旧軍関連・戦前資料収載品 
 (軍装品...etc) Part Uw











Imperial Japanese Navy
  (大日本帝國海軍)


海軍の軍服・その他








珍しい大型艦の主砲射撃指揮所の
     方位盤射手の引き金(銃把とトリガー)




非常に珍しいものです。真鍮製でずっしりと重い
見事な海軍の主砲の発射装置です。主砲の火
薬は電流点火となりますので、口径とは関係な
く点火装置は同じです。砲弾、火薬を装填して、
主砲射撃指揮所の砲術長の「撃ち方はじめ」の
合図と共に、射撃盤射手が引き金を引くと電流
が接点して砲弾が発射されます。まず滅多な事
で出てこない品です。上蓋が欠品しています。
この部分にプレート(銘板)があった可能性があ
ります。前のオーナーが木の板で手作りしてい
ます。

サイズ:24p×8p×8p(トリガーガード下まで、
銃把下までで10p)です。
良く見ると上蓋が嵌る部分に↓したように37の数字
が二箇所で刻印され銃杷の握りのtop近くに錨の刻
印が見られます。
海上自衛隊の護衛艦のミサイル発射装置も
今でも拳銃型だと聞き及びます。時代を超え
て主砲が主戦力でなくなりミサイルが主戦力
に取って変わっても主戦力を撃つ射手の引き
金は今も変わらぬ拳銃型である事に科学万能
の時代にそぐわないノスタルジックと謂うかトラ
ディショナルと謂うべきか…時代を超えた共通
性に何ともしれぬロマンを感じます。


上に日本人が一番良く知っている戦艦”大和”を例に出して見ました。この巨大な世界
最大の戦艦の最上部に方位盤室…所謂、主砲射撃指揮所がありました。海面からは
実に38.4mもの高さです。

主砲射撃指揮所の内部には円筒状の方位盤照準装置があり、周りには砲術長を指揮
官とする4人の主砲射撃要員が詰めていました。各要員の配置は、方位盤の後ろに
砲術長、前に動揺修正手、右に旋回手、左に方位盤射手兼俯仰手となっています。
主砲射撃指揮所の中では、砲戦指揮を行う砲術長の命令に従って各員が機器を操作
し主砲を発射します。主砲発射の場合、まず射手、旋回手が敵艦に照準を合わせる為
測距儀で計った敵艦との距離、大和自身と敵の予想速度や針路などのデータをもとに
艦底にある主砲発令所の測距平均盤と機械式計算機により計算して主砲を向ける方
向と仰角を決定します。次に主砲を目標に向け砲術長の発射を命令し方位盤射手が
敵艦を照準望遠鏡の中で上下左右が合ったタイミングで引き金を引き主砲が発射され
る仕組みです。この間、動揺修正手は船の揺れに合わせて方位盤を操作して射手や
旋回手の照準操作を助けました。これら一連の複雑な操作を5分以内で行わなければ
なりませんでした。

そして一度主砲を発射すると弾着を観測して方位や仰角を修正し次の主砲発射ではよ
り正確な弾着を見るように修正を重ねます。一般に照準望遠鏡で行う弾着観測の結果
で砲術長はどれだけ修正をするか等を決定しました。40kmも離れた敵艦に砲弾を命中
させる為に大和の主砲射撃指揮所と艦底にある主砲発令所には当時の最新最先端の
精密機器が設置されました。
 
上の画像にある測距所の上にある方位盤室(方位盤射撃所、主砲射撃指揮所)で
大和の主砲の引き金が引く方位盤射手が配備についていました。大和の一番高い所
にある部署であり…ここで方位盤射手によって敵艦へ向けて照準を行い砲術長の「撃
ち方始め」の命令で引き金を引き主砲弾が発射しました。













海軍主力艦クラスの主砲射撃所の
  珍しい各種機器の銘板付防水蓋カバー2点
   と二式一号俯仰角発信機(一型 砲戦用)1点


    ・左右苗頭追尾受信機の防水蓋

    ・内外角発信機の防水蓋




主砲発令所から砲戦指揮に使われる(発令所発信)
左右苗頭追尾受信機の防水蓋(銘板付)である事が
判ります。艦名は不明ですが日本海軍の軍艦色が残
っています。下にもう一枚羅針艦橋射撃盤に至る側的
通信の内外角発信機の防水蓋(銘板付)もありますの
で戦艦や重巡洋艦など主力艦クラスの艦から関係者
が記念に持ち帰った遺残品と想像されます。
砲術科の花形はやはり主力艦クラスの主砲・副砲でしょう。
表より裏側の方が海軍の軍艦色が良く残っています。
また覗き穴の偏向レンズのようなものも良く判ります。
防水ゴムは所々でひびが見られますが、まだ生きてい
るようです。
因みに目標までの射距離と左右の修正値、これを苗頭 といいます。


先の大戦で海軍の花形は空母と飛行機に移り…その戦いの殆どが航空決戦に
よるものとなりました。しかし、海軍と言えば航空兵力を除くと花形は軍艦の主砲
による砲撃でした。この砲撃を専門になしたのが砲術科でした。この砲術科は、
真珠湾奇襲でその座を譲るまで長く花形の地位にあり、その象徴が巨砲巨艦主
義や大艦巨砲主義と謂われたものでした。

砲台(主砲・副砲・高角砲)・射撃幹部(方位盤照準装置・射撃盤)・測的(測距
儀)の大きく三つの職種に砲術科は大別されます。砲台は、砲塔の中で砲を目標
に向け上下左右に動かし、装填する砲員と甲板下にある弾庫・火薬庫の中で弾
丸と装薬の運搬・供給をする弾庫員・薬庫員・弾薬供給員に分かれています。射
撃幹部の約半数は、前檣楼の頂上にある射撃指揮所の中で方位盤照準装置に
取付いています。射撃指揮官は装置の望遠鏡を覗きながら砲戦の指揮をとりま
す。射手は揺れる艦の上下動揺で照準が狂わないよう照準接眼鏡を注視しなが
ら俯仰角ハンドルで常に俯仰角(砲の上下角度)を調整し、指揮官の射撃命令が
出れば目標と俯仰角の一致を確認して全砲連動の引金を引きます。旋回手は常
に目標に照準鏡の方位角(砲の左右角度)を旋回ハンドルで一致させます。左右
動揺手は、揺れる自艦の左右動揺のため目標が照準鏡内で左右に揺れて見え
ないように、横動揺望遠鏡と左右動揺ハンドルで目標の90度横方向の水平線を
常に照準鏡の水平線と一致させます。照準鏡には照準線が標示されており、これ
をハンドルで目標に一致させます。

こうして常に目標を追尾して得た照準値(砲の上下左右角度)は、甲板下奥深く
にある射撃盤(自働計算機)に電気回路で常時伝達され、艦各所に配置された
測距儀(目標の速度・距離・方位など)測的盤(風向・温度・湿度など)測程儀(自
艦の速度・針路)と先程の方位盤照準装置から得られる数値をもとに、目標と自
艦の相対位置(替距率)を割出し、その結果を元に更に射距離と苗頭(目標の未
来位置)を自働算出します。こうして得られた照尺量は、方位盤照準装置と砲塔
の角度受信盤に自働標示されます。

各砲塔の旋回手と射手は各自の水壓ハンドルを廻し角度受信盤の指針に砲塔
の方位角を表す追針を一致させると、砲塔と砲口が動いてピタリと目標に向き、
発砲電気回路が自働接続されます。射撃盤に取付いている号令官は発砲回路
接続の標示を確認して、発砲ブザーを押します。ブザーは方位盤射撃装置の射
手に標示され、射手がを引金を引くと、全砲が自動的に発砲されます。号令官は
射撃指揮官に指定された砲塔のみを選択して発砲ブザーを押すことも出来ます


射撃盤の弾着時計員は、弾着時計装置が標示する弾着を逐次、方位盤照準装
置の射撃指揮官に報告します。射撃指揮官は、彈着を見ながら射撃盤よりの照
尺量を見て必要な修正を射撃盤の修正手に命じます。修正手が射撃盤に入力
すると再計算された照尺量が方位盤射撃装置と砲塔の受信盤に直ちに標示さ
れます。こうして彈着をより正確にしていゆき、遂に目標に命中させるようにしま
す。

測的所は檣楼にあり、艦上各所に据えられた陸軍の砲隊鏡をばかでかくしたよう
な巨大な測距儀により目標の動きを捉え、自艦との距離を計測します。この仕組
は主砲・副砲・高角砲のそれぞれについて用意されています。高角砲が副砲を兼
ねる艦種もあります。また高角砲は方位盤射撃装置と測距儀が一緒になった射
撃指揮装置となっています。

砲術科は上記のような仕組で動いています。射撃精度・速度を上げるためには
猛訓練が要求されます。砲台員は狭い所で重い弾藥を抱えて急速な装填や給弾
をするので体力がないと勤まらず、射撃幹部・測的員は緻密さと集中力を要求さ
れました。自ら兵科の華と喩え非常な誇りを持って訓練に励んだものでした。
妙高型重巡の鳥海の艦橋です。


羅針艦橋射撃盤に至る側的通信の内外角発信機の
防水蓋(銘板付)です。

艦内編制令(昭和19年)には砲術科の中で測的部員を以下のよう
に記してあります。



測的部員ハ通常之ヲ主砲、副砲、高角砲及発射測的班ニ区分ス

測的部員ノ編制左ノ如シ
測的指揮官 艦長ノ命ヲ承ケ測的ニ関スル全般ノ指揮監督ニ任ジ
又一部ノ測的班ノ直接指揮ニ任ズル者ニシテ分隊長又ハ乗組
士官ヲ以テ之ニ充ツ
測的班指揮官 測的指揮官ノ命ヲ承ケ測的班ヲ指揮スル者ニシテ
主砲測的班指揮官、副砲測的班指揮官、発射測的班指揮官等ト
称シ主砲測的班指揮官ハ測的指揮官ヲシテ之ヲ兼ネシムルヲ例
トシ其ノ他ノ測的班指揮官ハ乗組士官、特務士官、准士官ヲ以テ
之ニ充ツ
測的員 測的部ニ属スル下士官及兵ノ総称ニシテ其ノ配置ニ依リ
左ノ如ク区別呼称ス

(イ)
測距員 測距儀ニ就キ測距ノ操作ニ従事スル者ニシテ各測距儀ノ
首席測距員ヲ測距員長ト称ス

(ロ)
測的盤員 測的盤ノ操作ニ従事スル者ニシテ各測的盤ノ首席盤員
ヲ測的盤長ト称ス

(ハ)
変距率盤員 変距率盤ノ操作ニ従事スル者ニシテ各変距率盤ノ
首席盤員ヲ変距率盤長ト称ス

(ニ)
視角測定員 視角測定ニ従事スル者ヲ謂フ

(ホ)
内外角判定員 内外角判定ニ従事スル者ヲ謂フ

(ヘ)
方位角測定員又ハ列線方位角測定員 方位角又ハ列線方位角
ノ測定ニ従事スル者ヲ謂フ

(ト)
補助員 測的指揮官又ハ測的班指揮官ノ命ヲ承ケ測的ニ関スル
業務ヲ補助スル者ヲ謂ヒ必要ニ応ジ之ヲ配ス

(チ)
通信伝令員 電話器、通報器、伝声管等ニ就キ測的ノ通信伝令
ニ従事スル者ヲ謂フ

測的員ノ一部ハ専務照射員、電路員等ヲシテ之ヲ兼ネシムルコト
ヲ得
戦艦ニ装備ノ長基線測距儀ノ測距員長ニハ必要ニ応ジ乗組特務
士官、准士官ヲ以テ之ニ充ツルコトヲ得



…とあります。これを平易な文章に改めると(以下)



測的部員の編制左の如し

一 測的指揮官 艦長の命を承け測的に関する全般の指揮監督
に任じ又一部の測的班の直接指揮に任ずる者にして分隊長又は
乗組士官を以って之に充つ

二 測的班指揮官 測的指揮官の命を承け測的班を指揮する者
にして主砲測的班指揮官、副砲測的班指揮官、発射測的班指揮
官等と称し主砲測的班指揮官は測的指揮官をして之を兼ねしむる
を例としその他の測的班指揮官は乗組士官、特務士官、准士官を
以って之に充つ

三 測的員 測的部に属する下士官及び兵の総称にしてその配置
により左の如く区別呼称す 

イ 測距員 測距儀に就き測距の操作に従事する者にして各測距
儀の首席測距員を測距員長と称す
 
ロ 測的盤員 測的盤の操作に従事する者にして各測距盤の首席
盤員を測距盤長と称す 

ハ 変距率盤員 変距率盤の操作に従事する者にして各変距率盤
の首席盤員を変距率盤長と称す 

ニ 視角測定員 視角測定に従事する者を言う 

ホ 内外角判定員 内外角判定に従事する者を言う
 
ヘ 方位角測定員又は列線方位角測定員 方位角又は列線方位
角の測定に従事する者を言う 

ト 補助員 測的指揮官又は測的班指揮官の命を承け測的に関す
る業務を補助する者を言い必要に応じ之を配す 

チ 通信伝令員 電話器、通報器、伝声管等に就き測的の通信伝
令に従事する者を言う測的員の一部は専務照射員、電路員等をし
て之を兼ねしむることを得る

戦艦に装備の長基線測距儀の測距員長には必要に応じ乗組特務
士官、准士官を以って之に充つることを得る



海軍の錨マークにKが読めます。

















海軍 九〇式三号磁気羅針儀一型




海軍の秋月型駆逐艦クラスの艦橋によく搭載された
のがこの九〇式三号磁気羅針儀一型です。
オリジナルの収載箱は皮ベルトが切れかけて
いますが元の状態を保っています。



銘板から布谷計器製作所の昭和19年4月5日製造
でシリアルNo.144と判ります。コンパス自体に銘板
はありませんが、コンパスの横文字にNUNOTANI
SEIKIが読めます。このメーカは、今も艦・船用航海
計器・自動制御機器設計・製造の会社として兵庫県
尼崎市で健在で株式会社布谷計器製作所として活
躍しています。
短艇用のコンパスもありましたが、流石に駆逐艦用の
コンパスだけあって大きくて重たいです。箱もでかいし
かさばります。
昭和19年…1944年の製造のコンパスです。まだ
生きていて動いています。現在、2010年…66年
の激動の時代を生き抜いたコンパスです。
下の画像は、護衛艦”ゆうばり”の羅針盤
です。基本構造は何ら変わっていないの
がよくわかります。







花島 孝一 海軍機関中将の
           寄書のある日章旗








           ◆ 花島 孝一 海軍中将 ◆

静岡県出身、海機17期(6/61)

明治19年3月18日生

主に航空畑を中心に活躍されました。

昭和 9 年 11 月 15 日  任海軍少将  海軍航空廠発動機部長
昭和 13年 11 月 15 日  任海軍中将  海軍航空廠長
昭和 14年 4 月  1 日           海軍航空技術廠長
昭和 14年 11 月 15 日             軍令部出仕
昭和 14年 12 月 23 日   予備役      中央航空研究所長
昭和 16年  1 月 10 日          海軍航空本部業務嘱託
昭和 18年  5 月 17 日          海軍省研究業務嘱託
昭和 19年  2 月  7 日            中央航空研究所
                           第一部長事務取扱

昭和 40 年  5 月 18 日             歿 (79歳)

)







卒業できずに敗戦を迎えた
   海軍兵学校第76期 オ703分隊
     東 節生 生徒の所持していた軍帽




入学生なんと3660名と謂う凄まじい大所帯です。
74期で千名を超え…その生徒数は更新を続け最期
の78期では四千名を超えました。…日米戦の開戦
の直前に卒業しました第70期が卒業生432名であ
る事を踏まえても…どれだけ若い士官が戦死し消耗
を深めたかを如実に示すのが…敗戦近くの入学生の
人数だと思います。何しろ65期(S13.3.16卒)までは
卒業生が200名を超える事はありませんでした。
変色してしまった軍帽カバーにも記名が残っています。

名簿には名前がありますが出身学校も
出身地等の情報が抜け落ちています。
この方が戦後をどうのように生きられた
のか…知る由はありません。76期会の
公式HPにあった戦後の職業の第一位
が約10%で教職が320名。第二位が驚
きの医師で約6%で219名。第三位は
地方公務員で5%の165名、四位が国
家公務員で4%の123名。意外なのが
自衛隊関係ですが防衛庁は79名と商
社マン・金融関係よりずっと下でした。
記名が消されていますがペンライト
で透かすと名前が浮かびます。


下のバーナーをクリックすると76期会
の公式HPにジャンプします。
           ↓







我、心の師…椿様の作成され下された
          海軍陸戦隊の兵士達です!




元はタミヤのプラモデルの陸軍兵のセットです。
この躍動感…そして陸軍兵が陸戦隊に変わる
とは夢にも思わず師匠の粋なプレゼントに感動
した不肖の弟子です。










軍艦旗を手にした水兵のベルグマン機関短銃が
泣かせます。









九九式二十粍航空機銃弾一號の
 薬莢のカットモデルと九九式20粍航空機銃
  弾薬用の無撃針信管三型改二(大戦末期の品)




零式艦上戦闘機(ゼロ戦)等に搭載された代表的な九九式二十粍
航空機銃弾一號の薬莢のカットモデルです。発射薬量が少なく射
程の短さやその弾道故に小便弾と揶揄されましたがその破壊力は
無視する事は出来ず、二號銃の開発に続きますが、二號銃採用後
はその数を徐々に減らしてゆきましたが敗戦まで使用されました。
底部に刻印は無く昭和十八年以降の製品の様です。
雷管部は固定せず取り外しが出来ます。ヤフオクで手に入れました
が入手元の業者さんは有名な実銃などを加工し輸入などを手掛け
ているので…これ等の加工なども手慣れたものなのでしょう。見事
なものです。


この信管も零戦を始めとする戦闘機や航空機に搭載された
九九式20粍航空機銃弾薬用の信管です。末期に採用され
たもので無撃針信管とよばれました。別名:空気信管とも関
係者から呼ばれていたそうです。この信管は、命中の衝撃
で潰れた信管本体が内部の空間を圧迫し高圧の空気が雷
管部を発火させる仕組みで作用するようです。制作に高度
な技術を要するもので、技術はあるものの物資不足の末期
の日本にはもってこいの信管で、正式名称は”無撃針信管
三型改二”です。










先端部の極薄の蓋板も変形は無く非常に綺麗です。
ただ末期の製品の為か挽き跡が目立ち仕上げがや
や雑になっています。この現象は当時を物語って興
味深いと薬莢のカットモデルを制作し売っていた業者
さんの説明文にありました。







名門 日比谷中學校(後の海城中學)と
    攻玉社中學校の卒業証書と修業証書




とある陸軍将校(当然、陸士出の)の攻玉社
の修業証書と日比谷中学の卒業証書です。
攻玉社と言えば海軍兵学校のこれまでに予備校の色合いが強く著名ですが
帝國海軍の海軍大将77名のうち実に15名の海軍大将を輩出し、そのうちの
連合艦隊司令長官を4名を輩出、更に大臣も8人輩出しています。まさに恐る
べしです。大東亜戦争終結時の総理大臣・鈴木貫太郎大将もその1人です。
日比谷中学は陸軍軍人の方が海軍軍人よりも多く輩出していますが、軍関
係と言うよりも日本そのものの頭脳、エリート集団を輩出した名門と謂って過
言で無いでしょう。現在の海城中学・高校は…戦前は日比谷中学、その前は
海軍豫備学校、海軍兵醫學校豫備校などと名称を変えてきた学校です。この
卒業証書の錨のマークを見れば判るとおりです。当然、戦前は攻玉社とも関
係が深かったのですが、両校共に戦後はGHQの命令で普通の中学高校へ
生まれ変わりました。同様に陸軍士官学校の予備校としては成城学校が有
名です。海軍大将を3名、聯合艦隊司令長官を1名を筆頭に大臣や多くの陸
海将星を輩出している名門校です。この所持者だった方は…海軍兵学校の
有名な予備校二校を経験し卒業しながら陸士に進み陸軍将校になるとは…
余程の金づちなのか知りませんが変わった方だと推察します。







【戦時資料】 大日本婦人會と愛國婦人會の襷




愛國婦人會と大日本婦人會の襷を年配の
女性の方に協力して頂き掛けてもらいまし
た。和服に割烹着やもんぺ姿だともっと様
になった気がします。
大日本婦人會の襷の方は、元は大日本國防婦人會
の襷だったようで全ての婦人會が昭和17年に大日本
婦人會に統合された折に國防部分を畳み込んで大日
本婦人會の襷に作り直しています!






























予科練をイメージしてアルミの削り出しで作った物
と思われます。中々、味わいがあるマークです。


















一枚の写真から…




小笠原 長生 海軍中将の写真
肥前国唐津藩藩主で老中・小笠原 長行の長男で明治6年に
家督を相続した大名です。学習院から攻玉社を経て海軍兵学
校に進みました。お殿様ですから爵位持ちます(子爵)。
海軍中将正二位勲一等功四級子爵。昭和33年9月20日逝去。
提督は大正10年に予備役編入し宮中
顧問官を昭和20年11月まで任じれら
ておりました。写真は昭和11年とあり
ますので宮中顧問官をされておられた
時期のものです。







一枚のネガと写真から…




G.I.が乗り込み見つめているコクピットは、何処の基地の飛行場か不明ですが
機体は銀河です。操縦席に乗り…銀河の風防あたりのみが写っていますが
何処かの海軍基地だった場所でしょう。







一枚のプレートから…




内外汽船株式会社 春日丸 進水記念プレート
昭和11年9月に進水した春日丸は海軍に徴用されました。
昭和18年3月13日アンダマン諸島 ポート・ブレア
(Port Blair)港内でオランダ潜水艦O21の発射した魚雷を
受けて沈没しました。この際、船員21名が死亡しています。







海軍工廠の職員が使用した腕章と鉄帽の帽章です。


腕章には工廠の紋章があり、片側にNO.222が印字され加藤の判が捺されています。





帽章のオレンジに近い黄色は海軍の鉄帽で
よくステンシルで描かれる錨の色とほぼ同じ
です。




























こちらは箱附きの技術名誉章(舞鶴海軍工廠)
上の徽章は横須賀海軍工廠のものです。





































なんとも可愛い自衛隊限定販売の
大日本帝國陸海軍 同期の桜 シリ
ーズのキューピーです!