のケースも軍艦色の物では、無く…カーキ
色です。初めから陸戦隊用に作られたのかも知れ
ません。双眼鏡の目当て部の一部もカーキ色です。













陸軍 下士官用官給品の双眼鏡




双眼鏡には"IKK・NO52282・","6x9,3"と
あります。レンズの曇り・カビ等は無く、色付フィ
ルター(色ガラス)が付いてます。ケースに”昭
十六・△・東”のスタンプが有ります。中々の美
品です。