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旧軍関連・戦前資料収載品
 (軍装品...etc) Part V



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その他、軍帽・鉄帽・軍刀・短剣
        銃剣・無可動実銃…etc






海軍車輌前章







海軍下士官軍帽      海軍三種略帽(士官用)と兵用
    陸軍九〇式鉄兜と略帽に帽垂

各種軍帽…陸軍飛行帽に航空眼鏡、
陸軍戦車兵軍帽に防塵眼鏡…等々。
飛行手袋(冬用と夏用)

陸軍三式軍刀(上)・海軍々刀(下)       海軍士官短剣



偽装網装着鉄兜
と略帽各種
旧型海軍予備士官軍帽
こちらも予備士官旧型軍帽

海軍水兵帽 陸軍九八式防暑帽 陸軍戦闘帽(帽垂付)
    将校用
陸軍近衛将校用軍帽 海軍士官用軍帽 陸軍鉄兜(覆いと
    偽装網付)
陸軍作業帽     陸軍将校用略帽(帽垂付) 陸軍兵用防寒帽
海軍士官軍帽
(覆いは、陸戦隊用)
陸軍90式鉄帽
と兵用略帽(偽装網)
陸軍将校用 戦闘帽

陸軍戦闘帽(将校用)
      帽垂付き
陸軍戦闘帽(将校用)
      帽垂付き

とある軍医さんの軍帽です。


陸軍准尉 正帽 陸軍中尉正帽 陸軍大尉正帽

陸軍飛行帽(冬)
     航空眼鏡
陸軍飛行帽(夏)
     航空眼鏡
陸軍戦車兵 軍帽
 (夏用)防塵眼鏡

陸軍航空帽(冬) 航空眼鏡 海軍航空帽(冬) 航空眼鏡

陸軍航空帽(夏)
       航空眼鏡
海軍一種士官用略帽 海軍防寒帽




海軍 防寒帽




上にある白黒画像の防寒帽と同じものです。
こちらの防寒帽は、下の防寒帽と違い帽章があります。


上にある白黒の画像の防寒帽は、帽章ともに完全品ですが、この防寒帽は、戦後も
使用されたのか、惜しい事に台座だけで帽章が取り外されています。



こちらの海軍防寒帽も虫食いなど無い美品です。
昭和十四年十二月、呉軍需部の貸与品




陸軍 防寒帽




昭和19年本廠検定、中号の中々の美品です。



こちらも中々の美品です。内帽があるので内部が汚れていません。
本体、内帽共に昭和12年広支検定、中号です。


本廠検定、大号、昭和八年製の防寒帽です。


満鉄の防寒帽




状態の良い…陸軍の防寒帽(大号)です。




昭和18年、本廠検定の大号です。北海道出身の私には南方の防暑服
より防寒服やこの防寒帽などの方が親近感を覚えます。














海軍下士官 三種略帽            海軍兵用 三種略帽

陸軍45式兵下士官用軍帽
      (憲兵科)

海軍三種下士官用略帽 海軍兵用略帽(帽章欠)

陸軍 軍属制帽 海軍 軍属判任官軍帽 海軍 機関科士官軍帽

海軍二種士官用略帽 珍しい戦闘帽…三式の袖線が一本入れてあります。
将校用…尉官用でしょうか。
右上の画像の面白い略帽ですが…良く考えますと規定で「略帽(戦闘帽)ノ星章ハ
黄絨マタハ黄布ニ限リ金属製ハ 軍帽ニ限ル」と有ります。従って趣味家が作り出した
フアンタージと思われます。それにしても…面白い物ですね。



海軍 軍属略帽一種


海軍航空隊初期型飛行帽(レプリカ)
レプリカの軍医の軍帽
こちらもレプリカの水兵帽です。前帽章は大和です。
呉の高田帽子店謹製の水兵帽です。復刻品ですが
海軍御用達で海軍の軍帽を手広く手がけており連合
艦隊司令長官で有名な山本五十六元帥の軍帽も作
られたようです。今も海自の特約店をされています。







海軍 軍医の軍帽




上のレプリカと全然変わらないほど極美品
の実物・軍医の旧型軍帽です。
箱と軍帽内部に所持者だった軍医の名前
があります。識別線もきれいです。内部に
少し黴があります。
竹之内の名前が刺繍されています。
衛生科識別線の赤も退色無く極美品です。



別の軍医の軍帽












海軍 航空科特務士官の軍帽




航空特務士官だった方の軍帽です。
江田の名前があります。
航空科識別線の青が判ります。







海軍 機関科士官の軍帽






小田中 精一郎 海軍機関大佐の軍帽です。
機関科識別線の紫に退色は、ありませんが庇の皮に痛みがあります。







海軍 主計科士官の軍帽




海軍士官主計軍帽です。帽の箱に(叔父さん)とあります。
思い入れがあるのでしょう。痛んだ帽子を手直ししている
ようです。汗取りは。取れかかっていましたが縫い付けて
補修してあります。軍帽の庇部分が塗りなおしの様に思わ
れます。また帽の内布に記名が入っていませんので、取り
替えられているものと思われます。その他の外部は、総じて
きれいです。帽章も識別線もきれいです。









海軍 軍属(高等官・判任官一等) 軍帽




海軍の士官軍帽は、予備士官を含めて20個以上は
所持していますが軍属のしかも高等官の軍帽は、こ
の品を含めて4つしか持っていません。余り残存数
が多くない物かと思います。







珍しい海軍監獄(海軍刑務所) 看守の軍帽




珍しい海軍刑務所の看守の軍帽です。海軍監獄は、
懲役禁固または、拘留の執行を受ける海軍々人・軍
属・海軍々籍にある学生生徒、死刑の宣告を受けた
者、刑事被告人を拘禁する場所となっています。
海軍監獄は、大正12年に海軍刑務所と名
称を変えました。占領地にも特設刑務所がありました
。昭和20年の改正までは、監獄官吏は、奏任官の海
軍監獄長、判任官の監獄書記と看守長、判任官待遇
の看守で構成されておりましたが、昭和20年の改正
後は、海軍法務科の軍人となり武官の階級名となり
ました。恐らくこの帽章は、大正3年制の帽章と大き
く違いますので、昭和20年の改正後から敗戦までの
ごく短い間に使用された軍帽と想像します。
この軍帽は、海軍監獄長または、看守長など
高等官(奏任官以上)・判任官一等以上の方
のものとなります。



別の海軍監獄看守の帽章や襟章等




こちらもかなりレアな海軍監獄看守の前帽章
です。上の監獄看守の前章が判任官一等以
上・高等官(奏任官以上)の准士官・士官待
遇の軍帽であるの対してこの前帽章は、班任
官二等以下即ち下士官待遇の方の帽章とな
ります。以下にある海軍文官の帽章及び襟章
は、昭和17年1月の改正以降使用された軍属
前帽章と判任官二等(曹長待遇)の襟章とな
ります。


この所持者だった監獄看守の方は、元々は陸軍曹長
だった方でした。軍縮により陸軍を辞めざるおう得ず、
次に就職したのが海軍監獄の看守の仕事だったとよ
うです。丁度、准士官待遇手前の判任官二等です。


こちらも監獄看守の前帽章です。こちらも
高等官や判任官一等以上のものです。







陸軍中佐
大礼服用正帽
陸軍 将校用戦闘帽


木村陸軍大佐の正帽です。
顎紐の固着で庇が痛んでいます。この時に
交換したのでしょう。惜しい事に顎紐は、別
の物に交換されてオリジナルでありません。


海軍予備士官軍帽
(旧型コンパス)
海軍下士官軍帽
(改正後の帽章)
海軍機関科予備士官
軍帽(旧型コンパス)
機関科識別線



海軍防暑帽 海軍鉄兜(偽装網)・兵用略帽
 (ライナー等は、複製品)



陸軍将校用 
   各種防暑帽
陸軍軍帽各種
(兵・下士官用/将校用)


左は陸軍軍属の軍帽、右は海軍の旧型下士官軍帽




陸軍航空隊 飛行帽(夏用)
陸軍航空隊 飛行帽(冬用)
 と航空兵用の遮光眼鏡



ありし日の軍神・加藤
建夫陸軍少将です。こ
の画像は、昭和初期の
ものと思いますが、この
眼鏡と同じタイプです。

初期型の航空眼鏡


陸軍航空隊 飛行帽(冬)


昭和18年、大支検定、中号の陸軍航空隊飛行帽(冬)ですが
保存状態が悪く、内側の毛の脱落が多いです。外側は、保革
オイルの使用でかなり状態が回復しました。(画像は、手入れ
をする前の状態です。)



海軍航空隊 飛行帽冬用(初期) 






高島屋製の初期冬用の飛行帽です。毛皮に劣化無く、
抜け毛現象もない美品。


複葉機時代の操縦席が外気にさらされていた頃のものかと思われる上質な皮製で、中に綿
が入った飛行帽です。










福井陸軍航空少尉が使用した青木製の航空眼鏡




福井少尉は陸軍に入隊前は、逓信省航空局米子航空乗員養成所の教官を
しておりました。



深澤航空光機製(旧青木光機工業)の海軍飛行眼鏡






希少な元箱とウエス付きです。左右のレンズに小さなカケと
ベルト取付け部分のネジ部品に欠品ありますが美品です。



海軍 航空眼鏡乙(夏用)




夏用の乙です。冬の甲は、顔面覆があるのが特徴。アルミ製フレームは
共通です。昭和9〜14年が最も良く使われておりましたが大東亜戦争で
も18年頃の写真でも使用を認めますので長く使われていたようです。(モ
デルにした飛行帽は、複製品のものです。)







海軍 鷹の目眼鏡(防寒)








大変珍しいタイプの鷹の目眼鏡です。写真に写っている眼鏡の上部のスイッチ
を回すと、換気口のように蓋が開きます。回りの毛も皮も状態は極美で、デッド
ストック品と思われます。ゴムの伸びなどもなく、また、ゴムの基部メッキハゲも
ありません。眼鏡に曇りはありませんが、ガラスフチ部接着剤の気泡が少し出来
ています。

上記の良く見かける初期の甲タイプでは、無く機構的にもダイヤル式開窓式換気など斬新な新しい技術があり、先の大戦中の物と思われます。









海軍航空隊のアルマイト色の航空眼鏡



第二精工舎製の航空眼鏡(未使用クラス)




箱にかなりの傷みがありますが、中身の航空眼鏡は、未使用の
デットストックのような状態です。合わせレンズの中の飛散防止
の濁りも無く、ゴム紐ベルトも生きています。



山本製の海軍飛行眼鏡















海軍 大戦初期型の飛行帽と航空眼鏡




非常に状態の良い海軍航空隊の初期型飛行帽です。輸入品
と思われる当時のゴーグルも一緒にありました。
帽子後ろの眼鏡ベルト固定用の革が見た目では解りませんが
片方切れています。また、ゴーグルのレンズがガラスでなくプラ
スチックに替えられているようです。






各種 海軍の大戦初期型航空帽











陸軍空挺部隊 降下鉄帽レプリカ
    (50個限定復元生産)










20〜30年前、中田商店が実物鉄帽の庇をカットして、布類は全て実物を使用して、
落下傘部隊降下鉄帽を復元しました。鉄帽の庇を六研の六人部氏に依頼しましたが
、クロームモリブデン鋼は硬く、六人部氏をして「これ以上はちょっと」といわれたほど
加工が大変であったそうです。布は当時の実物の布を使用して、ライナー部は圧搾
綿布を復元したイメージのようです。全てハンドメイドで作っています。「日軍納」とい
う刻印があります。この印を使った方は、布製の94式拳銃ホルスターなど、実物と見
分けが付かない「復元軍装品」を作っていたと聞きます。







海軍空挺部隊 降下鉄帽レプリカ




中田商店 謹製の複製品です。







陸軍 軍属の軍帽




陸軍軍属の軍帽

こちらは、別の陸軍軍属の軍帽です。







海軍水兵帽













海軍水兵帽(明治四〇年製 旧タイプ)




改正後ペンネントの末端の錨マークのリボンの長さが短く折り畳んで使用していた為
折り目が切れていました。折畳だリボンを元の姿に戻し、切れ目を裏打ちして有ります。
旧タイプと改正後の違いはリボンの長さ約60oです。


明治40年10月製、横須賀衣糧科となっています。
ぺンネントは、”横須賀海兵団”







海軍 下士官(改正前:旧型)軍帽















海軍 下士官(改正後:新型)軍帽















海軍 略帽(一種〜三種):艦内帽




海軍下士官用一種略帽



記名布には、坪井の判が捺さ
れています。



海軍士官三種略帽



海軍 三種 士官用 略帽
サイズ中号で薄く原の名前
が残っています。



海軍士官二種略帽




海軍下士官一種・三種略帽

同一人物所持の海軍 下士官一種略帽と三種略帽です。


一種には、記名・スタンプありませんが三種の方には、
舞鶴軍需部、(二)十九年三月の押印あります。






海軍士官三種略帽

かなり退色しています。菱形片布に星野の記名が残っています。



非常に状態の良い三種戦闘帽です。この略帽
はマリアナ沖海戦を戦った空母”準鷹”艦長で
後に戦艦”長門”艦長も歴任した渋谷清見少将
のものです。内部に渋谷閣下の名前があります
。昭和19年第二衣療廠です。
長門の艦長を降りられて敗戦までの3ヶ月は長崎県
大村にあった第三特攻戦隊の司令官を勤められて
おりました。この略帽を被られておったものと想像し
ます。この第三特攻戦隊は、その戦力の全てが特攻
艇”震洋”による部隊です。即ち水上特攻部隊の司令
官として大村に赴任されております。本土決戦に向け
て悲壮な覚悟をなされていたものと想われます。



海軍士官一種略帽

金田 航空予備中尉と言う方の略帽です。
裏地は外されております。通常の一種は、綿布製が多いですが
こちらは、黒絨製です。


裏面縁革(正面)の縁革裏にスタンプ有りますが、難読です。



海軍兵用一種略帽






海軍兵用二種略帽






海軍兵用三種略帽



昭和19年、3号 上海海軍衣料廠 新民納









海軍兵学校生徒の体操帽




海軍兵学校の体操帽(5級)


こちらは細線二本、4級の体操帽です。







陸軍 兵・下士官用 戦闘帽(略帽)




標記スタンプありますが、難読。







陸軍 兵・下士官用 戦闘帽(略帽)




濃緑色の現存数が少ない戦闘帽です。昭和18年製、本廠検定、新井納、
大号です。未使用品のようです。帽垂の取付用の糸掛があります。









中田商店謹製の複製品 兵・下士官用試制略帽




10年以上前に発売された品のようです。満州の独立守備隊で
使用されていた試作略帽をモデル化したものです。実物の昭五
式軍衣頃の生地使用しています。







海軍士官 防暑帽







"TROPICAL・HELMET・REGISTERED"、”波兎印”。本体は、コルク製の美品です。
内部に名前を消した痕跡があります。







陸軍防暑帽





保存状態が悪いものです。


昭和19年、大支検定、大号。記名布に使用者の名前が残っています。
星章はありません。内部に直しがあります。全体に状態の良い物です。







海軍陸戦隊の略帽




帽章は欠。オークションにて霜田という海軍士官の品々と一緒に出品されて
いました。海軍陸戦隊の略帽と思われます。


陸戦隊略帽用の帽章です。中々、手に入らない
一品です。







海軍士官一種略帽(艦内帽)







海軍士官用 艦内帽



金具等に錆がありますが
記名なく保存状態も良い
方だと思います。









海軍 機関兵の作業帽
      (通称:あんぱん帽)




この少々、不恰好な作業帽は、アルバム写真では何度か
目にする事は、ありましたが…中々、実物を手にする事は
、適いませんでした。今回、縁あって入手する事が出来ま
した。一般には艦船の機関室や罐室・発電機室の機関科
の兵や水上機を含む航空作業員に大正14年から貸与さ
れました。昭和4年からは、鍛冶作業と炊事作業の主計科
下士官・兵にも貸与され、翌5年に木工場、7年からは、
潜水艦乗組の下士官・兵にも貸与されました。殆どの艦で
撃沈される時に…まず助からないのが艦の最低部に位置
する機関室・罐室や発電室です。また艦上で戦う戦闘員の
下士官兵と違い、炊事を担当し艦内部に籠る主計兵兵等も
いざ戦闘で撃沈される時は、艦と運命を共にするケースが
多かったようです。潜水艦などは、まず助かりません。多く
が海底に御遺体とともに一緒に眠る事が多く一般の一種・
二種・三種略帽と違い出回る事が少ないのだと思われます。
通常、機関兵は、煙管服にこの略帽を被り
作業していました。この帽は、下士官なの
で黒一線が入っています。
記名布は、剥ぎ取られています。
内部に山本一機曹と記載があり
ます。







海軍の鉄帽






黄色の錨ペイント式海軍鉄帽の実物です。惜しい事に顎紐は、当時のままですが
内張りがありません。塗装の残りは、4割ほどです。それでも希少な塗装式の錨が
ついています。前の持ち主の方は、真面目に再生しようとしていたようで内張りを
付ける為に金具を調達していたみたいです。リベット金具の足の曲がってない物は
中々ありません。因みに良く錨のマークを後付けした鉄帽が出てきますが…海軍は
大体ペイントです。黄色いペンキでステンシルを使用し描かれています。



こちらは、インナーも完全な海軍鉄帽です。








錨がペイント塗装された海軍の鉄帽です。前章のマーク・海軍の鉄帽の前章は帽体
の塗装を海軍の着装体はヘットバンドに3枚の豚革と2本の顎紐からなってます。3枚
の豚革は”ハンモック”と呼ばれますが、この裏には衝撃止めのクッションが付いてま
す。着装体は顎紐と一緒に帽体に3箇所リング留めされています。この鉄帽は、ハン
モック結びの紐もオリジナルです。所有者名・ハンモックの1枚に所有者名が残ってま
す。”三高”と有るは、艦上に設置されてる飛行機を射撃する”高角砲”の担当する”第
三高角砲”を意味するものと考えます。『小水留(卓)』と書かれております。陸軍も含
め鉄帽に所有者の名が残っているのは珍しいようです。陸軍鉄帽との比較で画像を出
しました。右に有りますのが陸軍使用の実物です。海軍の鉄帽であると前章に金属(真
鍮)製の錨マークを付けても陸軍と海軍の塗装の色が違います。右の陸軍の鉄帽には
内面の庇部に”大”の字が刻印されていますが、海軍の方は見えません。恐らく塗装下
になったのかも知れませんが、この鉄帽の大きさと右の陸軍のと大きさは同じです。帽
体の大きさを計測すると楕円形の長い方は28cm、短い方は23cmです。着装体の内周
を計測しますと、64cm有り、かなり大きいです。”大号”は間違い有りません。数の少な
い物でしょう。







海軍の鉄帽















海軍鉄帽




こちらは、上のとは違う鉄帽です。
外の塗装は、塗り直しです。中は、オリジナルのままのようです。
帽章は、微妙ですが複製品のような感じです。







海軍 鉄帽覆








この鉄帽覆は、”中号”位の大きさと思われます。状態良好・虫食い・痛み
等ありません。海軍の鉄帽覆は、海軍鉄帽よりずっと少ない物で希少です。

性質の悪い軍装店やプロ・セミプロが昔、贋作をたくさん作り、本物として高
く売りさばいた品が出回る事が良くあります。そうした贋作に対する注意点と
して以下にポイントをあげます



上記画像にあるように裏地の星(しみ)や帽章が決め手になります。この
他にもスタンプはあまりに細い字で鮮明な物は、贋作の可能性が大きい
です。また、紐ですが…時代がこれ位あると覆自体となじみが出てきます。
贋作も物によっては、30年以上前に製作された物の可能性がありますの
で注意が必要となります。また最近では、大量に出た三種兵用略帽の帽
章を使い作成した鉄帽覆がありました。記名布なども良く単体で出ている
第二衣糧廠などのものを使っているようです。そうしたものは、上記のよう
な手のこんだものでありませんので比較的に簡単に見分ける事が可能と
思います。







陸軍 九〇式鉄帽




昭和19年製、大号。内部は、多脂豚革製。
星章やリベット、顎紐や内装を調節する
丸打紐含めすべてオリジナル。
塗装は、上半分が剥げ落ち錆びていますが、下半分と内側は
ほぼ残っていますので60%位でしょうか。



昭和15年製、小号。塗装もほぼ完璧に残っています。顎紐も
リングも欠品無く、ライナーのクッションも3個共あり良い状態
の九〇式鉄帽です。
手持ちの偽装網を被せてみました。







陸軍 鉄帽覆




陸軍の鉄帽覆の実物です。サイズは、大号。


陸軍の鉄帽に偽装網とイメージで合わせて見ました。



新品・複製品の陸軍鉄帽覆




中田商店の製作のものです。


上の帽垂と下の歩兵科の鍬型も中田商店謹製の複製品です。







陸軍 九〇式鉄帽











陸軍 九〇式鉄帽用 偽装網




三色の迷彩タイプで未使用品です。







青年学校の制帽















防空監視所用鉄帽








帽章は桜に双発の飛行機のデザインで、防空監視所の
制服のボタンにも同様のデザインが使われています。







防空警防団の鉄帽(国防色の刺子頭巾付)




大東亜戦争時の防空警防団の鉄帽です。鉄帽本体の着装帯(内装)と顎紐も有ります。
空襲時には、国防色の刺子の頭巾を取り付けます( 眼の部分のみ開けられている)、そ
れ自体にも着装帯が有り紐も付いてます。鉄帽の前章は警察マークです。頭頂に六個の
空気抜き穴が有ります。

鉄帽本体に”堀警 564”のスタンプ有り。防空頭巾には”大伝馬町1丁目町会・第二十号”
と書かれた片布が付いてます。現在の東京都中央区大伝馬町に当るのでしょうか。このよう
な完全な状態で残っているのは、非常に珍しいと思います。







警防団の防火帽















陸軍 近衛将校 軍帽




虫食いや痛み等が殆ど有りません。状態良い未使用品と思われる軍帽です。
近衛帽章は、分離式のタイプです。記名無く頭のサイズは、約55cmです。


将官から佐官、尉官、准士官までの立襟時代の近衛将校団です。







近衛兵(兵・下士官用)の軍帽(官旧品)




将校用の近衛軍帽はチェコ型だクラッシュ型だロス型だと
私物なのでよく出てまいりますが、兵・下士官用の官旧品
の近衛軍帽は中々お目にかかれません。
昭和七年製、5号、大支検定です。3名分の記名が見られます。


惜しい事に天頂部後方のカーキ生地の周囲に極小虫食い穴が数か所
見られます。その他は目庇やあご紐など革の状態が非常に良い品で
す。サイズは54cmです。








陸軍 第一種航空覆面(複製品)






航空覆面には、第一種(毛糸製)と第二種(綿製)があります。


陸軍の航空兵です。航空覆面を飛行帽の
下に着用しているのが判ります。







実物 福井陸軍航空少尉の航空覆面






福井少尉は陸軍に入隊前は、逓信省航空局米子航空乗員養成所の教官を
しておりました。







未使用の極美品の航空覆面




こちらは未使用でシミ一つ無い極美品の航空覆面(防寒頭巾)です。


実際に使用している写真







陸軍航空隊 防風面(防寒覆面)




惜しい事に右の紐の付着部が切れておりますが他は、
皮もまだ生きており良い品です。
持ち主の方は、詳細な軍歴は、不明ですが鹿児島県曽於郡の出身で
陸軍航空隊の知覧基地から恐らく特攻でしょう、飛び立って二度と帰る
事が無かったと存命の弟さんが申しておりました。
検定印等、薄れて難読ですが昭和12年、小号が
かろうじて読めます。







陸軍 作業帽(第二種作業衣袴用)




この作業帽は、陸軍の航空整備兵の方が使われた物のとの事です。









〜陸軍 戦車帽 各種〜




陸軍 戦車帽(夏)


未使用品の大号、極美品です。


昭和十九年の大号、大支検定
の未使用極美品です。



陸軍 戦車帽(夏)




小号の未使用の極美品の夏用戦車帽です。
昭和19年大支検定…上の大号の戦車帽と同様、皮もしなやかな
極美品です。夏用の戦車帽は、これ等の他に二点所持しています
が、何故かどれも美品ばかりです。



陸軍 戦車帽(冬:極寒地用)




戦車帽(冬)、昭和14年製…大戦前の出来の良い戦車帽です。
この極寒地用の戦車帽は、下の通常の冬用の戦車帽に
比べて内部の毛足が非常に長く、より保温性に優れてい
るのが判ります。






陸軍 戦車帽(冬)




上とは、別の程度が悪い冬の戦車帽です。
星章が欠で顎紐が千切れています。







満州国陸軍 戦闘帽(略帽:第二種軍帽)




珍しい満州国陸軍の戦闘帽です。顎紐が無いのが最大の特徴です。
階級を示すのか濃い海老茶色(濃ワイン)の一本線が縫いこませて
あります。帽子の裏に”軍政部被服廠附業部製・HOTEN”の標記が
あります。ほぼ未使用の品だと思います。
惜しい事に、五色章(黄・黒・白・藍・紅)の白に虫食いがあります。







満州国陸軍 軍帽(第一種軍帽)の前章
            
五色星章の七宝焼)











満州国陸軍の防寒帽




満陸軍官用防寒帽です(帽章も将校用です)。
オリジナルの鼻覆いが残っています。
当時の日本陸軍将校で満州国軍の軍官に転じた方も多かった
ので、この品もそのような方が着用し、何らかの事情で内地に
持ち帰った為、現存するものと思われます。画像から判りづらい
ですが記名布に大口または、大田とうっすら墨書き注記が残っ
ています。
非常に珍しく希少な一品です。状態も非常に良いです。
立襟時代の同一人物の少尉時代と中尉時代です。中尉の右の写真
には、騎兵用のグルメットが軍刀に繋がっているのが見えます。きっ
と騎兵科だったのでしょう。良く見ると判りますが右は、満州国陸軍の
軍服姿(満陸の軍官の軍装)です。左は、日本陸軍の少尉です。日本
陸軍から満州陸軍に転じた方だと思われます。…恐らくこのような方
が軍官の防寒帽を使われたものと思います。







満州國軍官(兵・下士官用)の正帽(大礼帽)




革製で表面に痛みが見られますが、非常に珍しい品です。







朝鮮総督府制帽




非常に珍しい朝鮮総督府の制帽です。
モールドの良い旭日帽章と凝った顎革に内装の作りから
明治後期〜大正時代頃の制帽と思われます。




太い二本線から奏任官の制帽と思われます。









九六式軽機関銃(ABS製模型)






九六式軽機関銃のモデルガン。金属製で無くABS
製ですが良い雰囲気をかもしだしています。








各種 無可動実銃




国産初の制式軍用小銃となった村田十三年式小銃
の無可動実銃です。








惜しい事に溶接された槓桿の後部が完全に破壊されています。
その他は、柵状も欠品無くシリアルNo.も全て揃った品です。
無残な状態です。銃口も詰物をした
上から更に溶接を掛けているようで
念のいった処理がなされていますが
…もう少しきれいに処理をしてもよさ
そうなものと思ってしまいました。



こちらは、十八年式の村田銃です。槓桿と柵状が欠品です。
シリアルNo.150542です。十八年式は、No.72825
から151347まで約8万挺が生産されています。この
中でも最末期の生産中止に近いロットである事が判
ります。
槓桿なく内部の溶接が見えます。
御覧のように木部に焼印の跡があります。
工兵工廠の焼印のようです。一旦、工廠に
引き揚げたりされた小銃は、管理の為にこ
のように焼印を押される事があります。


十八年式は、十三年式に比べ全長が1275mmと僅かに
短くなっています(15mm)。しかしその他は、銃身長及び
全てに於いて基本構造は、同じです。改良された点は、
槓桿のストッパーを省略した点。薬室部を丸から角にした
点。薬室上部にガス抜き穴を増設した点。等々です。
村田銃は、制式小銃として装備されましたが当時の世界
レベルでもTOPクラスと言える良い小銃でありました。


三八式騎兵銃(無可動実銃)です!
オリジナルの負革の付いた美品です。
この三八式騎兵銃も綺麗に菊の御門が残っています。




これらの無可動実銃は、程度の差がありますが、菊の紋章は、
しっかりと残った物だけを集めています。




三八式は遊底覆のある物と無い物の二丁です。


皇軍の歩兵の戦闘シーンの勇姿。右は、リークを渡河する兵士。
三十年式銃剣が小銃に着剣されています。左は、支那の前線で
敵と対峙し小銃を構える皇軍兵士です。



四四式騎兵銃(初期型)の極美品の無可動実銃
ガンブルーの美しい初期型の四四式です。芸術品と言われ数が少ない
四四式の中でもこの前期型の美品は特に希少価値が高いとされていま
す。前期・中期・後期型に大別される四四式は総生産数は約10万挺と
謂われておりますが、前期・中期型が大正元年〜11年までの約5万〜
5万5千挺までとされています。銃の仕様・機能は基本的に三八式騎兵
銃と殆ど同じです。
勘違いされている方も多いようですが、銃剣が直接銃身溶接されていないで
押し釦の所だけが溶接されているのは、ロシアの折り畳み式銃剣附き小銃の
無可動銃で輸入されている加工と同じです。


銃剣を固定している金具の違いにより初期型と中・後期型とに大別されます。
この短い取り付け金具の特徴から初期型であることが良く判ります。


溶接の為、本来は180度開き突き出る銃剣部分が開かず閉じたままです。




タナカの四四式のモデルガンを持っておりますが…それはそれでよく出来た品ですが
この実銃の美しさと重量感の前には、玩具と芸術品位の違いを感じさせます。




東京・小倉工廠印があります。シリアルNo.43519の
5万挺前の初期ロッドの製品で小石川小銃製造所で
製作された銃である事が判ります。
画像ではそのままの色がでるのか不安ですが、美しいガンブルーです。
下の画像の丸印は工廠刻印の他に特に優良を示す刻印であり、この
四四式の仕上げの良さが軍用銃としては別格といわれた初期の三八式
を遙かに超えて木部・金属部分共に世界最高の品質と銃器の専門家が
絶賛し解説するような芸術性の高い軍用銃です。
よくある質の悪い無可動銃では、通関後の展示や装飾の美観を考えず無造作な
溶接など…単に通関し合法にすれば見た目など、どうでも良いというばかりの品
を見受けます。この四四式のように目立ない丁寧な溶接は軍用銃と謂うより芸術
品と謂われる本銃の美観を損ねまいとする無可動処置を施した人の深い理解を
感じさせます。
哀しい事に聞くの御紋章が削られて一部の瘢痕しか見えません。
しかし考えようによれば…この銃を敗戦まで使っていた兵隊さんが
愛用した銃を武装解除される前の最後に削った証でもあります。





また初期型の特徴として遊底、円筒は着色がなされず銃身も排莢部分は白磨
のままの凝った作りです。また下に掲載したように銃床尾に内部に柵杖を納め
るように右側の扇形の金具で開閉し出し入れが出来るようになっています。こ
れ等からこの四四式は、兵器芸術時代の代表作と謂われアメリカでもコレクタ
ーが多いと言われます。












素晴らしい事に日本の銃に良くありがちな、木部が他の国の銃と違い劣化しやすい
のですが、この銃は製造から約90年前後が経過して戦後も60有余年の経過を見て
も当時と変わらないコンデションを保っています。これは小まめに手入れをしていた
証拠です。日本の銃の木部は、木が生きていた時の水の通り道(導管)が木部の経
年の変化で共に目立ち始め木部全体が収縮し縮んでいきます。塗装しなおす時など

は、紙やすりをかけると木部は粉になって落ちるそうです。またグリスに漬けて保管
してあった銃の木部は真っ黒になります。この色といい状態といい極美品と言えると
思います。


銃口は見事に溶接で塞がれています。


通常、柵杖は二本の分解柵杖ですが分解式で5本あります。前の
オーナーさんの時からだそうで…柵杖がオリジナルか米国で作ら
れた複製品かは定かで無いとの事でした。
柵杖の収納装置と収納部分(開いた状態)







十年式信号拳銃 用の信号弾・吊星
 (緑吊星・白吊星)及び龍と謂われた
     煙弾(黒龍・黄龍)等の各種薬莢




珍しい十年式信号銃の薬莢です。近接する部隊間
及び航空機と地上間の連絡に使用されました。従っ
て地上だけでなく航空機内部からも使用発射されて
地上へ合図が送られました。このように弾薬の薬莢
底面には夜暗における弾種判別を可能とする刻印あ
ります。
信号弾は種類が思いのほか多く…龍(黄、黒)、吊り星(赤、白、緑)、
流星(赤一星、同三星、白一星、同三星、緑一星、同三星)等の種類
がありましたた。 この35mm信号弾は真鍮製の厚いしっかりしたケース
に装填されており、このケースは多分何回かリロードされたものと想像
されます。中には本品のように使い捨て厚紙を代用にした紙薬莢もあ
ったようで初めて見ました。
星に例えられた光弾は、昼夜兼用だったため、目視による選定が困難
な夜間には、接触で違いが判るように莢底には刻みが有ります。因み
に”吊星”は落下傘付の光弾で、光輝時間は約15秒、認識距離は(昼)
2500米(夜)12000米だそうで、落下傘にも光輝色と同一のものが使用
されていたそうです。
緑吊星薬莢です。


暗闇でも判る様に薬莢の尻に刻み目が付いています。


白吊星薬莢です。紙薬莢は珍しく初めて入手しました。


十年式信号拳銃の実銃を撮影した貴重な頂き物の画像です。
十年式信号拳銃は、大正10年制定。近接する部隊間及び航空機と
地上間の連絡に使用されました。外観、構造共に二十六年式拳銃を
踏襲しています。形式は、中折れ式ダブルアクション単発です。弾薬
の薬莢底面には夜暗における弾種判別を可能とする刻印あります。


       [諸元]

     口径   :35o
     装弾数 :1発
     銃身長 :120o
     全長  :208o
     重量  :1,250g
     生産数 :約8,500挺

大正10年〜昭和20年までに8500挺が製造されました。下の画像
に東京砲兵工廠印に十年式の刻印、そして3332のシリアルナンバー
があります。



信号弾(吊星)には、緑と白の他に赤もありました。また吊星だけでなく
龍(黄、黒)、流星(赤一星、同三星、白一星、同三星、緑一星、同三星)
等10種類以上が存在しました。
 


昼間用の煙弾である龍(黄龍と黒龍)の二種類の薬莢

こちらは上の信号弾と違い昼間の使用に限定された煙弾です。
この為、夜間識別用の薬莢底部の刻みが無く煙弾の色を示す
黄龍と黒龍のみが刻まれています。地上から空に向けて打ち上
げる名前のとおり龍が空に立ち昇るように走り、約15秒間発煙
し、その認識距離は約4千mだったと謂います。
黄龍の薬莢底には東京砲兵工廠の刻印があります。また
黒龍の薬莢底には東京砲兵工廠の支廠の板橋火薬製造
所の刻印があります。







右は、南部14年式拳銃の発火済み薬莢と弾頭です。
左は、三八式歩兵銃の教練用の実弾(発火済)薬莢
と装填子です。練習弾は、線があって区別できます。
南部14年式拳銃の実包3発(発火済・小穴の開け後)と拳銃嚢
各種、発火済み実弾…一番下の大きいのは、海軍航空隊で
使われた九三式機銃の13.2mm撤甲弾です。
発火済みの三八式歩兵小銃の空薬莢5個と、真鍮の装弾子、弾頭は
ノルマ社のものです。薬莢は全て雷管に打痕が入っています。口は
丸く、変形はありません。ノルマ社の弾頭は先端に穴の開いたホロー
ポイントです
こちらは、同じく発火済みの九九式歩兵小銃の空薬莢5個と、
鉄製の装弾子、こちらも薬莢は全て雷管に打痕が入っています。
弾頭は狩猟用の代用品のようです。尚、九九式小銃クリップと、
三八式クリップは、見かけの上で変わりませんが、クリップの中央
に小さな小穴があり、これが識別とされています。九九式空薬莢
と、92式重機関銃とは薬莢のリムが0.1ミリ大きいだけなので、
精神を集中してリム部を触って識別するしかないそうです。
戦後、現存するアリサカライフル用に7.7mm弾を供給して
いるのは、このノーマ社の実弾だけです(発火済)。
右の小さい方が三八式用6.7mmで左の
大きい方が九九式用の7.7mmです。


夫々にノーマ社の刻印と6.5、
7.7 JPの刻印があります。



南部十四年式拳銃実包の紙箱(昭和20年2月製)
珍しいオリジナルの空き箱です。



こちらも上とは別の十四年式拳銃のオリジナル実包の空箱です。
南部十四年式拳銃15発用と文字が入っています。板橋火薬製造所で
昭和11年7月製。火薬は昭和11年6月製と入り、ロットナンバーが印
刷されています。
箱はコレクターの手で注意深く蓋をされて接着されています。
大きさは、2センチ×8センチ×3.3センチ。







南部8mm30発 予備弾嚢
拳銃用の皮ベルトで無く銅締めに通すタイプで、30発用は、珍しいと思います。




実物の南部小型拳銃の左グリップ部の木製部分のみです。



こちらは、複製品の九四式拳銃弾の空箱です。



こちらは十四年式よりもっと希少な九四式拳銃
の15発紙箱のオリジナルです。前のオーナー
が箱の蓋を接着して外見上の復元を試みてあ
ります。
”九四式拳銃実包十五発 昭14.8”の刻印が入っています。









30レミントンと38スペシャルを改造して8mm南部
拳銃弾として南部十四年式拳銃で発射した薬莢だ
そうです。かなり以前にアメリカで行われたそうで
すが、その時の物のようです。

7mmと8mm拳銃弾(発火済)。8mm弾は、南部十四
年式や海軍の南部大型等で使用され所謂、パパナ
ンブと呼ばれる拳銃の実弾です。この他に百式短機
関銃も8mm弾を使用しました。7mm弾は、所謂、ベビ
ー南部と呼ばれた南部小型拳銃などで使用されまし
た。
残念な事に、右の7mmの方はペンチで無理矢理
いじって弾頭と薬莢の至る所に深い傷が有り、
雷管が外されています。
戦前の32口径リボルバー(回転式)拳銃用の弾頭と薬莢です。
戦前に国内に正規輸入された外国製と国産品だと思われます。
すべて、火薬等は入っていない安全な物です。
26年式拳銃の発火済の拳銃弾二発









三十年式小銃の未使用弾頭、使用済薬莢、ライフルマーク入りの
比較的きれいな三十年式弾頭10個、三八式未使用弾頭1個、ライ
フルマーク入り比較的きれいな弾頭2個、擬製弾弾頭と思われる
鉄製弾頭1個、何かのキャップかもしれない銅製6mm×4cmのもの。


明治17年製造の十三年式村田銃の薬莢です。弾頭は、オリジナル
でなく古い時代の鋳型に流し込んだ私製品と思われます。やや大き
くてきれいに入りません。薬莢に”包 明 十七 杷”と刻印されてい
ます。


十三年・十八年式村田銃用の十一粍小銃弾です。
莢底刻印は陽刻で、12時の位置より時計回りで
包 / 明 / 高 / 廿三 です。


6.5o三十年式擬製弾(填弾子5発入)
同じ6.5oの擬製弾でも三八式は、先端が尖って
おり、三十年式は、丸いのが特徴です。


三八式狭窄弾の紙箱に薬莢20発です。狭窄弾とは、装薬を減らし、弾頭を専用の
ものにした弾薬で、射程距離が短く、訓練用として用いられました。通常、普通実
包が15発入りの紙箱に入れられて支給されるのに対し、狭窄実包は20発入りの
紙箱に入れられていました。この紙箱も当時のオリジナルの箱は、珍しいと思いま
す。
普通実包の紙箱は、弾薬盒の中に残っていたり、海外に持ち去られたものがある
程度現存しているようですが、狭窄弾用の紙箱はあまり、保存されていないようで
見かけません。
薬莢は回収され何度も使用されました。ですので、使用回数が分かるように底
の部分に点を刻印してあります。点が一つは、2回使用、2つでは、3回の使用で
ある事が判ります。さらに、薬莢の口の部分には赤いマーカーも残っているもの
もあります。これは普通弾を意味します。


南部教練銃用6.5mm狭窄弾・空包用薬莢。戦前に南部銃製造所が
作った教練銃の薬莢です。雷管付きと、無しの二個。教練銃と薬莢
は、主に青年学校等で使われ、一部は陸軍の幼年学校等、軍の施
設でも使用された形跡が有ります。薬莢に関しては、通常の三十年
式薬莢(軍用)と異なり、リローディングが容易に出来るようになって
おり、又、当時、一般に売られていた猟用1号雷管が使用出来る為、
特殊な軍用雷管を使うより、経済的なのが売りだったようです。


三十年式小銃弾5発(発火済)と装弾子


上のとは別の三十年式小銃弾5発(発火済)と装弾子





三十年式小銃の擬製弾 三発です。擬製弾は、
主に入隊直後の新兵に対し、実弾による射撃
訓練前に、銃への弾薬の装填、抽出等を教える
為に作られたもので海外では、Dummy(ダミー)
と呼ばれているものと同じです。尚、擬製弾は銃
の操法や仕組みを教える時に使われる為、最初
から火薬等は一切充填されていません


二十二年式 村田銃用の空包弾
二十二年式村田銃(八粍)の空包です。弾頭は、
経木を丸めたものに紙を張付けて、実包と同じ
形状のフラットノーズに成型してあります。チューブ
式弾倉に対応する為に設計されたこの弾は、旧軍
の小銃弾の中で異彩を放ち、銃の生産数の関係か
銃弾の現存数が非常に少なく空包は、更に数が少
ないようです。

二十二年式 村田連発銃用の発火済の小銃弾二発
八粍 村田二十二年式連発銃の小銃弾です。
弾頭は、この弾の特徴であるフラットノーズに
なっています。又、雷管もこの弾に特徴的な
保護式雷管になっていて、11mm村田小銃弾
と同じ一号雷管にカバーが被せて有ります。
チューブ式弾倉に対応する為に設計されたこの
小銃弾は、旧軍の小銃弾の中で異彩を放ち、
又、銃の生産数の関係か弾の現存数が少なく
珍重されているようです。

この二十二年式村田連発小銃弾は、弾頭に潤滑の
為に塗られた蜜蝋がほぼ残っているものです。この
仕様は、極初期の三十年式の実包でも見られるよう
です。一緒に写っている白い布切れは、発射薬を押
さえる詰め物だそうです。


7.7mm九二式擬製弾です。
擬製弾は、主に入隊直後の
新兵に対し、実弾による射撃
訓練前に、銃への弾薬の装
填、抽出等を教える為に作ら
れたものです。この為、最初
から火薬等は、一切充填され
ていません。






7.7粍毘式航空機銃曳跟弾
のカットモデルです。
海軍の零戦をはじめとする代表的な7.7oの航空機関銃弾
のカットモデルです。弾種は、曳跟弾(曳光弾の海軍呼称)
です。弾頭は、銅被甲のタイプ。莢底に、ヨ の刻印のみ残
っております。これは横須賀海軍工廠製で皇紀2602年(昭
和17年)第二期(5〜8月)生産ロットの品になるとの事です
。曳光剤に見える部分は、模型用パテと金属粉により忠実
に再現さえた力作との事です。火薬等の入っていない使用
済みの薬莢を使用した作品です。






7.9o航空機関銃弾(一式焼夷実包)
箱の表記より昭和18年9月の製造。主に九七式戦闘機
や九九式軽爆等に装備されたようです。


一式7.9粍航空機銃用焼夷弾
のカットモデルです。
独軍のMG-15のコピーと言われた陸軍九八式航空機銃
や海軍一式航空機銃に使用された弾薬のカットモデルで
国産の8oモーゼル弾です。弾種は、焼夷弾で銅鍍金が
施された軟鉄製の被甲の前半部に焼夷剤が充填されそ
の後部に硬鉛で出来た弾芯を圧入してある造りです。他
の曳火式焼夷弾の様に硬鉛に被甲を施した弾芯ではなく
硬鉛のみで出来た弾芯を持つものは、旧軍ではこのカート
リッジしか無いとの事です。このカットモデルは、東京第一
陸軍造兵廠製との事です(入手先でカットされた方が元箱
にて確認したとの事です)。雷管が小さいのと弾頭の形状
で陸軍製と判るようです。この品は、曳火口の直上でカット
してあり仕組みが理解出来る様になっています。弾頭の
焼夷剤は、模型用パテで再現してあり安全な品です。





陸軍 一式航空機関砲(12.7mm) 薬莢

2個共に莢底に"シ"の刻印が有りますが、1個は打ち損じで大きくずれています。



海軍三式十三粍 航空機銃弾です。
零戦などに多用されたものです。
徹甲弾5発です。何れも無火薬の安全品です。
旧豊川海軍工廠跡地の近辺からまとめて出た
品物の一部だそうです。




海軍三式13o航空機銃用徹甲弾カット及び
  同焼夷弾U型カットと海軍九七式航空機銃用連環




無可動実物拳銃の加工輸入も手掛ける専門業者さんから出た品です。
内部が銀色の方が海軍三式13o航空機銃用徹甲弾カットです。
大戦後期に
零戦を始めとする海軍戦闘機に搭載された「三式13粍航空機銃」に使用され
た弾頭のセクションモデルです。弾種は徹甲弾。普通弾も開発先の仕様と同じく
弾芯は鉄ですが、この弾芯は銃用鋼を熱処理したものが使われております。
程度は水没品だったのか薬莢から出ていた部分の銅被甲表面に荒れが生じて
います。また弾底から見える鋼製弾芯の底も錆が出ています。
中身が銀色の方が海軍13o航空機銃焼夷弾U型カットです。
弾種は旧日本軍独特の焼夷弾U型です。他国では危険すぎ
るとの事で採用を見送れた品です。内管は銅合金製と鉄製に
錫鍍金が確認されていますが今回は銅合金製タイプです。
弾芯は着弾時に慣性で区画された充填薬を押し潰し2薬の
化学反応(爆発)を促進させる役目もするので硬鉛だけでは
強度不足だったのでしょうか被甲と同様の銅合金で先端は
平らですが通常弾の様に覆われています。内側は空気中に
晒されていない為か非常に程度が良く綺麗との事です。
説明文は専門業者さんの受け売りをほぼそのまま転載です。




海軍九七式航空機銃用連環です。零戦等の海軍戦闘機に
搭載された7.7粍 九七式固定航空機関銃用の連環(リンク)
です。刻印は見当たりませんが、英国等で製造されたビッカ
ースのものとは違い、国産の特徴である板厚のある素材が
使われています。部分的に僅かの錆跡があるものの、程度
は非常に良い方で防錆の黒染めもほぼ残っております。
弾薬を連環に装着するとバネ効果の為外すのにかなりの力
が必要です。国産の連環は非常に見つけ難く希少なもので
すので、コレクター間では珍重されているもので出回る事は
稀なそうです。




九二式 7.7mm弾 三種類(徹甲弾・曳光弾・普通弾)




九二式7.7o弾は、主に九二式重機関銃や八九式航空固定機関銃
、八九式航空旋廻機関銃に使用された銃弾です。




7.7mm曳光弾 製造途中品




製造途中の曳光弾五発です。
先端の鉛部分も入っており曳光剤が入れ
られる銅の円筒の中だけ空です。
簡単に内部の円筒と鉛部分が出せます。大変
珍しく面白い物です。殆ど先端の鉛を敗戦直後
に抜かれた物が多い中、奇跡的に全パーツ揃
っている物です。

下の曳光弾は、完成品の物。共に火薬類等一切入っていません。




九二式 7.7o徹甲弾




徹甲弾を意味する黒い帯が特徴です。
普通弾が赤となります。徹甲弾は、その
弾頭自体が鉄で作られています。







九七式車載機関銃弾薬紙箱




九七式車載機関銃用の口径7.7mmの銃弾です。
箱の形状からも五発クリップに装着されていたと
思われます。
カートリッジクラブが十数年前に復元カートリッジボックス
を作ったそうです。当時の代表の方が蓋の部分のない
箱を入手して復元したのではないかと推測されます。




カートリッジボックスの底には昭和17年3月の製造刻印が入っています。






















陸軍 七粍七(7.7mm)航空機銃弾




七粍七弾は、研究資料用の普通弾を
真っ二つにカットしたものです。下は、
カットした普通弾とカットしていない普
通弾です。
陸軍の七粍七航空機銃弾は、九二式重機の
7.7o弾と共通でした。また同様に同口径の
旋回機関銃なども同じでした。







九二式重機関銃の保弾板




九二式重機関銃の保弾板と紙ケー
スです。ラベルに19年12月と記入
されています。保弾板は鉄製にメッキ
が施されています。


同じくこちらも九二式重機関銃
の保弾板と紙ケースです。






九二式重機関銃弾三十発を保弾板に装弾しています。発火済みの薬莢には、安全の
為、2箇所ずつ穴が開けられています。…こうして見ると迫力があります。



昭和十五年製・九二式重機関銃の保弾板です。箱には、”九二式重機関銃弾薬・
九二式普通実包・30発”と表に紙シールが貼られています。脇のスタンプには、”九二
式・普通実包・14戊・三〇三六・492・二九二・昭和15・3”とあります。
ケースには、
紙製に布が貼らています。保弾板は真鍮製(鍍金でなく)。ケースは、封印切の糸(紐)
がまだ残っています。こちらも発火済み薬莢を30発、装弾してみました。




三年式重機関銃・九二式重機関銃用の
装弾器を収めた箱です。判り易い様に
チョークをひいています。
横須賀海軍工廠近くで海軍手箱や海軍関連
の品と共に出た装弾器箱です。海軍で使用さ
れた重機関銃用の物と思われます。




こちらは、別の装弾器箱です。陸軍の物と思われますが
上の海軍の箱と違い上蓋との綴目が押し釦式です。
上の海軍の物は、通常の左読みで刻印されていますが
こちらの陸軍の物は、右読みで箱も匣と刻印されていま
す。つまり”匣器弾装”と刻印されています。









教練用軽機関銃の弾倉




学校などの教練用は、模擬弾を入れて操作を学ぶ為で発射機構は、無かった
ようです。その為か、バネは生きていて完動ですが、バネが弱いです。
錆が浮いていますが、弾倉内のバネも生きており完動です。ノーマ社の
7.7oを入れて見ました。しっかり装弾できます。右下の弾倉は、九六式
軽機の模型のものです。シリアル番号三桁が本体に入っています。








旧陸軍7.7固定機関銃用というのは、洒落です。
旧ソ連軍7.62の車載用のものですが…似て見
えるので面白くてオークションで手に入れました。
結構、楽しいです(笑)。







軍装品その他の続きへ











陸軍 ホ155用 30mm機関砲弾(試射弾)の精密複製品
画像の左が型の原型となったオリジナルです。キ-83、キ-87、キ-94、
キ-102丙、四式戦丙、秋水・火龍?といった大戦末期の陸軍の試作機
への搭載が予定されていたホ155機関砲用の30o機関砲弾の型取り
したダイキャスト製の複製品です。



今回、収集品の虫干しの為、倉庫より一時、出した収集品の一部を
画像に収めてUPしてみました。まだまだ仕事が忙しくて収集品の整理
が出来ておりません。今後、少しずつ更に奥に仕舞われたままの収集
品も、新しく収集した品も含めて、画像アップしていきます。