鎮魂(requiem)U

2ページ(焦土のPage)!



無差別爆撃による大空襲により焦土化する
日本と広島・長崎への原爆投下。写真が語
る…忘れ得ぬ戦争の傷跡…!




無差別都市絨緞爆撃


米国による我国への無差別絨緞爆撃は、悪魔の所業としか考えられない
徹底した凄まじさでした。日本軍が開戦当初より軍事施設のみに限った
爆撃や攻撃を行ったに対して対照的に彼等は、民間も軍事施設も関係な
く都市と言う都市を無差別に北から南へと我国を爆撃しました。白人国家
の冷徹さでしょうか。ドイツも英国に対して無差別爆撃を行っていましたか
ら、彼等、白人にとっては、敵は民間人であろうと皆、同じと言う事でしょ
う。イラクやアフガン、湾岸戦争の時に誤爆が問題になりましたが…今更、
何を言うのかと笑ってしまいました。…老若男女の区別無く民間人を殺す
事に何の躊躇いが無いのが米軍であり英軍であります。今更、清ましてみ
ても、お里が知れています。…その事は、すでに旧ソ連を通してポツダム
宣言の受諾を申し入れていた我国に対して実験的に使用した原爆投下が
何よりの証です。黄色い猿どもだから、やってしまえというわけです。
…我々は、この東京大空襲を初め、横浜・川崎…全国の諸都市への人道
に反した米国の仕打ちを決して忘れては、なりません。如何に正当化して
も無理があります。そして長崎・広島に対する無意味な原爆投下に対して
この大量殺戮に対して、米国より何の謝罪の言葉も聞いておりません。こ
の事実を語り継ぎ民族の記憶として忘れては、なりません。














昭和20年5月20日、大竹の海軍製油所が爆撃を受ける。血の
一滴と言われた燃料を失った事は、痛恨であった。
爆撃を受ける名古屋市内。
港を中心に爆撃される神戸
左は、横浜を爆撃中のB-29右の画像は、猛爆撃されてい
る横浜市内。僅かに飛び立った迎撃戦闘機隊では、焼け
石に水であった。
富士山を良い目印として来襲したB-29
炎上する横浜
敗戦直後の東京・日暮里駅。昭和20年
3月10日の空襲で一面焼け野原である。
この時、B-29279機が襲来し迎撃で損失
したのは、僅か14機である。今の東京の
発展ぶりを想うと…その再出発点がこうし
た廃墟であった事を忘れがちです。
B-29迎撃の為上昇中の月光をB-29機内から捉えた画像。非常に珍しい一枚です。
帝都東京の空襲後の焼け野原。 原爆投下後の広島の惨状。
同じく長崎…。



以下、広島の惨状である。















人類初の実験を行った広島に8月6日に投下
されたリトルボーイ。ウラン235の核分裂で
作った原子爆弾。
昭和20年8月6日午前8時15分、エノラゲイ号は、広
島上空高度9600mより原爆のリトルボーイを投下。
約50秒後に広島上空約600mで閃光と共に爆発、
直径約150mの火球が出現、次いで画像のようなキ
ノコ雲を作る。その高さは、約高度15000mに達し、
遠方はるか600kmも離れた場所からも視認できたと
言われている。
テニアン基地に帰投したエノラ・ゲイ
一発の原爆は、一瞬にして広島市民
約78.000名の命を奪った。



長崎


二発目の原爆は、同年8月9日に長崎
に投下される。テニアン島から飛来した
B-29ボックスカー号が当初の目的の北
九州小倉が天候不良で長崎に変更し午
前10時58分高度約8.800mより投下。約
一分後、長崎市上空500mで爆発。
長崎に落とされたファットマンこれは、プルトニウムの
核分裂から作られた原子爆弾だった。
この長崎市北部工場地帯が目標であった
。三菱長崎製鋼、三菱重工長崎兵器製作
所などがあり爆心地2kmは、後かたなく
吹き飛ばされ、一瞬にして約27.000名が
亡くなった。
長崎市の焼け野原である。



断末魔の帝國海軍


最早、空母も戦艦も燃料が尽きて軍港より動けず…艦載機は、
全て基地航空隊として…残る僅かな燃料は、特攻用と防空戦闘
機隊用に回された。…残存艦艇は、敵と交戦する事も適わない
まま空からの爆撃により次々と各坐させられた。この帝國海軍の
哀れな末路は、大日本帝國の終焉を意味した。


昭和20年6月22日、呉海軍工廠が爆撃を受ける。工廠内では、
実に1900名もの死者を出している。
爆撃を受ける呉軍港内の航空戦艦”伊勢”…
すでに燃料も無く回避も出来ず格好の標的に
されていた。
爆撃を受ける空母”天城”と”葛城”
猛攻を受ける飛行甲板付大型油槽船”しまね丸”
(特TL船)…空母と間違われたらしく集中攻撃で
浅瀬に各坐した。
猛攻を受け対空戦闘中の重巡”利根”
爆撃される戦艦”榛名”…この後、着底する。
大破着底した航空戦艦”日向”
浅瀬に撃沈された駆逐艦”梨”
断末魔の航空戦艦”伊勢”…なす
すべなく、ただやられるがままに
なっている。最早、昔日の帝國海
軍の面影は、失われてしまってい
た。
手前は、空母”葛城”で奥が
空母”沖鷹”…この他にも燃料も
無く動けない空母”天城”、”鳳
翔”、”龍鳳”の4隻が標的にされ
た。
空母”天城”の無残な姿…。
大破横転した軽巡”大淀”
空襲で各坐した駆逐艦”柳”(左)と敷設艦”常盤”(右)の2艦。
着底した第33号掃海艇




我国に悪鬼の如く襲い掛かった悪魔達!


ボーイングB29スーパーフォートレス(超空の要塞)は、成層圏を飛び
サイパンから飛来します、硫黄島より護衛戦闘機のP51ムスタングを
従えて…高度1万メートルを超える高空であっても与圧室と排気タービ
ン過給器にて時速600km/h以上の高速を維持できました。対する帝都
防衛の任務に就いた我国の陸海軍航空隊の迎撃戦闘機は、排気ター
ビン過給器を搭載せず、与圧室も無い状況で氷点下の薄い空気の中で
高度1万mの高さで、たった一回の攻撃チャンスを伺いその殆どが重厚
な防御と重武装の前に返り討ちになりました。すでに護衛戦闘機のP51
にすら性能で大きな開きをつけられた我国の防衛戦闘機隊は、最期に
は、高高度での体当たりしか敵を打ち落とす術を亡くしておりました。制
空権を奪われた国家ほど惨めなものは、ありません。やられ放題の有様
で…残存する戦闘機は、本土決戦に備えて殆どが地下の掩耐壕に非難
するか九州から沖縄方面への特攻にのみ使われておりました。地方都市
では、空母艦載機による爆撃・銃撃が主でした。これに対しても…最早、
迎え撃つ有効な空軍力を我国は、失っておりました。














房総半島上空を飛ぶ米空母艦載機…。